- 2019-10-31 (Thu) 09:18
- 総合
『やし酒飲み』(エイモス・チュツオーラ著・土屋哲訳 岩波文庫)を読んだ。以前からこのアフリカを舞台にした小説のことは知っていたが、読んでいなかった。書店の文庫本コーナーで目にしたので、そろそろ読まなくてはと買い求めた。
私は訳者の土屋先生とは既知の間柄。先生はすでに故人となられたが、私が新聞社のナイロビ支局に勤務していた頃、ナイロビにある大学で研究に来られていた先生とはご夫人同様、親しくさせて頂いた。町田市のご自宅を訪ねたこともある。当時は後にアフリカや米英文学の紀行本を出すことになろうとは考えてもいなかったので、もし今もご存命だったら、どれほど楽しい話ができたことだろうととても残念に思う。
チュツオーラ(1920-1997)は西アフリカ・ナイジェリア出身の作家。「わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった」という風変わりな語りで始まる『やし酒飲み』は、語り手の男がやし酒造りの名人をこの世に呼び戻すため、「死者の町」へ旅に出て遭遇する奇々怪々の物語で、アフリカに根付く神話・怪奇の世界に魅せられる。私もアフリカ再訪の旅では悩まされたが、ピジン英語として知られるナイジェリア独特の時に難解な英語表現を土屋先生が苦労して訳されたことがうかがえた。
この小説を読んでいて、私は南アフリカでもかつてチュツオーラのように著名な作家を取材・インタビューしたことを思い出した。名前も思い出せないが、当時はノーベル文学賞に推す動きもあったような記憶がある。取材の成果は読売新聞社の『20世紀文学紀行』(カメラでたどる現代文学の旅)に掲載された。本棚の隅からその本を取り出し、読み返してみた。エスキア・ムパシェーレ(1919-2008)。取材した作品は彼の代表作の一つ『草原の子 マレディ』。
私が南アのヨハネスブルクでムパシェーレ氏にインタビューしたのはナイロビ支局に勤務していた頃の1989年のことかと思われる。記事を読み返すと、私は東京から来たカメラマンとともに南アに行き、トランスバール州にある作家の母校、ムトレ小学校を訪ねている。「村の小学校に入ると、子供たちにわっと囲まれた。子供たちの目は好奇心で輝いている。おそらく、日本人を見るのは初めてなのだろう」と書き出している。子供たちだけでなく、「ふとった気のいいおばさんといった感じの」校長先生からも来訪を歓迎されたことが書かれている。当の本人はうーん、よく覚えていない・・。
南アは1990年にネルソン・マンデラ氏が解放され、アパルトヘイト(人種隔離政策)の冬の時代に別れを告げる。そういう時代の空気を反映してか、ムパシェーレ氏は次のように語ってもいる。「現在の状況に希望を抱けるとするなら、それは人々が(アパルトヘイト撲滅に)昔よりはるかに意思を強固にしていること、活気づいていることでしょうか」
惜しくもムパシェーレ氏はノーベル文学賞を受賞することはならなかった。私が恥ずかしく思うことは氏を取材したことをすっかり忘れていたこと。上記の『草原の子 マレディ』や同じく評価の高い氏の自伝的作品『二番街にて』も読んでいるはずだが、全くといっていいほど何も覚えていない。普段は「自分は記憶がいい」と口にすることもある私は恥じ入るしかない。「失礼」にもほどがある。私はいったい何をしていたのだ!