- 2023-08-17 (Thu) 10:35
- 総合
チェコ出身の作家ミラン・クンデラ氏の代表作 “The Unbearable Lightness of Being”(邦訳『存在の耐えられない軽さ』)を読み進めている。1968年に旧ソ連に踏みにじられた「プラハの春」が背景にある作品だと理解していたが、旧ソ連を引き継いだロシアが今牙をむいているウクライナ侵略を想起せずにはおれない記述に手が止まる。
All previous crimes of the Russian empire had been committed under the cover of a discreet shadow. The deportation of a million Lithuanians, the murder of hundreds of thousands of Poles, the liquidation of the Cremean Tatars remain in our memory, but no photographic documentation exists; sooner or later they will therefore be proclaimed as fabrications. Not so the 1968 invasion of Czechoslovakia, of which both stills and motion pictures are stored in archives throughout the world. (ロシア帝国による過去の犯罪は人目を引かない密やかな形で行われた。百万人に上るリトアニア人の国外追放しかり、何十万人ものポーランド人殺害しかり、クリミア半島からタタール人の存在を抹殺することしかり。こうした蛮行は我々の記憶に残ってはいるが、映像や写真としては記録されていない。やがてそうした事実は存在せず、でっち上げだと否定されることだろう。1968年のチェコスロバキア侵略はそうはいかない。世界中に写真や映像が記録となって蓄えられているからだ)
翻ってロシアによるウクライナ侵略。どちらに非があるかは明々白々だ。ウクライナの一般市民が圧倒的火力を誇るロシア軍の砲撃を受け、むごたらしい最期を余儀なくされていることは疑う余地などない。とても a discreet shadow などと形容できるものでないことは小学生にでも分かるだろう。だれもこの狂気に終止符を打つことはできないのだろうか?
ところで、“The Unbearable Lightness of Being” には謎めいた男女の愛憎関係も描かれている。例えば、Sabina というチェコから逃れてきた画家の女性が愛人となった男性Franz の奥方であるMarie-Claudeに無礼な扱いを受けるシーン。Sabinaは手作りのペンダントを首にかけ、Marie-Claudeの邸宅で催されたカクテルパーティーに初めて足を運ぶ。Marie-Claudeはそのペンダントを目にして周囲に他の訪問客がいるにもかかわらず、大きな声で叫ぶ。“What is that? How ugly! You shouldn’t wear it.” 彼女には悪意はなかったようだが、旦那のFranzは妻は他人に対しお世辞を言うことが習性のようなって久しい(flattery had long since become second nature to her)ことが分かっており、驚きを隠せない。
しかしすぐに彼は理解する。なぜ妻のMarie-Claudeが初対面のSabina に対して彼女のペンダントを酷評する挙に出たのかを。妻が二人のただならぬ関係を嗅ぎ取ったからではない。Sabina はMarie-Claudeが主宰する画廊で作品展を開いたことがあるが、評判はあまり芳しくなかった。次のように書かれている。Yes, Franz saw plainly: Marie-Claude had taken advantage of the occasion to make clear to Sabina (and others) what the real balance of power was between the two of them.(そう、フランツははっきりと分かった。マリークロードはこの機会に乗じてサビナや他の人々に対して二人の立場がどういう上下関係にあるかを知らしめようとしたのだ)。Marie-Claudeのようなご婦人とはお近づきになどなりたくないものだと思う一方、人間関係をバランスオブパワーの語句で形容しているのを面白く感じた。
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