- 2021-12-05 (Sun) 18:47
- 総合
しばらくブログのアップを怠っていたら、何だかさぼり癖がついたみたいだ。書きたいことがないことはないのだが、どうも意欲がわかない。いや、これは言い訳か。本当に書きたいことがあれば、パソコンに向かうのが苦でないはずだ。やはり、これは自分の「精神生活」が充実していないから怠惰に向かいがちになるのだろう。まあ、情けないが、昔からそうした「素質」は十分有していた!
先週日曜日(28日)に福岡市の総合図書館に足を運び、中国の映画を鑑賞した。「福岡日中文化センター」などの恒例の共催イベントで、「愛しの故郷」というタイトルの映画が上映された。中国語のタイトルは「我和我家乡」。家乡は郷里という意味らしい。宣伝チラシには「中国映画界の新たな才能が集結。涙と笑いで心満たされるふるさとの物語」とうたわれていた。確かに「看板に偽りなし」で見応えのある作品だった。なにしろ、5つの物語からなるオムニバスで、全体で2時間半の長さ。
監督総指揮はあの著名なチャン・イーモウ氏。私は「初恋のきた道」を見て以来、彼のファンになった。今回の作品は毀誉褒貶があるだろう。中国の現在の政治体制に対する批判精神が完璧に欠落していると言えばその通りだ。それでも2021年にこうした中国映画が公開されること自体に意味があるのだろう。
オムニバスの一つは初期のアルツハイマー病にかかった老教師がかつて教壇に立った田舎の小学校を再訪する作品。遡ること30数年だろうか。息子が昔の教え子たちに頼み、彼らは朽ち果てた教室を再現し、子どもたちにかつての自分たちを演じてもらう。ホースから放たれた水が屋根から雨となって滴り落ちる。教室内では鶏がうろつき、子どもたちはカラークレヨンがないから、暗い色彩の絵を描いている・・・。
私は宮崎の山間部で育ったが、私が小学生だった60年前でも上記のような光景は見られなかった。このことは何を物語るのか。中国ではそれほどの猛スピードで社会が急激な変遷を遂げつつあるのだと思う。そうした変化に危うさを感じる人も少なくないだろう。それがいいのか悪いのか・・・。
もう一つ記しておきたい。西部の砂漠のような故郷を再訪する男女のお話があった。都市部で華やかな仕事に従事している女性が出てきた。彼女はとても魅力的だった。日本の女優さんであのような魅力を発散できる人がいるのだろうかと思わず自問した。中国のソフトパワーや恐るべしだ!
ところで、私はこの映画を観ていて、笑いを抑えるのに苦労した。抱腹絶倒のシーンも少なくなかった。それで思った。もちろん、字幕があったから大笑いできたのだが、ひょっとして中国語を多少なりとも理解できたので笑いに拍車がかかった可能性ありやなしや。もしそうだったら嬉しいのだが、こればかりは分からない。作品の中で話される中国語を少しは理解できたような気がしないでもないが、でも、それは字幕があったからなのだろう。
まあ、字幕がなくても耳からだけで十分理解できるまでにはまだだいぶ時間がかかるのだろう。地道に普段の努力を続けていくしかないのは分かっている。韓国語もしかりだ。それでも韓国語より中国語の独学の方が楽しいと思うようになって久しい。