Home > 総合 > 「謝謝」と「感謝」の間

「謝謝」と「感謝」の間

  • 2016-09-05 (Mon) 14:53
  • 総合

 台風一過の月曜日。爽やかな秋晴れとはいかないが、それでも部屋の温度計は27.6度。これなら扇風機もいらない涼しさだ。これからしばらくは大好きな秋が続く。読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋だ。食欲の方は田舎に帰省したり、釜山に旅したこともあって、らっきょう酢から遠ざかっていた。数日前、久しぶりにゴボウとゴーヤ、ダイコンを酢漬けした。タマネギにニンジン、キュウリあたりが加われば万全か?
 NHKラジオ講座も9月の新しいテキスト。中国語は簡体字を眺めているだけで心が弾む。これだけでいかにも新しい漢語の世界が目の前に広がっていると感じる。合わせて掲載されているピンインと呼ばれるローマ字表記を頼りに発音を試みる。これが実際にどう発音されるのか。ラジオ放送が楽しみになる。テレビを見ていて中国人がとても流暢な英語をしゃべっているのを見てこれまで不思議に思っていたが、中国語の複雑な発音の世界に触れて、何となく理解できるような気がする。
 読み終えたばかりの『はじめての中国語』(相原茂著 講談社現代新書)。例によってマーカーを走らせた部分を拾うと————。
 日中同形語といっても、字形が共通(あるいは類似)なだけで、発音はまったく別物! 目で見て分かった気になると、「見て極楽、聞いて地獄」というハメになりかねません。漢字は両刃の剣です。
 日本語とのもう一つの違いは、SVOの語順でした。ただし、文頭のSは中国語では義務的なものではありません。英語のようにIt とかTheyなどの形式主語を無理に立てる必要はなく、この点はむしろ日本語に似ています。主語の必要度を大雑把に述べれば、「中国語は英語のように義務的ではない、しかし日本語ほど自由に省略もできない」といえましょう。
 これは中国語中のもう一つの大きな特徴ですが、ほとんどの動詞(フレーズ)や形容詞(フレーズ)が、そのままの形で目的語にも主語にもなり得るのです。

 日本が生んだ世界に誇る文豪、夏目漱石は漢文に秀でていて、終生、漢文に親しんだという。今の世に生きていれば、日本人の若者が英語だけでなく中国語も学習すべきと訴えていたかもしれない。かもだ。『中国人の論理学』(加地伸行著 ちくま学芸文庫)に興味深い記述がある。最末尾の第六章「<名>優先の日本人と<実>優先の中国人と」の中で、著者は日本人と中国人との相違について次のように説明している。
 中国人にとってことばは常に実質を持っていて、中身が濃い。だから、中国人から言わせると、日本人のように何度もお礼のことばを言うのは、その一回ごとの中身が薄い、すなわち誠意がないということになる。けれども、日本人にしてみれば、何度も何度もお礼を言うのが、誠意を表すことになるのであるから、帰国後、礼状も出さないと言って怒るのがしぜんである。これを、ことばを成り立たせている形式と内容とに分けて言えば、中国人は内容を、日本人は形式を、より重視すると言える。
 私は日本人と中国人の言葉は精神の基部においてかなり異質のものがあるのではないかと思っている。上記の辺りを読んでその感をますます強くした。いつか中国を旅するようになった時に改めて考えてみたいことの一つだ。上記の文章に続く関連の記述は続で。

 中国語の基礎単位である漢字自身を突きつめて見てみると、一つの漢字の中に、写そうと思っている対象の意味が、そこに濃厚にこもっている。ことばの意味が充実しているので、中国人はそこから外れないように外れないようにと努力しているということが言える。
 ところが日本語の場合は、中国から漢字を取り入れはしたが、外国人であったため、その文字の語感をついに体得しえず、表面的な翻訳、一応の意味の理解にとどまり、漢字を日本語の場合にあてはめるという表音的な使用の性格が強い。このため、漢字を使っても漢字が本来持っている濃密な意味合い、「太陽」なら「太陽」、「山」なら「山」という濃密な意味合いが弱体化する。この弱体化を補うものとして、日本語には、例えば助詞とか助動詞とか、或いは活用形と言われているような、話す本人が自分の判断や感情を表わすことばというものを持っていて、これが非常に発達している。
 例えば、「感謝します」ということを言い表わす場合に、現代中国語だったら「謝謝シェシェ」。感謝の意味をあえて強く表わすとしても四文字の「謝天謝地」(天に謝し地に謝す)、これぐらいで終る。それ以上のことばは使わない。使ったらかえっておかしい。かえって皮肉に聞こえてしまう。「謝謝」ということばに、十分に中身の濃い感謝の気持がこもっているからである。
 ところが日本語の場合、「感謝」ということばを借りるだけであるから、その中身が薄まっている。そのために、たくさんのことばを補う。例えば「心から、本当に、大変、厚く、感謝申し上げます」というように。こうしたことばを聞いても、われわれは少しも不自然に思わない。(以下略)

Home > 総合 > 「謝謝」と「感謝」の間

Search
Feeds

Page Top