- 2013-07-15 (Mon) 19:45
- 総合
最近は本棚に組み込まれた形の机で仕事をしている。この本棚はずいぶん以前に購入したものだが、机の部分はほとんど使ったことがなかった。食卓用の広いテーブルを使ってきたからだ。ここにきて、組み込み机の方を重宝している。というのも、この机を置いた部屋の窓を開け、玄関のドアを少し開けておくと、風がこの部屋を吹き抜けてくれるからだ。これで昼間はエアコンをオフにしていても今のところはやっていける。
本棚に何気なく目をやると、途中で読むのをあきらめた本とかがたまに目に入る。暇に任せて手に取ってみる。不思議とそのまま読み通してしまうものもある。「積ん読」の効用を今まさに味わっていると言えようか。数日前から手にしているのは『単純な生活』という本。阿部昭という作家が書いたエッセイ本だ。どういう作家が承知していない。改めて検索してみると、1934年に生まれ、その生涯を湘南・鵠沼地方で過ごした。テレビ局勤務の後、作家の道に専念し、短編小説の名手として知られ、数々の賞を受賞、1989年に55歳の若さで病没したと紹介されている。ふーん。
なぜこの本を買い求めたのか記憶にない。タイトルに魅せられたのか。しかしながら、最初の数ページを読んだだけで投げ出した本だった。改めて、読み進めてみる。こちとら、今は時間だけはたっぷりある身だ。読み進めていくうちに、手がとまる文章に何度か出合う。作家は書いている。「神様なしに単純な生活があり得るかどうか、あるとすればそれはどういう生活か、私にはわからない。しかし、私は私で、単純な生活を欲している。それが大それたことだというなら、せめても単純な生活を夢みている」
こういう記述もある。夕刻に自宅の近くに出かけ、焼き鳥屋など馴染みの店をのぞいた後のくだりである。「それで物足りなければ、もう少しなにか食べて飲む。これで私の晩めしは終わりである。あとは大人しく帰宅すべきであるが、そこがそうは簡単に行かぬところに男どもの難問がある。飲むほどに酔うほどに、しだいに人恋しくなり、梯子をやる羽目になる」と記してある。
この辺りはよく分かる。私もそうだ。いや、そうだったと記すべきか。会社に勤務していたころ、特に東京にいるころは、飲み屋から電話をかけて友人を呼び出したこともあった。今はそういうことは皆無に近くなった。寂しくとも思わない。人生にはそれぞれの年齢、場面に相応しい振る舞い方があるのだろう。
今は飲み屋に足を運ぶのは週に一回ほど。週末の夕刻、馴染みの居酒屋をのぞくだけ。「とくちゃん、いらっしゃい!」というママの元気な声に迎えられて、カウンターの隅っこの定席に座り、見知った常連さんがいれば、その人と雑談。話し相手がおらず、お店が忙しければ、お店の人たちともろくに話をしないまま、黙々と焼酎のグラスを傾け、一時間程度で引き上げる。ほろ酔いのいい感じだ。(ちなみに私は最初の夜に、キープした焼酎のボトルに名前を書く際、「匿名希望」と書いたので、それ以来、ずっと「とくちゃん」と呼ばれている。これも悪くない)
上記の作家の「単純な生活」はもうあと少しで読了するところまで来ている。読みやすい平易な文章だ。タイトルは英語だと “Simple Life” と訳すのだろう。私の生活と似て非なるような。もっとも、私のは人様からみれば「単調な生活」に見えるかもしれない。