- 2016-07-08 (Fri) 14:11
- 総合
久しぶりに英BBC放送で、トニー・ブレア英元首相がマイクに向かっているところを見た。2003年の米英イラク戦争で英国を参戦に導いた判断の是非を検証した独立調査委員会の報告書発表を受けた6日の記者会見だった。
独立調査委員会はこの日、イラクのサダム・フセイン大統領が当時世界平和に及ぼしていた脅威について、フセイン政権を軍事的に打倒するのが唯一の残された選択肢ではなかったとの見地から、参戦に踏み切ったブレア元首相の判断は誤りだったと断じた。日本のメディアでもそれなりに報じられているかと思う。朝日は「英調査委、ブレア政権を批判」「イラク参戦『最後の手段でなかった』」との見出しで、朝刊準トップの扱いで中面でも大きく紙面を割いている。購読している読売新聞も一面で報じていたが、扱いはかなり地味な印象だった。
イラク戦争の開戦から13年、調査委の発足から7年の歳月を経てまとめられた報告書は字数にして約260万語の膨大な量。文豪シェイクスピアの全作品を集めてもその3倍を超える字数だという。調査委の報告書を受けて英メディアではブレア元首相を「断罪」する厳しい論調の記事が相次いだ。英軍が直接にかかわった2003年3月から09年7月までの間に戦死した英兵は179人。兵士の遺族らは彼らの子供は犬死にしたのであり、ブレア氏は“the world’s worst terrorist” であると声高に非難している。
ブレア氏は報告書発表を受け、2時間近い記者会見で、首相としての責任は全面的に認めるものの、「私の決断は(当時の)最善の選択であり、この国をミスリードしたわけではなく、嘘偽りもなかった」と自己弁護に徹した。
時に思う。仮にあのイラク戦争がなかったとしたなら、世界は今どういう状況になっているだろうかと。少なくとも、フセイン政権が世界を大量破壊兵器による戦火に引きずり込んだ危険性は少なかったと今では推測できる。ブッシュ米・ブレア英政権が開戦の根拠として主張した大量破壊兵器(WMD=weapons of mass destruction)は結局、イラクからは見つからなかった。私の記憶では当時、フセイン政権がアル・カーイダを率いていたウサマ・ビンラーディンを陰で支援していたとの疑惑も開戦に傾く一因だったような気がするが、その後、両者はむしろ「敵対していた」ことも判明している。
イラク戦争が開始された当時、私は大阪の新聞社で英字新聞の編集作業に携わっていた。中東問題の専門家ではないが、フセイン大統領がまだ健在だった1990年夏にバグダッドを取材で訪れたことがある。当時のイラクの閉塞的な社会を目の当たりにしてフセイン独裁政権の恐ろしさは容易に想像できた。
まだ野党党首時代のブレア氏をロンドンで間近に取材したことがある。6日の会見での苦渋の表情に溌剌とした当時の面影を見いだすのは難しい。さらに難しいのは、ブレア氏が会見で語った “I believe I made the right decision and the world is better and safer as a result of it.”(私は正しい決断をしたのであり、その結果世界は今、より良く、より安全となっている」との主張に素直にうなずくことだろう。我々が普通に抱く価値観に敵意を抱くイスラム過激派によるテロの蛮行のニュースが国際社会から絶える日はない。
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