- 2019-04-15 (Mon) 08:17
- 総合
中国語の授業は教科書の末尾に印刷してあるバーコードを活用すれば、いつでも音声が聞けるようになっており、アナログ人間の私にはこうしたことを学んだだけでも台北に来た甲斐があったと感謝していることは先に書いた。老師(先生)は週末のホームワークとしてスマホから自己紹介の文言を録音して送るように指示した。ボイスレコーダーの機能を活用する。私にはこれも難儀だったが、文章を練り上げ、何とかラインで送った。スマホを使いこなせないと昨今の大学の授業にはついていけないということか。
日曜日。この日足を運びたいと考えていた場所があった。台湾が生んだ世界の歌姫、テレサ・テンの墓所だ。いつぞやテレビで彼女のお墓には世界中からファンが訪れているという番組を見た。私は彼女の生前はファンとは決して言えなかったが、中国語に興味を覚え、台湾を旅するようになってから彼女のファンになっていた。そうなって改めて気づけば、1953年の生まれの彼女は私と同世代だ。1995年に42歳の若さで没している。
ネットで調べると、MRTと呼ばれる電車で淡水駅まで行けば、そこから路線バスで行けるとある。淡水駅は多くの観光客らしき人々でごった返している。観光案内所でテレサ・テンの墓所行きのバスを英語で尋ねる。誰の墓所?しまった。私は彼女の中国語名を調べていない。台湾が世界に誇る女性の歌手だ、あなたたちも知らないわけないでしょと説明するが、若い男女二人の職員は首をかしげるばかり。
二人はその歌手はどんな歌を歌っていたのですか?と尋ねる。仕方なく、日本語で彼女の代表作の一つ、「時の流れに身をまかせ」を口ずさむはめになった。ところどころ音程を外しながら歌うと、二人はなぜか笑いながら、知っているような知らないような反応。それでも何とか分かってもらえ、彼女の墓所がある金宝山霊園に向かう路線バスが判明する。彼女の中国名表記は鄧麗筠(デン・リージュン?)だった。
そのバスはテレサ・テンの墓所詣での人々で混みあうのかと思っていたが、墓所があるバス停で下車したのは私の他にはカナダから来たという中国系の中年の女性一人だけだった。命日とかの特別の日には賑わうのだろうが、この日はテレビで見た光景とは大違いで何とも寂しかった。この広々とした霊園は富裕層だけが眠れる高級霊園であることが分かる。
彼女のお墓に手を合わせ、しばらく路線バスを待った後、再び淡水駅に戻る。駅の近くの商店街は凄い賑わい。テレサ・テンの墓所で知り合った先ほどのおばちゃんとお昼を食べることにする。彼女は中国系とあって言葉ができるから、食堂のおばちゃんたちと丁々発止、食べたい料理にあれこれ「注文」を付ける。その土地の言葉ができるというのは羨ましい。もっとも彼女は中国大陸の生まれだから台湾の人々が語る中国語とはいささか異なるようだが。白米を含め青野菜や炒め物などが出て来て、締めて210元。折半して105元。きわめてリーズナブルなランチだ。しかも美味かった!
ランチを食べた後、彼女と別れて駅に戻る。駅裏の広場も行楽客でにぎわっている。歌声も聞こえる。日本の演歌だ。ただし、言葉は台湾語。そのうち、テレサ・テンの歌が歌われ始めた。こちらはどうも中国語のようだ。しばし足が止まる。そのうちに私も彼女の歌の一つや二つはカラオケで歌えるようになりたい。カラオケ自体、久しく行っていないが。
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