- 2016-09-12 (Mon) 08:00
- 総合
韓国語、中国語の学習を始めて以来、英語で書かれた小説の類を読む時間がぐっと減ってしまった。「二兎を追う者は一兎をも得ず」(If you run after two hares, you will catch neither.)ともいうから、これは致し方ないか。凡夫の私には韓国語と中国語だけで十分「二兎」になっている。
間もなく始まる後期の英語の授業の一つでは短編小説の翻訳について語る予定であり、久しぶりに書店の洋書コーナーをのぞいた。何か参考になる新刊は出ていないか。あった。“The O. Henry Prize Stories” (The Best Stories of the Year 2015) という短篇集だ。実は授業では米文学に足跡を残した短編の名手、オー・ヘンリーの作品を紹介するつもりでいる。この作家の名を冠した米文学の賞があるとは知らなかったので、迷うことなく購入した。
「オー・ヘンリー賞」とはアメリカとカナダで刊行された雑誌に掲載された短編の中から毎年、20人の作家の秀作を選出しているのだとか。現役の作家の作品だから、いろいろと参考になる現代英語表現が見つかるかもしれない。頭から読み始めてみた。最初の作品は特段秀作とも思えなかったが、二作目は良かった。実父と姉を相次いで失った語り手の女性が死後の世界に思いを馳せる次の文章が印象に残った。私たちは肉体が朽ちることですべてが終わるのだろうか。死後の世界があるのだろうか。It’s such a strange thing—that once you are dead, you do know the answer, if you know anything at all. But whatever the answer is, you can’t communicate it to the ones who are still alive. And before you die, you can’t know, whether we live on in some form, after we die, or just come to an end.
三作目は東アフリカのケニアが舞台となった短編。アメリカからバケーションでやって来た冒険好きの若いヒロインとケニアに長く住むイギリス出身の白人入植者の夫婦のやり取りがさもありなんという筋立てで、懐かしく思いながら読み進めた。ページを繰る手がとまったのは、地元の人々やリゾート客が足を向けないインド洋に面した静寂な入り江でヒロインが一人泳ぐ場面で、彼女の得意な泳法が書かれている。Liana considered herself a strong swimmer, of a kind. That is, she’d never been comfortable with the gasping and thrashing of the crawl, which felt frenetic. But she was a virtuoso of the sidestroke, with a powerful scissor kick whose thrust carried her faster than many swimmers with inefficient crawls (much to their annoyance, as she’d verified in her college pool).
私はプールで横泳ぎをよくやる。他にしている人を見たことがない。横泳ぎをしながら、時々英語では何と呼ぶのだろうかと思っていた。なるほど、sidestroke と呼ぶのか。私はヒロインのようにクロールをしている人々を嫉妬させるほどの名手でもない。文字通り「下手の横好き」なのだろう。
上記の短編は以下、横泳ぎが顔を常に水面の上に出した泳ぎ方のため、せわしい息継ぎの必要がなく、沈思黙考ができる(contemplative)とその利点を述べている。その通り。クロール(crawl)は気ぜわしい泳法で息継ぎに忙しく、考えごとをするには不向きだ。平泳ぎ(breaststroke)も息継ぎは必要で私にはせわしい。だから私はゆったりと漂うような横泳ぎを好む。もっともあくまでプールのレーンが空いている時の話だが。
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