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シュールな一年

  • 2016-12-24 (Sat) 08:26
  • 総合

 今年最後の授業を一昨日、無事に終えた。振り返れば、今年も何だかあっという間の一年だったような気がする。来年は実りある一年をと心から願う。今年が無駄な一年であったとは思わないもののだ。
 先に英米の辞書編纂社が今年の wordとして post-truthと xenophobia を選んだことをこのブログで書いた。その後、アメリカの辞書編纂社がまた別のword を発表したという記事を目にした。今度は surrealだ。Merriam-Webster社によると、これがオンラインの利用者に今年最もチェックされた語だったとか。記事はsurreal の意味として “marked by the intense irrational reality of a dream” と記している。「夢のように強烈で不合理な現実感が特徴」といった意味合いか。この語自体がそうネガティブというわけではないようだが、今年に限って言えば、先述のpost-truthと同じ「肌触り」の語のように思える。ヒラリー・クリントン氏や朴槿恵氏を筆頭に、過ぎ去ろうとしている年が surreal(現実とは思えない)な一年だったと感じている人々は少なくないだろう。
 私はsurrealという語に接するたびに、アフリカ特派員時代に南スーダン(当時は分割前のスーダン)のジュバに出向いた取材体験を思い起こす。ジュバは最近、陸上自衛隊が国連平和維持活動(PKO)の一環で「駆けつけ警護」の新任務を託された上で派遣された地だ。
 私は1980年代末、隣国ケニアのナイロビから内戦取材でジュバに飛んだ。当時は訪問すること自体が容易でない地だった。唯一泊まれるホテルはコテッジ風のジュバホテル。コテッジ風と言えば聞こえはいいが、内戦ゆえに利用客は皆無に近く、建物も老朽化し、侘しさを禁じ得ない宿だった。部屋の水道の蛇口をひねると茶色い水が出た。ホテルのオーナーは毎朝、夜にはスープを出すと言いながら、最後までそのスープは出てこなかった。
 たまたま同宿者に英国人のフリーランス記者がいた。トムという名のこの記者はカイロ(エジプト)から来ていた。ジュバにこの時いた外国人記者はおそらく私たち二人だけだっただろう。何日目かの朝、彼が私に向かって言った。「ショーイチ、今朝、私の部屋の(鳴ることはないと思っていた)内線電話が鳴った。このホテルはsurreal だ!」。ああ、日本語では「シュール」のsurreal という語はこういう時に使うのだなと納得した。
                 ◇
 アルコールの類からは無縁の暮らしを送っているが、ギャンブルもしかり。以前は競馬欄が目当てで毎日のようにスポーツ新聞をコンビニで購入していた。競馬からすっかり足を洗った昨年4月以降、競馬新聞やスポーツ新聞はただの一度も買ったことがない。ただし、週末はケーブルテレビで午後の競馬レースは見ている。もちろん馬券を買う気はさらさらないが、JRA(日本中央競馬会)のホームページで読める出馬表を参考に自分なりの予想を立てるだけで十分楽しい。
 明日日曜日は年末恒例の有馬記念。今年はMQが面白そうだなと思っている。上位人気馬ではないようだから、馬券の妙味はたっぷりある。この馬が一着して大きな万馬券が出たとしても少しも残念に思わないようになったのだから、人間、変われば変わるものだ! 私のこの豹変もある意味、かつての私から見れば、surreal かもしれない。

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