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『漢字と日本人』

  • 2019-04-12 (Fri) 07:38
  • 総合

20190412-1555022231.jpg 今回の台北の旅に『漢字と日本人』(高島俊男著・文春新書)という日中両言語の関係を考察した本を持参した。著者の高島氏の名前は週刊誌のコラムなどで知ってはいた。
20190412-1555022257.jpg 読み終えた今、刺激に満ちた好著だと思う。日本人が中国の先進文明から漢字を取り入れた経緯を次のように記している。<かつて日本に文字はなかった。千数百年前に中国から漢字がはいってきた。日本人は漢字をもちいはじめた。(中略)日本語はあった。いやもちろん「日本語」という名称はありませんよ。名称の問題じゃない。漢字がはいってくるよりもずっと前からこの日本列島に人は住んでいて、その人々の話していることば、それはすなわちわれわれがいましゃべっていることばの先祖にあたるわけだが、それはあった。あたりまえです。しかし、それを表記する文字はなかった、ということです。>
 私などは日本が中国から漢字を採用したことを幸運に感じているが、高島氏は次のように喝破している。<つぎに、日本が中国から漢字をもらったことをもって、恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは、日本語にとって不幸なことであった。なぜ不幸であったか。第一に、日本語の発達がとまってしまった。(中略)日本語は、みずからのなかにまだ概括的な語や抽象的なものをさす語を持つにいたっていない段階にあった。日本語が自然に育ったならば、そうしたことばもおいおいにできてきたであろう。しかし、漢字がはいってきたーーそれはとりもなおさず日本語よりもはるかに高い発達段階にある漢語がはいってきたということだーーために、それらについては、直接漢語をもちいるようになった。日本語は、みずからのなかにあたらしいことばを生み出してゆく能力をうしなった。>
20190412-1555022296.jpg 高島氏はさらに次のように説いてもいる。<漢語と日本語とがあまりにもかけへだっていたために、日本語を漢字で書く、ということには、非常な困難と混乱とがともなった。その困難と混乱とは、千数百年後のこんにちもまだつづいている。そんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。>
 台北の大学の中国語センターで中国語を学び始めて数日が過ぎた。老師(先生)に相変わらず、単語の発音の不備を指摘されている。『漢字と日本人』には次のような記述もある。<さあさっきからしきりに日本人の口は不器用だと言っている。これを説明しておかねばならん。日本語は開音節構造である。すべての音節が母音でおわる。しかもその母音の前につく子音は一つだけである。要するに日本人が口から出せるのはごくかんたんな音だけである。またその音の種類がいたってすくない。これはもう大昔からそうである。>
20190412-1555022326.jpg 私が中国語の発音に難儀しているのは私が生まれ育った日本語のゆえであるらしい。とはいえ、クラスメートの若いベトナムやインドネシア、韓国の若者も zhi- や shi-、ri- などの巻き舌音や四つある声調に苦労している。
 さあ、今夜は何を食べようか。福岡に戻れば自分で料理する質素な生活が待っているが、ここ台北での食事代は外食とはいえ、福岡での食費を上回っていないような気もする。それで美味いのだから有難い。日本人の口は不器用でも舌は不器用ではないということか!

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