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ラジオはコロナ禍から一歩

  • 2020-09-21 (Mon) 10:24
  • 総合

 NHKラジオの韓国語・中国語講座を聴いていると、「9月28日から新作の放送を再開します」とのアナウンスが流れるようになっている。コロナ禍のため6月29日からずっと、4月-6月の放送分の再放送が流されていたのだが、それが今月末からようやく再び正常の講座に回帰するというわけだ。
 6月頃のこのブログで次のように私は書いている。――中韓の講座は再放送モードに入り、9月末まで過去3か月分が流されることを知った。正直、がっかりした。実は中韓とも今、毎朝の講座がとても楽しいのだ。テキストなしで聴いているからそれぞれ15分間の講座で流れてくる会話や文章を必死になって書き取っている。時間内に書き取れないと、講座が終わった後に辞書やネットで語彙を確認して何とかしのいでいる。辞書を引くことなく、流れる文章をすっと書けるときは気分も上々。この調子で残りの三か月をやり終えることを願っていた。――
 あの当時は確かに落胆したが、今となっては良かったと思っている。非常に有益な復習となっているからだ。「禍福はあざなえる縄のごとし」とはよく言ったものだと思う。ピンチはチャンスということか。復習と書いたが、韓国語も中国語もすっかり忘れている語彙、表現が次々に出てきて、愕然としたことも少なからずあった。韓国語の方は発音はなんとか覚えていても、ハングルで正確に表記するとなるとうろ覚えのものが多かった。口の開け方が微妙に異なる「オ」の音を含んだ語彙を明確に区別するのは容易ではない。中国語もしかり。先週末には「太不像话了!」という表現が出てきた。「全く話にならない」という嘆きの表現のようだ。三か月前に一度は耳にしているはずだが、全然記憶に残っていない。情けない。まさに「太不像话了!」だ。
                  ◇
 断捨離を少しずつ進めている。書籍の類はできるだけ残しておきたいのだが、借家住まいの身なればいつまでもそういうわけにはいかない。それで押し入れの奥深くから段ボールを引っ張り出し、持っていることさえ忘れてしまっている本を再び手にしている。
 廃品回収の日に何度かまとめて処分する。しかし、尊敬する夏目漱石の文庫本や海外で買い求めたアフリカや欧州の関連本や小説などはさすがに躊躇せざるを得ない。やはり、しばらく虫干ししてまた段ボールに詰め、押し入れに戻すことになりそうだ。その一方、再度頁を繰ってみて、こんな本、なんで買っていたのだろうと不思議に思うこともないではない。「太不像话了!」と口ずさむまでには至らないが。
 アイルランドの作家の短篇を集めた岩波書店の文庫本もそうしたがっかりした本だった。書名は伏せるが、アイルランドは私の好きな国。優れた作家・文学作品も多い。だから、私はイギリス文学紀行を書くために英国の各地を歩いた2012年、アイルランドにも旅してオスカー・ワイルドやジェイムズ・ジョイスゆかりの土地を訪ねた。上記の本を買い求めた当時の記憶はない。きっと書店で書名を見て、好奇心に駆られた程度のことだろう。今回改めて手に取って読み進めたが、翻訳の拙さも含め、内容にがっかりしてしまった。もっと紹介すべき優れた短篇はあるだろうにと。

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