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多言語教育の時代

  • 2019-08-12 (Mon) 08:59
  • 総合

20190812-1565567901.jpg 連日暑い日が続いている。私のように根が怠惰な者には暑さを理由につい、安逸なときをむさぼりがちになる。それではいけないと、午後にはなるべく例のスロージョギングに励んでいる。この週末も香椎浜のジョギング路をゆっくり走った。走路のトイレの近くに水飲み場があり、いくら水を出しても生ぬるいのだが、水分補給はできるからありがたい。
 最近ふと気づいたことがある。ジョギング路への順路に広場があるのだが、普段は歓声を上げながら遊び回っている子供たちの姿が消えてしまっていること。テレビで連日熱中症に注意と報じているからであろうが、せっかくの夏休み、もったいないような気もする。
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 古巣の読売新聞は毎朝きちんと目を通している。久しぶりに興味深く読んだ企画があった。教育欄に連載されていた「多言語教育」というテーマの5回シリーズ。前文に「全国の高校のうち、授業で英語以外の外国語を教えている学校は1割強に上っている」とあった。例えばある都立高(北区)では2年生約240人全員が英語の他に、中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の5か国語の中から一つを選択し、週2コマ(1コマ50分)の必修科目となっているとか。半数の約120人が中国語を選択したという。へえ、そうなの? 公立校でもそういう時代なのか。
 最終5回目には外国語教育に精通している2人の専門家の卓見が紹介されていた。簡略に抜粋すると。「英語圏以外にも視野を広げさせるため、英語とは別の外国語の学習も必要だ。高校教育では二つの外国語を必修にすべきだ」「言語には相性がある。英語が苦手でも他の外国語ならできることは珍しくない。全国一律の英語だけの教育が『国際人の芽』を摘み取っていると考えている」「国際戦略としても英語を使える人材だけを育てる教育でいいのだろうか。欧州などでは『母語+2言語』を学ぶ言語政策が一般的になされている」「英語に加え、さらに別の外国語を学ぶ利点に目を向けたい。複数の言語を学べば言語間の構造や文法の違い、類似性などが見え、各言語の理解が促される」
 私自身はこれまでほぼ英語一辺倒でやってきた。新聞社で国際部に配属された直後に韓国語を少し勉強したが、アフリカ特派員になった時点で頓挫。そのアフリカではスワヒリ語やフランス語をかじったが、これも同じく頓挫。中国語に対してはずっと無関心だった。そういう私が今になってこう書くのは気がひけるが、学校教育の場で英語以外の外国語、特に中国語と韓国語に選択肢を広げるのはいいことだと思う。ぜひ、そうなって欲しい。
 教員をどう確保するのかという問題はあるが、高校レベルから英語以外の外国語を学べるような制度になっていれば、生徒に多様な選択肢を提供できる点でも画期的だ。高校時代に学ぶのは基礎の基礎でいい。基礎を身に付ければ、あとは独学でもやっていける。私自身は還暦をとっくに過ぎてから中国語と韓国語を独学で学び始めたが、今の世は外国語学習に便利な「教材」が巷にあふれている。
 中国語や韓国語を不自由なく操れる若者が増えていけば、アジアに座す日本にとって心強い。上記の専門家が語るように、英語では案外でも中国語や韓国語では思わぬ適性を秘めている生徒が少なからずいるかもしれない。

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