- 2016-11-30 (Wed) 10:21
- 総合
読売新聞の文化欄でとある作家の追悼記事(obituary)を読んだ。伊藤佳一(1917-2016)という名の作家だ。初めて目にする名前だった。先月末、老衰のため99歳で死去。文芸評論家の手になる追悼記事は「この前の戦争と呼ばれるアジア・太平洋戦争で、唯一、評価できるのは、伊藤佳一氏に『静かなノモンハン』という作品を書かせたことではないか、と私は時々考える」と書き出されている。いやはや凄い称賛の記述だ。
伊藤氏の作品は「戦場小説」と呼ばれ、先の大戦での日本人の敗戦体験を歴史的かつ文化論的に見つめ、「日本人」とは何かを徹底的に問い詰めているという。伊藤氏は戦中派の世代の一人であり、加害者であると同時に被害者でもあった「日本兵」の現実に当事者として肉薄できる「最後の証言者」だったとも。『静かなノモンハン』は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』では数少ない参考文献に挙げられている作品だとか。
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ノモンハン。広辞苑で引くと「中国東北部の北西辺、モンゴル国との国境に近いハルハ河畔の地。1939年5月から9月中頃まで、日本の関東軍とソ連・モンゴル軍とが国境紛争で交戦。日本軍が大敗を喫した」と載っている。
日露戦争で味をしめた日本陸軍が中国大陸での権益を固めるために発足した関東軍。1931年の満州事変以後、関東軍は暴走を加速化させていく。ノモンハンでの日ソ衝突が単に「事件」と呼ばれることにいびつさがよく表れている。『静かなノモンハン』は伊藤氏が事件の生き残りの元兵士3人に取材して、1983年に発表。鈴木上等兵、小野寺衛生伍長、鳥居少尉の3人がそれぞれの記憶に基づいてその体験を独白している。不毛の土地を巡り、軍上層部から捨て石のように扱われ、それでも郷里の父母や人々を思い、国のために命を捧げていく第一線の兵士、下級下士官の苦闘が淡々と紡がれている。
鳥居少尉の章では、彼の郷里で弟のように可愛がっていた兵士が爆撃を受けて死亡。少尉は兵士の遺体を草地に埋め、その上に背嚢を置く。停戦が成立し、少尉が自軍兵士の遺骨・遺品を収集して回っていたら、無風にもかかわらず、近くで背嚢の蓋がパタパタと音を立ててめくれている。普通ならあり得ないことだ。少尉はすっかり忘れていた。そこはあの郷里の兵士を埋めた場所だったのだ。そうか、お前は俺を呼んでいたのか。悪かった。気づかなかった。今、お前の遺体を掘り返して焼いてやるぞ!
文庫本には司馬遼太郎氏との対談も収録されていて、これも実に興味深く読んだ。司馬氏もノモンハン事件についてはかなりの期間調べたが、ついに書かなかったことが明らかにされている。彼は次のように語っている。「ぼくは、ノモンハンについて考えてゆくと敗戦までの日本国家そのものまで否定したくなります」と。「日本の高級軍人というのは、軍事そのものがわからなかったですな。彼らにあるのは、官僚としての出世だけだったのでしょうか。だから国際政治がどうであるかもわからない。そんな連中に国家を委ねていたのかということで、もし僕がノモンハンを書くとしたら、血管が破裂すると思う」とも。
あの悪名高き関東軍の上層部は実に愚かな軍人の集まりだったようだ。それにしても、私は追悼記事でようやく伊藤氏のような作家の存在を知るとは、実に情けない!