- 2019-01-08 (Tue) 12:32
- 総合
謹賀新年。
年末から富山・魚津、京都・亀岡を訪ねた。魚津では東京で酒とギャンブルに溺れていた頃にお世話になったスナックのママさんの家で正月を迎えさせてもらった。隣家の親戚の人たちも加わり、大変心地良いひとときを過ごすことができた。隣家のLちゃんは可愛い中学生の娘さんに成長していた。英語の手ほどきをしてあげようと願っていたが、うまくかわされてしまった。(東京で酒とギャンブルに溺れていた頃と書いたが、仕事はきちんとやっていた。今の石部金吉の暮らしぶりから思えば、そのような日々だったということ)
亀岡では兄夫婦に歓待された。久しく会っていなかった甥っ子の長男とも顔を合わせた。すっかり頼もしい好男子になっており、嬉しく思った。
兵庫・芦屋ではこれも一年ぶりに子羊の群れ教会に足を運び、礼拝した。礼拝後、牧師の奥様であるH子さんと昼食をご一緒させて頂いた。心が洗われるひとときとなった。
最後の夜は神戸で旧知の英語関係者との懇親会。語学学習の楽しさについて大いに語り合った。集まったのは私を含めて5人で、私が一番の若輩者。大晦日以来の連日の飲酒でさすがにもう控えようかとも思っていたが、一年ぶりの再会を祝さざるを得ない。飲み放題だったこともあり、U先生が所望された赤ワインを一緒にしこたま飲ませてもらった。美味かった。飲酒も当分はこれが最後。思い残すことはない!
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富山から魚津に向かうローカル路線の電車から久しぶりの雪景色を見ていて、一句ひねりたくなった。あれこれ苦悩の末に次の作に落ち着いた。駄作か。
いつ以来 雪見て思う 来し方も
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神戸のホテルをチャックアウトして帰福の途に就いた折、フロントに地元紙が置いてあったので、新幹線の中で拾い読みした。地元のニュースを報じた頁を読んでいて、おやっとしばし手がとまった記事が幾つかあった。まさしく「あった」だった。
例えば、次の記事。——神戸を拠点に活動する空手の「〇〇会」の寒稽古が6日、須磨区の須磨海岸であった。—— 読売新聞ならば、このような文章が「あった」で終わることはない。おそらく「寒稽古が6日、〇〇で行われた」となるだろう。「あった」でも何ら問題はない。意味は同じだ。字数では「あった」は3文字、「行われた」は4文字。「あった」の方が1文字スペースを稼げる。
ただ、私は「あった」という表現より「行われた」の方を選択したい。読売新聞記者時代にこういう表現をしてきたこともあるが、「行われた」ではあまりにもありきたり、画一的な印象を与えるので、場合によっては「参加者〇〇人が汗を流した」「寒さを一蹴した」などと工夫を凝らした表現を心がけるようにしていた。
故郷の宮崎に戻り、地元の宮日新聞をすると、ローカル色の濃い記事では「あった」という表現をよく目にするので、いつも複雑な思いで読んでいる。全国の地方紙が雑報的な記事では末尾の表現を「統一」しているのかもしれない。
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