- 2024-12-18 (Wed) 12:43
- 総合
新聞記者として新入社員時代を過ごしたのは東京・八王子支局。当時の後輩記者(彼はまだ現役)からEメールが送られてきた。写真が添付されていた。八王子支局で一緒に勤務した仲間が先日十数人集まった飲み会の記念写真だ。東京のどこか、中華料理店とおぼしき宴会場。全員還暦過ぎの好好爺が円卓を囲んで微笑んでいる。何人かはすぐに分かったが、分からない人も。はてこの御仁は誰だろう。じっと見つめていると面影が往事に重なり、記憶の糸がつながった。おお、あの人か。総じて言えることは皆、年相応の中高年になっていたことだ。懐かしくもあり、寂しさも禁じ得なかった。
私は京都から実兄一家が来福していて、残念ながら上京することはできなかった。添付されていた写真を眺めていてしばし感慨に打たれた。駆け抜けていった歳月の長さに改めて思いを致さざるを得ない。あれから半世紀近く経過しているのか。
私は大学で留年を重ね、卒業した時には25歳になっていた。優秀な学生だったら大学院を卒業していた年齢だ。お袋に泣かれ、教授連にあきれられ、ようやっと卒業した。教育学部だったのでそのまま中学か高校の教師になっていれば、また違った人生を歩んでいたことだろう。英語が好きだったので英語力を活かそうと選んだのが新聞記者の仕事。田舎の地方大学出だったので、編集局幹部が都内にある支局に送り出してくれたものと思われる。
支局勤務は5年。当時は平均的な年数だった。それから東京・大手町の本社に異動となり、最終的に希望する国際部(当時は外報部)に配属された。国も社会も私も夢と希望に満ちていた時代か。あれから45年――ほぼ半世紀。それだけの歳月が流れているとは信じ難い気もするが、支局の仲間の写真を眺めていると納得せざるを得ない・・・。
大学時代の同窓生とは没交渉。同窓は5,6人はいたと思うが、私は怠惰な留年生であり、しかも一人だけ教職の道を選ばなかったのでそれも致し方ない。同窓生とは大学以来一度も会っていない。皮肉なのは彼らが長年の教師生活に別れを告げる頃、私はようやく教壇に立ち始めていること。私は昔からスロースターターだった。そんな私でも心に秘めていることがないではないが、はてさて今の暮らしをいつまで続けられるのだろう・・・。
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ロンドンに住む旧知の友人一家にクリスマスプレゼントを郵送したことは過日、ここに記した。送料はともに6000円。送り状に不備があり、返送されて、再び、同じ送料を払い、再送したことがあり、それがトラウマになっている。今回もパソコンで送り状を打ち込むのに苦労した。アナログ人間の私はこういう作業がどうも苦手だ。今度も同じ憂き目に遭うことになるのではないかと危惧しながら、送り状を作成した。
自宅に戻ると、郵便受けに郵便局からそうした通知が舞い込んでいるのではないかと不安な日々を過ごしている。幸い、まだそのような通知は届いていない。何とか、無事先方に届いて欲しいと願っている。一番むごいのは何とかやり過ごしたかとほっとしている時に、送り状に不備あり、きちんと書き直して再送されたしとの連絡が入ることだ。再送する気力は失せてしまう。プレゼントを受け取れない子供たちの落胆がよく分かる。再びそうなればまたパソコンに向かうことになるだけだが、身から出た錆とはいえ・・・。
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