- 2017-04-23 (Sun) 17:24
- 総合
謝恩会でもらった花。花びらは散ってしまった。しかし、緑の葉はまだしっかりしており、まだ捨てるにしのびないので、毎朝水を入れ替え、窓辺に置いている。花瓶から吸い上げる水の量は段々少なくなっているものの、水を入れ替える度に花が息づいていることを教えてくれる。緑の葉に口を近づけ、「ありがとうね。まだ大丈夫かな。今日も元気で!」などと声をかける。はたから見たら、おかしいかもしれないが、当人は結構真面目だ!?
植物が生き続けるには水と空気、それに日光が必要? 人間が生き続けるにはそれらのものに加え、食物が不可欠。それで朝夕、台所に立つが、日々水洗いをしていると右手の親指がひび割れ、冬の時期にはときに痛烈な痛みが走っている。コンビニで炊事用の手袋を売っていることを知り、最近これを使い始めたら、右手の親指の荒れが収まった。こんな便利なものがあることにもっと早く気づくべきだった。やはり無知は損をする。
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読売新聞の英語にまつわる週一のコラム「特派員直伝 とらべる英会話」を忘れない限り読んでいるが、違和感を覚えることが少なくない。古巣のことをとやかく言うのはできればしたくないのだが、私がデスクだったらこういう文章は絶対に載せないと思うことも。
最近の記事では「通るわよ! Coming through!」というのがあった。満員電車とかで人混みをかき分けて進む(降りる)時など、進路をあけてもらう際に発する言葉だ。上記の “Coming through!” は効果的な表現だが、「実はネイティブの耳にはかなり無礼でぞんざいな言い方に響くという」とNY支局の記者が書いていた。え、そうなの?
この記事は、“Coming through!” という表現は「かなりぞんざいに響くので、使うのは、よほど重大な事態に限る。すし詰めのエレベーターから降りるような時は Sorry. が良い。例えばニューヨークの満員の地下鉄で Coming through! を使ったら? 試す前に知人に尋ねたら、『けんかになるからやめなさい』と忠告された」と締めくくっている。
書き手が文中で指摘している通り、“Coming through. Excuse me.” などと、周囲の人たちの理解を請う語句を合わせて使った方がベターではある。しかし、“Coming through!” だけだと周りの人たちに不快感を与え、さらにはけんかになることはないかと思う。記者が意見を求めた知人はよほど礼儀正しい人だったのだろうか。理解に苦しむ。
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最近は韓国KBSのドラマを見ることがほとんどなくなった。NHKラジオの韓国語講座で「満足」していることもあるが、それだけではない。韓国ドラマがあまりにも「よく出来過ぎていて」見る気が失せてしまったのだ。私は日本のテレビドラマは全然興味がないので、韓国ドラマがつまらないと言うつもりは毛頭ない。むしろ面白過ぎる。ただ、あれだけ伏線がはってはり、それが絶妙に絡み合っていると、思わず、「それは出来すぎだろ!」とテレビ画面に突っ込みを入れたくなる。
そういう次第でKBSのドラマ放送からはすっかり遠ざかった。そのうちにまた面白いものを見つければはまるかもしれないが、当分はなさそうだ。韓国語よりも中国語の世界により魅せられつつあることも一因してはいる。
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