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英語でさるく 那須省一のブログ

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再び有馬の時節

20241220-1734702058.jpg 金曜日。普段なら嗚呼、やっと週末だと心がちょっと弾む。この日は高校の今年最後の出勤日だった。とはいっても授業はない。出勤簿にチェックを入れ、年明けからの新学期の授業予定を確認すればそれで終わり。心穏やかな出勤日となった。
 明日からは長い冬休みとなる。いや、欧米のバカンスに比べればそうでもないか。年が明ければほどなく授業が再開される。今冬は何の予定もない。昨年の今頃は正月早々のソウル旅行のことをあれこれ考えていた。そうしたら、正月に能登半島が揺れて、少し後ろめたい気持ちで福岡空港に向かった。高い航空券は支払い済みだし、ドタキャンも痛い。
 今冬は若干台湾行きが脳裏をかすめた。しかし、ネットで格安チケットを検索してその気は失せた。安くても5万円から6万円台。コロナ禍前のそう遠くない昔、往復28,000円程度のチケットで旅していたことを考えると、手を出す気にはなれない。せめて4万円台にまで下がってくれないものか。かくいう次第で海外は諦めた。それに正月ぐらいは両親の眠る田舎に戻り、お墓に手を合わせたいという気持ちもある。これまでは快く付き合ってくれた甥っ子が体調不良で運転が厳しく帰郷は無理。仕方ない。宮崎まで戻り、レンタカーで郷里まで走るか。車のハンドルは久しく握っていない。腰痛が出なければいいのだが・・・。
 とりあえず、仕事納めとして、最近時々のぞき始めたレストランで一人祝杯!
                  ◇
 競馬界の一年の終わりを告げる有馬記念。何度も書いているが、予想だけしてテレビを見る。実際にはテレビではなく、JRA(日本中央競馬会)がレースの生中継を切り取って流してくれるのでその部分だけをパソコンで見る。今年の有馬記念は一番人気にレジェンドと称されているベテラン武豊騎手が乗るドウデュース。すでにGIを5勝しており、実績は十分。この馬を外して連複や連単を買うのは無謀かもしれない。
 まあ、私は今では馬券は買わないで予想だけをして楽しむ派なので無謀も何も関係ない。でも予想するからには当てたい。たとえ実際に夢のような馬券が的中し、実際に電話投票していたら、うん十万円、うん百万円の大万馬券が懐に転がり込んでいたとしても嗚呼惜しかった、本当に馬券を買っていれば良かった!などとは思わない。実際そうしたケースは過去に何回か経験している。悔しくも何ともない。私の理屈はこうだ。現実に私がその馬券を電話投票で購入していたなら、神様がきっと「介入」して当たり馬券とはなっていなかっただろう!
 まあ、たわごとはこのぐらいにして、私の予想馬券は三連単としよう。1着馬はJP、2着馬は上記のDD、3着馬までは絞り込めないから、手広く流す。出費は100円で流せば、1,400円。1,000円で流せば14,000円で済む。うまく行けば、結構な万馬券となる可能性を秘めている。とここまで打ち(書き)、念のため出走頭数を確認しようとスマホをチェックすると、なんとドウデュースが「歩様異常」のため出走取り消しというニュースが報じられている。馬券師たちは予想を組み直さなくてはならない。私は単にレースを楽しむだけにする。JPが先頭でゴールインすれば、それで十分だ。おそらくそうはならないだろうが・・・。

嗚呼八王子支局!

 新聞記者として新入社員時代を過ごしたのは東京・八王子支局。当時の後輩記者(彼はまだ現役)からEメールが送られてきた。写真が添付されていた。八王子支局で一緒に勤務した仲間が先日十数人集まった飲み会の記念写真だ。東京のどこか、中華料理店とおぼしき宴会場。全員還暦過ぎの好好爺が円卓を囲んで微笑んでいる。何人かはすぐに分かったが、分からない人も。はてこの御仁は誰だろう。じっと見つめていると面影が往事に重なり、記憶の糸がつながった。おお、あの人か。総じて言えることは皆、年相応の中高年になっていたことだ。懐かしくもあり、寂しさも禁じ得なかった。
 私は京都から実兄一家が来福していて、残念ながら上京することはできなかった。添付されていた写真を眺めていてしばし感慨に打たれた。駆け抜けていった歳月の長さに改めて思いを致さざるを得ない。あれから半世紀近く経過しているのか。
 私は大学で留年を重ね、卒業した時には25歳になっていた。優秀な学生だったら大学院を卒業していた年齢だ。お袋に泣かれ、教授連にあきれられ、ようやっと卒業した。教育学部だったのでそのまま中学か高校の教師になっていれば、また違った人生を歩んでいたことだろう。英語が好きだったので英語力を活かそうと選んだのが新聞記者の仕事。田舎の地方大学出だったので、編集局幹部が都内にある支局に送り出してくれたものと思われる。
 支局勤務は5年。当時は平均的な年数だった。それから東京・大手町の本社に異動となり、最終的に希望する国際部(当時は外報部)に配属された。国も社会も私も夢と希望に満ちていた時代か。あれから45年――ほぼ半世紀。それだけの歳月が流れているとは信じ難い気もするが、支局の仲間の写真を眺めていると納得せざるを得ない・・・。
 大学時代の同窓生とは没交渉。同窓は5,6人はいたと思うが、私は怠惰な留年生であり、しかも一人だけ教職の道を選ばなかったのでそれも致し方ない。同窓生とは大学以来一度も会っていない。皮肉なのは彼らが長年の教師生活に別れを告げる頃、私はようやく教壇に立ち始めていること。私は昔からスロースターターだった。そんな私でも心に秘めていることがないではないが、はてさて今の暮らしをいつまで続けられるのだろう・・・。
                  ◇
 ロンドンに住む旧知の友人一家にクリスマスプレゼントを郵送したことは過日、ここに記した。送料はともに6000円。送り状に不備があり、返送されて、再び、同じ送料を払い、再送したことがあり、それがトラウマになっている。今回もパソコンで送り状を打ち込むのに苦労した。アナログ人間の私はこういう作業がどうも苦手だ。今度も同じ憂き目に遭うことになるのではないかと危惧しながら、送り状を作成した。
 自宅に戻ると、郵便受けに郵便局からそうした通知が舞い込んでいるのではないかと不安な日々を過ごしている。幸い、まだそのような通知は届いていない。何とか、無事先方に届いて欲しいと願っている。一番むごいのは何とかやり過ごしたかとほっとしている時に、送り状に不備あり、きちんと書き直して再送されたしとの連絡が入ることだ。再送する気力は失せてしまう。プレゼントを受け取れない子供たちの落胆がよく分かる。再びそうなればまたパソコンに向かうことになるだけだが、身から出た錆とはいえ・・・。

推測に過ぎないが・・

 ギャンブルから足を洗って久しい(と思っている)。パチンコ店には散策途中に尿意を催した時にトイレを使わせてもらうために入店しているが、台の前に座ることはない。台の機種の特徴も忘れてしまった。競馬は記憶、かつ推理のゲームだから、これまでの蓄積を捨て去るのは忍びなく、自分なりにフォローしている。未練があるわけではない。いつぞや書いたことがあると思うが、御年80歳に達し、その時点で健康であり、自由に使える小銭が手元に残っていれば、再び手を染めてもいいかなと考えている。
 そういう次第で馬券勝負に見切りをつけて何年も経つが、パソコンで中央競馬会(JRA)の実況中継を無料で楽しめるご時世ゆえ、週末はメインレースを中心に予想だけはしている。予想だけで馬券を買うことは絶対にしない。競馬新聞やスポーツ新聞の類はもう何年も読んでいない。第一パソコンを使っての馬券の買い方はすっかり忘れてしまった。馬券は買わなくとも、予想するだけで競馬の醍醐味は十分味わえる。
 土曜日の朝、雑事をこなしながら、パソコンで競馬の実況中継を聴いていたら、若い女性アナの実況の声が聞こえた。おや、珍しい、競馬の実況を女性アナが担当しているとは! 勝利した2歳牝馬の馬名を叫んでいる。ヴィンブルレー。私の耳には英語表記の Vin Brule を忠実に口にしているように聞こえた。よく分からない。私を含めた多くの日本人が普段言っているように、ビンブルレーと発声していたのかもしれない。しかし、私の耳にはヴィンブルレーと聞こえた。女性アナの実況は新鮮で耳に心地よく聞こえた。おそらく英語にも堪能で、日本語にはない、下唇を軽くかんで発声するヴの音も自然に口をついて出ているのではないかと推測した。あくまで推測に過ぎない・・。
                  ◇
 またクリスマスのシーズンがやって来た。毎朝読んでいるdevotional (祈祷書)にはクリスマスにまつわる楽しい思い出話があふれている。クリスチャンの端くれを自認している身だが、私はクリスマスだからと気分が高揚することはない。それどころか、気分がふさぐ。こう書いたら神様の罰が当たりそうだ。許してくださいませ! 
 海外に住む友人にプレゼントを購入して郵送するのが一苦労だ。子供がいる友人には日本のお菓子を贈れば大喜びされる。それが分かっているから、箱一杯にお菓子を買い込み、郵便局に向かう。大雑把に言うと、6000円前後のお菓子や小間物を購入し、送料もほぼ同じ程度の料金。何だかなあと思わざるを得ない。送り状をパソコンで打ち込み、それを箱に張り付ける必要がある。昔は手書きで窓口で局員とあれこれやり取りすることもできたが、今は一人でこなさないといけない。アナログ人間の私には頭が痛い!
                  ◇
 私はこれまで腰痛と無縁の人生だった。丈夫な身体に生んでくれた母親に感謝したい。とつい二三年前まで思っていたが、近年、椅子やソファーから立ち上がろうとするとき、ヒヤッとすることが増えた。ぎっくり腰と言うものなのだろうか。たいていは鈍痛のような軽いものだが、鋭い痛みが走ることもある。不思議なのは一旦立ち上がると、痛みは消え、動き回ることに何の支障も感じないことだ。よく分からない・・・。

雨・・white noise

20241207-1733533622.jpg 夕刊の社会面で小さく報じられていたその記事の見出しを見て驚いた。記事を読んでみてさらに驚いた。「自宅で男性6割 座って排尿」という見出し。え、男の6割が今や便器に腰を下ろして小用を足す時代なのか!と思った次第だ。かくいう私も自宅ではそうしているが、まさか大多数がそうだとは思わなかった。
 日本排尿機能学会というところが昨年調査して判明したという。年代別では20歳代が69%で最も高く、50歳代は54%と年代が上がるほど低下しているとか。座って排尿する派が多いのは、尿が飛び散ってトイレを汚さないようにする衛生面の配慮があるのだろうと報じていた。私が驚いたのは記事中に「温水洗浄便座」の記述が全くなかったこと。洗浄便座が普及したからこその変化だろう。それには言及して欲しいと思った次第だ。それにしても、子供の頃、未来の日本では男も便器に腰を下ろして小用を足すようになっていると知ったら、まさか!?といぶかったに違いない。
                  ◇
 大リーグ中継や野球の試合がなくなったらテレビを見る時間が激減した。それは嬉しいことなのだが、その分パソコンでYouTubeを眺めることがますます増えている。最近よく見るようになったのは雨の降る光景。
 インドネシアの緑豊かな農村で大雨が降っている。日本ではまず見られないような大雨だ。もっとも最近の日本では地球温暖化の影響か、かつてなかったような大雨が降り始めていることも事実。それを考えると複雑な心境にはなるが、パソコンの画面に流れる雨は風情にあふれる。ストレスを癒やし、安眠を誘う自然の恵みだ。どこかで読んだが、雨の降る音はwhite noise と呼ばれるものらしい。私の電子辞書には「白色雑音」(広い周波数領域にわたる電気ノイズ)と載っている。ネット情報だと「集中力を高める効果や安眠をもたらす効果があると言われている」とか。YouTubeでは世界各地の雨の情景を撮ったものが流れているが、やはり農村や田園地帯のものが目と耳を癒やしてくれるようだ。私も田舎で過ごした少年時代が思い起こされ、見入って(聴き入って)しまう。
                  ◇
 魔が差したのだろう。先日、踏切近くにさしかかったところ、警報機が鳴り出した。床屋に向かう途中だった。急ぐ必要はさらさらなかった。1,2分待てばいいだけの話だが、気がついたら、降り始めた遮断機の下をかいくぐろうとしていた。遮断機の棒が思ったよりも低い。くぐり抜けたと思ったところでバランスを崩し、向こう側の歩道にこけてしまった。いや、正確にはこけそうになったので、左手をついてこけるのを防いだ。だが、とき既に遅し。頭部が道路のコンクリにがつん。左手の手のひらも痛い。左足の膝も打ち付けたようで痛い。人通りの少ない踏切なので、恥ずかしい光景を目撃した人は少なかったと思う。
 眼鏡はフレームが壊れて、レンズも外れ、使い物にならない。新しい眼鏡を買えということかと思いながらも、帰宅後に引き出しを漁ると、昔使っていた眼鏡がいくつか出てきた。その内の一つをかけてみる。よく見える。いつ頃かけていたのか覚えていない。10年以上前? 私の視力は衰えていないことの証左? まさか!?

early readers

20241201-1733028386.jpg 土曜日の朝、日課のキリスト教の祈祷書を読んでいて次の文章に出くわした。I had once found a pile of early readers, ideal for my granddaughter in kindergarten. はて early readers とは何だろう。early riser ならば「早起きの人」つまり early bird と同じ意味の語であろうことは想像がつくが、early readers とは何ぞや。まさか早起きして読書に精を出す人たちでもなかろう。
 ネットで調べると、以下のような文章が出てきた。Early readers are books for children who are learning to read independently for the first time. They are usually written for children aged 5–9, or first to third grade, but can be enjoyed by anyone. なるほど、ようやく一人で本を読み始めた子供たち向けの読みやすい本のことを指すらしい。子供向け読本とでも呼ぶべきものか。
 外国語学習者にとってはそういう本こそ打って付けの教材だろう。私には昔から願っていることがある。例えば中国や台湾、韓国などに旅して、その国の小学生が学んでいる教科書を手にして読んでみるということだ。簡単なことのように思えなくもないが、実際に現地を旅していてもなかなか実現できないことではある。
 今のところは中国語より韓国語の方が少しは理解できるように思えるから、とりあえず、ソウルか釜山あたりに3か月から6か月、短期留学できないかと夢想することもある。先に来福した韓国人の友人ともちょっと話をしたが、結構な額のお金が必要ということが分かった。台北の大学に数年前に1か月だけ超短期留学したことを思い出すが、あれはたいしたお金はかからなかった。今はそういうわけにはいかないだろう。
                  ◇
 上記の祈祷書はWalking in Grace 2024。来年は当然 Walking in Grace 2025 となる。毎朝この書を読んで一日をスタートさせていることは何度か書いたかと思う。神の啓示(divine revelation)やひらめき(epiphany)を求めているわけではないが、心静かにこの書を開くことが習慣になってしまった。この時期になるとアメリカの出版元にメールを送り、何とかこの本をネット注文しようと試みていたが、これまで成功したためしがない。それでつてを通して入手したり、米国に住む娘さんがいる先輩に頼んで送ってもらったりしていた。
 今年はその先輩がアメリカを旅していたので購入を頼んだ。先日、拙宅で一杯やるついでに持参してもらった。勘違いがあり、従来の本を買い損ねたとのことで、その小ささに驚いた。これまでの本はA5版程度で旅先に携帯するには無理がある大きさだった。手渡された本は手のひらに収まるようなミニ本で、ポケットに入れて持ち運びできる手軽さだ。従来の本には末尾に約50人の執筆者が顔写真も添えて紹介されていたが、さすがにこのコンパクト本では写真は掲載されていない。レギュラーの執筆陣は今では顔を思い浮かべることができるが、やはりその都度顔を再確認できると書かれた文章により親しみがわく。
 とはいえ、これまで旅に出るときはその期間の頁をコピーしていたが、来年はその必要がなくなる。それはそれで嬉しい気がしないでもない。

「人生案内」の手もあり

 英語の授業で英字新聞について語ることになった。それで実際の紙面を使って語ろうと思った。残念ながら、かつて勤務し、新聞社を退社後も長年購読していた英字紙ジャパン・ニュース(JP)は今年1月から購読をやめている。コンビニや書店には置いていないことを承知している。近くにある市の図書館分館にも置いていない。それで思った。JR博多駅まで行けば、構内のお店で売られているかもしれないと。記憶が定かでないが、大阪駅では普通に英字紙が販売されていた。それで博多駅まで出かけ、構内をあちらこちら歩き、念のため、新幹線乗り場にも入場券を買って入って探したが、見つけることはできなかった。アジアへの表玄関とか国際都市とか標榜しているが、福岡市の実態はこんなものだ。
 以前にJPがどうしても必要な時に、読売新聞の販売店にお願いして一部届けてもらったことがあるが、その料金150円を払うために後日、販売店まで歩いたが、方向音痴なこともあり、行き着くのに往生したことがある。それもあって、今回は県立図書館のお世話になった。県立図書館にはJPが置いてあることを知っていた。幸い地下鉄で楽に行けるところにある。それで数日前にその図書館に出かけた。授業で使いたいと思っていた紙面を読むことができた。コピーもした。しかし、福岡市のような都市部に住んでいて、英字紙を読むのにこんなに苦労するとは思いもしなかった。複雑な心境になる。
                  ◇
 読売新聞の購読はずっと続けている。じっくり読む記事の量は激減した気がしてならない。一面の見出しにさっと目を走らせ、国際面をめくり、続けて社会面、運動面にとぶ。気になる記事があれば時間をかけて読むことになるが、そうでなければ、ざっと5分程度で済ませてしまう。愛着ある新聞に対しこのようなことは言いたくないが、何だか読む魅力が年ごとに薄くなっているような・・・。
 そういう私でも毎日必ず読んでいるコラムがある。生活面の「人生案内」。普通に言えば「人生相談」か。JPでは「人生相談」の英訳を “Troubleshooter”として転載している。troubleshooterは辞書には「(機械の)修理係、(紛争の)調停人」と載っている。人生相談的に言えば、問題(悩み)を解決してくれる人という意味か。読者のさまざまな悩み事に学者や作家、有識者など個性豊かな人々が助言を与えている。
 他の全国紙や地方紙でも似たような読者の投稿に基づく人生相談のコラムがあるのか知らないが、私が現役時代に読売新聞の「人生案内」は外国人読者に好評だった。読売新聞を読んでいるわけではなく、JP(当時はDaily Yomiuri)の “Troubleshooter” を読んでいた外国人読者だ。一般読者の悩み事相談を通して日本社会が垣間見えたのだろう。
 私は大学で教えていた頃はこの“Troubleshooter”を教材として活用させてもらっていた。熟練の英字記者が読売新聞の「人生案内」を忠実かつ巧みに翻訳していて、分かりやすい英語を身につけようとしている学習者には打って付けの教材だった。ふと気になったので、読売新聞のホームページからJPにとぶと、今も毎週土曜日のJPの紙面に掲載されている2本の“Troubleshooter” が無料で読めるようになっている。英語学習者には意外と知られていない役に立つ「教材」ではないかと思う。

北の富士親方逝く

20241121-1732172684.jpg 木曜日朝。いつものようにスマホの目覚ましで迷界に引きずり出される。スマホのニュース一覧にさっと目をやる。普段はそれからトイレに立ち(座り)洗面、歯磨きに移るが、この朝は速報記事を眺める時間がちょっと長かった。大相撲の元横綱、北の富士氏の逝去のニュースが報じられていたからだ。NHKの大相撲中継で舌鋒鋭くかつユーモアあふれる解説が人気だった。私は親方(あえて親方と呼びたい)の全盛期に高校生だった。当時は北の富士関よりもライバルの力士を応援していたが、現役引退後は段々と彼の味のある解説に惹かれていった。
 ちょうど一年前のこのブログで次のように書いている。――大相撲に見切りをつけたくなった理由がある。大相撲の解説者としてお茶の間に人気の北の富士親方がこのところ体調不良からか解説をずっと休んでいるからだ。今の解説陣は北の富士親方の味わい深い語りには遠く及ばない。相撲を見る気になる日が再び来るのだろうかしら?――
 北の富士親方の闊達な解説を再び楽しむ機会は永遠に失われた。82歳。合掌。これから大相撲のファンとなる人たちはかわいそうだと思わずにはいられない。
                  ◇
 英語表現で好きなものの一つに You are what you eat. ということわざ(?)がある。以前にこのブログでも紹介したことがあるかもしれないが、ときがだいぶ経過しているはずなので改めて触れたい。齢を重ねると、この表現はますます重要性が強まると感じる。「あなたはあなたの食べるところのものである」「あなたはあなたの食べるものでできている」すなわち「あなたの健康はあなたが普段食している食べ物で決まる」という意味合いか。
 女子大で英語を教えている頃はこの表現を何度口にしたことか。メディアで喧伝される「ファーストフード」(fast food)に流れずに、母親が愛情を込めて作ってくれる「スローフード」(slow food)を有り難く思って頂くんですよと説いていた。自分自身がそうだったとは決して言えないが、まあ、今の私はなるべくスローフードを心がけてはいる。らっきょう酢で野菜のピクルス(?)作りしかり、きな粉入りの豆乳(?)しかり。
 最近は韓国人の友人夫妻から土産にもらったカタクチイワシも加えることができるだろうかと思っている。尋常ならざる量のカタクチイワシ。友人は英語でアンチョビと称した。私は?だったが、段ボール箱から中身が見え、「ああ、いりこのことをアンチョビと言っているんだな」と推察。辞書を引くと、anchovyという語が載っていて、「アンチョビ」「カタクチイワシ科の小魚」とある。広辞苑で「いりこ」と引くと、「小さな雑魚(ざこ)を炒って干したもの」と載っている。友人の助言に従い、大量のアンチョビをジップロックに収め冷凍庫で保存しているが、果たしていつ食べ切れるのか見当もつかない。
 毎日いりこを貪るように食べてもいいのだろうかと思い、ネットで検索してみると、いりこは栄養価の高い食品であることを知って安心した。おやつとしても可だとか。栄養成分として以下のことが指摘されていた。「身体の成長に不可欠なタンパク質」や「生きるために必要なミネラル類」「良質な不飽和脂肪酸」が豊富に含まれているという。平日は翌日の仕事のことを考え、焼酎は控えている。それで酒の肴というわけにはいかないので、いりこ(アンチョビ)を日々おやつのように食べている次第だ。友人に感謝しながら・・・。

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