- 2017-11-22 (Wed) 09:56
- 総合
12月までは暖房を入れるのは控えようと思っていたが、昨日(火曜)夜、ついにガスストーブに点火した。痩せ我慢で日常生活に支障をきたしては本末転倒か。ガスの力はさすがだ。すぐに部屋があったまり、心まで温もらせてくれる。文明の利器に感謝だ。
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南部アフリカのジンバブエという国がかつてない混乱に直面している。1980年の独立以来、この国を率いてきた独裁者のムガベ大統領が軍や与党、国民から退任を迫られ、今朝のニュースによると辞任に追い込まれた。ついこの間まで考えられなかったような展開だ。ジンバブエが民主化されることを願うが、ポストムガベがどういう政治・社会体制となるのか予断を許さない。ムガベ体制を支えてきたグループ内での権力禅譲に終わってしまえば、大多数の国民は失望するだけだろう。
それはそれとして、図書館で昨日、朝日新聞を手に取り、少なからず驚いた。朝日新聞でもジンバブエ情勢を3面の総合面と11面の国際面で手厚く伝えていたが、誰が書いた記事であるのか明記されていなかった。普通はアフリカ駐在の自社の記者(特派員)が書き手となるが、記者の氏名はどこにもない。ただ文末に「(ハラレ)」とあり、記事がジンバブエの首都から発信されたものであることを装っている。おそらく東京発の記事なのだろう。情報に信頼度を持たせるために末尾に「(ハラレ)」と付記したものと推察される。読者には不可解な付記だ。誰が書いたのか正直に書けばよい。このような「苦肉の策」はもうやめるべきだろう。
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図書館で『対談 中国を考える(司馬遼太郎・陳舜臣)』(文春文庫)を目にしたので借り受けて読んでいる。1970年代に何回か行った対談をまとめた本のようだ。まだ毛沢東が生存していた時期だけにかなり古いが、それでも示唆に富んだ指摘がそこかしこにあった。
以下に幾つか記しておきたい。いずれも司馬氏の発言だ。
「日本人というのは、中国からいろいろ学んで、生け花まで学んだけど、中国の本質は学んでないんですね。(中略)また日本が十九世紀に開国したというのも不幸だったな。それまではそうでもなかったんだけど、このころになると西洋もすごい侵略時代に入っていた。つまり富国強兵の侵略主義が国家学としてのモダニズムである、という受けとり方をした。それが明治以降ずっと抜けきれなくなってしまった。こういうことを考えると、日本はやっぱり元禄時代に開国すればよかったと思う。(中略)つまり、天文・天正のカトリックをなぜ日本は無にしたかということはくりかえし残念ですね。そのままでいていまも三割ぐらいがカトリックでおるとしたら、太平洋戦争を起こさなかったかもしれんな。情報がオープンに入ってくる。それから世界人みたいな意識がある。やっぱり普遍とは何ごとかということは、体でわかるでしょう。僕ら普遍とは学校に行ってみんな習うけど、普遍という言葉を学んでるだけで、普遍ということは日本でうまれるとわかりにくいですね。普遍を知らないと、中国もわからないわね。中国は国家というより多分に普遍的世界なんやね。少数民族をいっぱい抱えているからという問題もあるけどね」 以下続で。
「まあ、日本が近代化する上で一番の失敗は、朝鮮を占領したことだと思います。なんでそんなことになったかと言ったら、日本は幕末において外からの圧力で興奮して統一国家を作った。外からの圧力に対して、攘夷エネルギーが収まりつかんほど沸騰した。攘夷エネルギーというのは、いってみれば異常心理ですからね、自分がやられるという・・・。中国がやられている、朝鮮も眠ってるからやられるだろう、その次はこっちだ。だからやられる前にこっちから出て行け。なんの実質もなくて、観念だけが先走って朝鮮を占領してしまった。実質っていうのは、資本主義になったんなら資本主義的リアリズムっていうのがあるわけなんだけども、そんなものなにもない。観念だけが先行して、朝鮮に踏み込み、日清戦争を始める」
「明治政権というものも、イマジネーションの力というのは非常に弱いわけです。イギリス人はアジアに来て、よくよその国を取る。フランス人まで来てヴェトナムを取る。ああいうまねをしようじゃないかということでしょう。まねであって、資本主義的なリアリティがないわけですよ。かれらは市場を求めて来ているわけだけれども、こっちは市場をつくるほどの生産力がなくて行くわけでしょう」