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グギ氏評伝

  • 2015-08-15 (Sat) 09:31
  • 総合

 一週間ほど宮崎の郷里に戻っていた。いつものように長姉の家に。山の中腹にある農家だから朝晩は時に肌寒さを覚えるほど涼しい。パソコンでのネットが不能なため、情報機器から解放されて読書三昧の日々を送ることができた。
                 ◇
 田舎に持参したのは『評伝 グキ・ワ・ジオンゴ=修羅の作家』(第三書館)という本だ。「現代アフリカ文学の道標」という副題が付いており、800頁を超える分厚さ。著者はアフリカ研究が専門の大学教授、宮本正興氏。図書館で偶然目にしたが、ケニアの著名な作家の評伝で、昨年秋に刊行されたばかりとあっては読まないわけにはいかない。
 日本でグギ・ワ・ジオンゴという作家の名前を知っている人は稀だろう。アフリカに多少なりとも関心のある人なら彼の代表作 “A Grain of Wheat”(『一粒の麦』)は必読だ。1938年ケニアのリムル生まれ。有力部族の一つ、キクユ族(宮本氏はギクユと表記)の出身で、東アフリカで64年に初めて英語で小説を書いた作家であり、63年の独立後のケニアの政治の現状を厳しく糾弾する作品で当時の独裁的なモイ政権から疎まれる。私が新聞社のナイロビ支局に勤務した80年代末はすでに欧米での亡命生活を余儀なくされていた。
 評伝はグギが母語のキクユ語で作品を書く(発表する)ことに抱いているこだわりを詳述していた。彼にとって英語は植民地時代の名残であり、言語としての重要性はキクユ語、さらには東アフリカ一帯の共通語、スワヒリ語が上回る、と彼は考えている。この点が他のアフリカ出身の作家と異なるところだ。例えば、グギと並び、アフリカを代表するナイジェリアの作家、チヌア・アチェベ(2013年死去)やノーベル文学賞受賞のウォレ・ショインカたちは英語で作品を書き、発表することに特段の抵抗はない。
 評伝からグギの言葉を拾うと————。「イギリスの植民地主義者がはじめてケニアへやって来た1885年、彼らはケニア人の文学は邪悪である、ケニア人の文化は悪魔であると宣伝した」「ケニア文学を発展させたいなら、ギクユ語、ルオ語、カンバ語、ソマリ語、ギリアマ語、もちろんスワヒリ語も含めて、ケニアの民族諸言語で書かれるべきだ」「ギクユ語やスワヒリ語で小説を書けば、私は農民や労働者と直接の対話を持てることになる。私は農民や労働者が消費できるような文学を生産したい」
 82年に発表された “Devil on the Cross”(『十字架の上の悪魔』)は実に面白い作品だ。ケニアの新興ブルジョアがいかに民衆から富を略奪しているかを自慢し合う破天荒な物語で、最初キクユ語で書き、それを著者自身が英語に翻訳。著者の持論の是非はともかく、英語で書かれてこそ海外の私たちも味わえる。
 私は作家本人には会ったことがないが、特派員時代にリムルの家を訪ねたことがある。彼がリムルに残した奥さんがいて、応対してくれた。ケニアの伝統的な家屋の壁に、作家が亡命せざるを得なかった独裁政権のモイ大統領の肖像画が普通に掲げてあったことを覚えている。ケニアは今は複数政党制になり、グギ氏も2004年に一時帰国しているが、暴漢に襲われるなど不本意な帰郷となったようだ。アフリカの多くの国々と同様、政治腐敗や犯罪の多発に苦しむ祖国の現状は彼が夢見た平等な社会の理想郷からは程遠いのが実情だ。

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