- 2020-10-13 (Tue) 10:26
- 総合
“People stared like I was Godzilla” という見出しに引きつけられた。Godzilla とは凄い表現だ。日常生活でゴジラのような人にお目にかかるのはまずないだろう。周囲の人々が自分をまるでゴジラを見たかのように凝視したとはいかなるものだろうか。見出しに添えられている写真の女性はゴジラからはほど遠いすっきりした美人。ヌヌ!? 訳が分からないではないか。それなら、記事を読み進めるしかない。
記事の執筆者はBBCの女性記者でBritish-born Chineseと紹介されているが、本文を読むと、家族や親類は今は台湾に住んでいるような印象を受けた。彼女は自らの経験を振り返りながら、アジア(中国・台湾)の女性に求められている体型の理想像がともすれば女性に過酷な節食を強いていることを述べていた。見出しの文言は当時肥満の体型をしていた記者が台湾の夜市を歩いていた時に地元の人々から向けられた視線を表現している。屋台の食物を貪っていると母親もさすがに耐えかねたのか、「あなたそんなに食べるんじゃないわよ。みんな、見てるわよ」と耳元でささやいたという。
私がこの記事で印象に残っているのは彼女のその後のジムでのワークアウトといった努力ではなく、次のくだり。There’s not really a lot of demonstrative affection in east Asian culture. What I mean is that there aren’t really hugs, or “I love yous” between parents and their children, especially once the kids grow up. Love is simply expressed in other ways.(東アジアの文化では愛情を具体的に行動で示すことはあまりない。お互いにハグすることもなく、また両親と子供たちの間で「愛している」という言葉のやり取りもない。子供たちが成長すると特にそうだ。愛情は他のやり方で表現されることになる)
日本もまさにその通りだろう。私は亡き母親とハグしたことはただの一度もない。お互いに薄情だったわけではない。そういう習慣がなかったのだから致し方ない。欧米で親子がハグする光景を見ると、羨ましく思う。いいなあと思う。また、普段の生活でことあるごとに “I love you.” と口にするのも羨ましい。私はお袋にそうした愛情表現をしたことは悲しいかなない。第一、love という語をどう日本語に訳すことができるか分からない。「愛している」というのは外来語ではないか。「大好きだ」という方がまだしっくりくるような気がするが、これだって私が当時口にすればきっと病院かどこかに連れていかれたことだろう。
私はこうした愛情表現に関しては欧米の方に軍配を上げたい。「以心伝心」の国とはいえ、やはり言葉のぬくもり、さらには体温のぬくもりに勝るものはないと思う。同じアジアでも韓国のテレビドラマを見ていると、彼らは日本人よりは普段からハグしているような感じだ。お互いの身体にもよく触れているような印象がある。
NHKテレビ。夜7時の全国のニュースを前にローカル番組の軽快なエンディングのテーマソングが流れる。なんかいいなあと思ってずっと耳を傾けていた。この歌を歌っているのは福岡で育った歌手のMISIAだとしばらくして気づいた。歌声が好きだ。彼女は博多の方言を駆使して歌い、最後に「好いとっと」という熱い言葉で締めている。宮崎弁なら「好いちょっちゃが」「好きじゃっちゃが」かな。こうした方言なら多少、恥ずかしさが薄まるかもしれない。ハグの方は時間がかかるかもしれないが。
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