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語学はイメージ力

  • 2016-07-01 (Fri) 10:29
  • 総合

20160701-1467336853.jpg 例によって備忘録的読書ノート。『同時通訳者の頭の中』(関谷英里子著・祥伝社)を読んだ。書店で目に入ったので購入したが、今年出たばかりの本だ。表紙には「あなたの英語勉強法がガラリと変わる」という文言が付記されている。帯にはさらに「英語を伸ばしたければ、『ふたつの力』を鍛えなさい。カリスマ同時通訳者が教える、ビジネスの現場で使える英語の学び方」とうたってある。
 著者の関谷氏は日本通訳サービス代表。NHKラジオ講座「入門ビジネス英語」で人気を博し、彼女が催す英語セミナーは常に満席とか。カリスマ同時通訳者として知られ、サンフランシスコ在住と紹介されている。
 読んでみて、同時通訳者の頭の中がそう見えたわけではなかったが、参考になったことがあり、以下に記しておきたい。
 著者は第1章の「同時通訳者の頭の中」の項で次のように書いている。「私」の中は目や耳から得たスピーカーの情報がイメージ(映像)となって浮かび上がり、そのイメージを私は言葉にします。(中略)ある言語の言葉を別の言語の対照する言葉に直すという作業ではなく、ある言語で表現されたことが瞬時に映像、イメージとして頭の中に映し出され、それを別の言語で表現します。つまり、同時通訳者の頭の中を再現するには「イメージ力」が鍵になってきます。
 さらに次のような指摘もある。「イメージ力」は、一朝一夕にはつきません。たくさんの単語と出会い、それらを掘り下げることでしかイメージする力はついていかないため、こうしたひとつひとつの積み重ねが総合的な力になって、英語で話された内容を「言葉」としてではなく「イメージ」、要は情景や映像でとらえやすくなるのです。
 これは私も同感。私には同時通訳者のような離れ業はとてもできないが、小説などを読んでいて、特に難解な個所に差しかかった際などには、書かれている情景を頭の中に映画の一コマのようにイメージすることがある。文章が難解であればあるだけ、この方法は役立つかと思う。逆に言えば、映像やイメージとして頭に浮かべにくい描写はあまりいい文章ではないのではとさえ思う。私はそう考えている。
 授業でよく引き合いに出すのは、トルーマン・カポーティの名作 “In Cold Blood”(邦訳『冷血』)の結末部だ。拙著『アメリカ文学紀行』でも書いたが、結末のくだりは私には一幅の絵画を観ているような感覚に陥る。少女から大人に成長した娘が足早に霊園を去って行くシーンが頭に浮かぶ。いつかこのような冴えわたった文章を書いてみたいとも願う。(『文学紀行』で紹介したそのくだりは続で)
 関谷氏は次のようにも注意を喚起している。似たような指摘は他の本でも目にしている。この指摘は日本人には女性でも男性でも同じことが言えるような気がしてならない。英語を話すとき、私は日本語で話すときよりも低めの声で話しています。もともとアジア人、日本人の風貌は実際の年齢よりも若く見られがちなので、声が高いと子供っぽい、頼りない印象を相手に与えてしまうからです。(中略)日本では人気の「かわいい」ですが、欧米のビジネスの世界ではそれほど評価されません。

“And nice to have seen you, Sue. Good luck,” he called after her as she disappeared down the path, a pretty girl in a hurry, her smooth hair swinging, shining—just such a young woman as Nancy might have been. Then, starting home, he walked toward the trees, and under them, leaving behind him the big sky, the whisper of wind voices in the wind-bent wheat.(「スー、また会えて良かった。元気でね」と彼は立ち去って行く彼女に声をかけた。彼女はきれいな髪の毛を風になびかせ、きらめかせながら、急いで駆けて行く。ナンシーが生きていれば、まさに彼女のように成長していたことだろう。ほどなく、彼も木々の下を自宅に向かった。背後には空が大きく広がり、風に揺すられた小麦が波打ってささやき合っている)
{『アメリカ文学紀行』カポーティの項はhttp://www.kankanbou.com/usa/item_72.htmlで}

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