- 2022-01-31 (Mon) 10:27
- 総合
2022年もはや一月が過ぎようとしている。年の過ぎゆくのが早いはずだ。このところ再び猛威を復活させ始めたコロナ禍が一日も早く消え去ってほしいので、時間の経過は望ましいのだが、人生の残り時間を気にするようになった身としては少々複雑な気持ちにもなる。月が変わればすぐにまた新しい誕生日がやって来る。まあ、いかなる人であれ、永久に生きられるわけではないので、じたばたしたところで始まらないが・・。
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中国語と韓国語のNHKラジオの初級講座を平日は毎朝聴いているが、最近、ふと思ったことがある。中韓ともに今は昨年前半の再放送となっている。中国語は再放送とはいえ内容はほぼ忘れており、後刻辞書を引き直して復習せざるを得ない。これが大変参考になっている。韓国語も参考になっているのだが、内容が中国語に比較すると凄く「薄い」気がしてならない。韓国語の方が基礎的な事柄を学ぶ必要が多いからだろうか。よく分からない。いずれにしても、中国語の講座は録音して日中に聞き返しているが、韓国語はそうする気にすらならない。同じ時期に「よーいドン」でスタートしたはずなのに、こうした違いがなぜ生じるのか不思議でならない。
忘れてしまっていた中国語の表現形式に「離合詞」にまつわるものがある。いや、正確には、私はこうした使い方を知らなかったので、「忘れていた」は正確な表現ではないだろう。以下の表現だ。「私は彼に腹を立てた」。 中国語では「我生他的气了」。「生气」が「腹を立てる」「怒る」ということは知っていたが、「彼に腹を立てる」と表現する際には「生气」の間に他(彼)を挟むことまでは知らなかった。これが離合詞の特徴だ。
離合詞は述語と目的語が1つになった語で、この語には初めから目的語が含まれているから、目的語を重ねることはできないのだとか。面白い。だから、敢えて「生他的气」となる。日本語的発想では漢字を見た印象では「彼に対して怒る」というより「彼の怒りを買う」というような意味ではないかと思ってしまうが、そうではないようだ。「卒業する」という意の「毕业」も離合詞で、例えば「大学を卒業する」は「毕业大学」とは言えず、「大学毕业」となる。何のことはない、日本語と同じ語順だ。
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オンラインで続けてきている英語教室「短篇小説を読む」は2月から新しい作品に移ります。この項でも記したようにずっと読んできていたカズオ・イシグロの長編 “Klara and the Sun” を読了しましたので、しばらくは短編に挑戦したいと考えています。格好の作品群を見つけました。私の好きな米作家で短篇の名手、オー・ヘンリーの名を冠した最新のオー・ヘンリー賞を受賞した作品をまとめた本です。書店で買い求めて一読しましたが、興味深い作品ばかりでした。幸い、オンラインで読むこともできる作品もあるようです。詳しくは「書肆侃侃房」の次のサイトをご覧ください。http://www.kankanbou.com/ajirobooks/
なお、小倉駅前のセントシティ11Fのカルチャーセンターで行っている英語教室も継続中です。次のサイトをご覧下さい。https://kokura.mcv.jp/fudangi_eigo/
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