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記憶に刻まれた愛ちゃん

  • 2016-08-24 (Wed) 12:20
  • 総合

 帰福。福岡はまだ暑い。夕刻はサウナ状態だ。郷里の田舎も昼間はさすが少し蒸したが、朝夕はぐっと涼しくなっていた。明け方は毛布さえ欲しいと思ったほどだ。ネット通信など文明の利器の恩恵は受けること能わずだったが、リオ五輪はテレビでたっぷり視聴した。
 ずっと昔に、国が成り立つには人々の「ともに生きる意思」と「共通の記憶」があって初めて可能といった類のことを読んだ記憶がある。リオ五輪に関していえば、日本国民が今後ずっと抱く共通の記憶は①女子卓球団体で愛ちゃんたち3人娘が根性でゲットした銅メダル②天才内村航平が率いた男子体操団体の不屈の金メダル③男子陸上韋駄天4人組が400リレーを快走した銀メダルに尽きるかと思う。特に愛ちゃんの涙に濡れた笑顔が素晴らしかった。
                 ◇
 かくいう次第で、帰省中にはほとんど本を読まなかった。読んだのは一冊だけ。『中国再考 その領域・民族・文化』(岩波現代文庫 葛兆光著)。以下、例によってマーカーを走らせたところを記しておきたい。現代中国が秘めている危機的状況が詳述されていた。
 古代中国人は長きにわたって「天下観」にずっとこだわり続けてきた。その理由について、中国は仏教以外の真の外来文明による挑戦を受けたことが一度もなかったため、中国人は自分こそが天下の中心で、漢文明こそが人類文明の頂点であると終始信じてきたためであろうと筆者は考えている。
 筆者は、膨張し続ける中国が持つ、自国の伝統・色彩・価値を「発揚」させたいという非常に強い焦りは、実は清朝末期中華民国初期からずっと増大し続ける精神的プレッシャーとなっており、「富強を求める」強烈な願望と「天朝大国」であった歴史の記憶が、中国が百年来たえず「流行の服を拾い上げて身に着け、また脱いでは着替える」原因となったと強く感じている。
 この東北アジア(中国・日本・韓国)は地理的に相互に接近し、その伝統と歴史の上でかなり深い共通のルーツをもっているが、十六、十七世紀以来、相互に大きな偏見、敵意、不信感を抱き、その状態が今日に到るもなお続いているということである。
 こうした議論の感情的な要素はしばしば中国が長期にわたって受けた屈辱と圧迫に対する激しい反抗からきている。そのため、中国が次第に強大になるにあたって、すぐに一種の感情を、まさに一部の研究者が述べたように、百年来西側は中国に対して略奪、圧迫、陰謀を試みたが、今や彼らが危機に見舞われており、中国はまさに強大となり、西側を救わねばならず、その結果「未来には中国人が政治的に全人類を統一して世界政府を樹立する」と言っているような感情を生みだしている。

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 さて、明日から一週間ほど、また釜山の旅に出る。特段のあてもない。迷走する台風10号の進路が気にかかるが、フェリーのチケットを予約済み(往復7,900円)。今度はどんな出会いが待っているのか。あまり期待はしていないが、言葉(韓国語)も少しはましな会話ができるようになっているだろうか。帰省中にはお袋の命日の12日に少しだけ焼酎を飲んだ。異国の旅にしあれば、向こうの酒を少しだけまた味わっても罰は当たらないだろう。

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