- 2017-02-17 (Fri) 09:01
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幾らか春めいてきた気がする。昨日は本当に久しぶりに暖房なしでソファーに寝そべり、読書に勤しんだ。もう何度も書いているが、私の住むマンションの5階は西日が半端ではない。日の光が私のつぶらな瞳を直撃するのを避けるために、ハンチングを目深にかぶり、本に向かった。これからの季節は午後の遅い時間がポカポカとして嬉しい。私にとっては至福に近いひとときだ。
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今読んでいるのは、『新華僑四〇年の履歴書 この日本、愛すればこそ』(岩波現代文庫)。書店でたまたま目にとまった本であり、著者は莫邦富(モー・バンフ)氏。1953年生まれだから私と同世代だ。作家、ジャーナリストで、上海外国語大学卒業後の85年に来日。『新華僑』『蛇頭(スネークヘッド』など著書多数。今回初めて知ったが、日中関係ではかなり知られた人物のようだ。
莫氏は高校生の頃、あの文化大革命に遭遇する。広く知られている通り、中国の人々が知的欲求を満たすには過酷な時代だった。下放から休みで上海に帰郷した際に、著者は書店で日本語ラジオ講座のテキストに偶然出合う。以下の記述がある。テキストを開けてみた。五十音図がある。ひらがなの「あいうえお」などは訳の分からぬ奇妙な符号にしか見えない。だが、その符号の下にあるローマ字表記は読めると思った。a 、i 、u 、e 、o ・・・すぐ読めたので、かえって不思議に思った。日本語はこれほど簡単でわずか五つしかない母音を使って構成された言語なのか。人間の豊かな感情を表わすのに必要なたくさんの言葉を、日本人はどうやって作り上げたのだろう。この母音の少ない日本語を使って愛という繊細かつ微妙で豊かな感情を若い女性はどうやって吐露するのだろう。
中国語の独学に苦悶している身として、この述懐にはしばし考えさせられた。母音のくだりは著者の指摘の通りだが、日本語には縦横無尽に使える係助詞がある。だからその分、語順にはそう束縛されることはない。中国語にはそうした自由さはないのではないか。私はいまだに中国語が単語の「ぶつ切り」の寄せ集めにしか思えないことがある。もちろん、そのうちに係助詞などなくとも十分流麗な言語であると感じられるようになるのだろうが。
著者は上海外大で教えていた81年に日本政府の一か月間の研修招待で初来日する。そして4年後の85年には大学の指示で今度は留学を命じられる。行く先は古都京都の京都外大。京都外大を初めて訪れた際の記述が印象深い。
著者は昼時のキャンパスを見て、涙をこぼしそうになったという。涙腺が緩くなったわけではない。学生たちがキャンパスで思い思いにランチを頬張り、談笑する光景にショックを覚えたのだ。文化大革命を経験した著者には大学でのそうした光景は考えられないことだった。悔しかったのだ。なぜ私の大学時代にはこうした平和なひとときがなかったのか。それを考えると、自分たちは時代に恵まれていなかったのだと思い、抑えきれず涙がこぼれそうになったのだ。
先述した通り、私は莫氏と同世代だが、私の学生時代は実にのほほんとしたものだった。莫氏のそれと比較することすら憚られる思いだ。
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