- 2017-10-16 (Mon) 21:13
- 総合
東アフリカ・ケニアから懐かしい友人が来日し、先週末、福岡の私の元を訪ねてくれた。友人の名はデニス・コーデ氏。私が1980年代末、読売新聞ナイロビ支局に勤務していた頃、デニス氏は隣の共同通信社ナイロビ支局で助手として働いていた。
最後に彼に会ったのは『ブラックアフリカをさるく』を書くためにアフリカ大陸を歩いた2010年。だから7年ぶりの再会だった。彼の印象はお互いに若かった頃からずっと変わらない。いつも笑顔のデニス君だ。福岡には3泊したが、現役時代の私なら市内のホテルに部屋を取って歓待していたであろうが、非常勤職の今の私にはそうもいかない。それで最初の2泊は私のアパートに泊まってもらった。
彼が到着する一週間前からトイレ、シャワー室、台所などをきれいに掃除。布団や毛布を連日、ベランダで干した。マンションとは名だけの狭苦しい住まいが彼の目にどう映るか案じていたが、デニス氏は自宅のようにくつろいでくれた。
福岡観光の定番、太宰府の天満宮にも連れて行った。新幹線でもない在来の電車の清潔快適な座り心地がいたく気に入ったよう。それ以上に彼の心を打ったのは、国内各地で人々が彼に示してくれている親切心だという。ますます日本が好きになったようだった。夕食は天神界隈のレストランで。彼は酒をやらない。それはいいのだが、豚肉とかスパイスが効いた食事もパス。刺身も大好物というわけではないので、いささか注文には腐心したが、現在のケニアやアフリカ一般の情勢などを語り合い、旧交を温め合った。
デニス氏はケニアの恵まれない子供たちに手を差し伸べる福祉活動に参画しており、今回の来日はその延長線上の活動。デニス氏と語らっていて、改めて思ったのは、アフリカの窮状だ。ケニアはアフリカでは比較的安定した国だが、それでも部族融和など克服すべき課題は残っている。貧富の格差の解消は言うまでもない。1980年代末、地元紙「デイリー・ネーション」は一部3シリング(当時約30円)だった。私が再訪した7年前は40シリングに跳ね上がっていたが、現在は60シリングだとか。凄まじい値上がりだ。人々の給与がそれに見合って上がっているかというと、当然のことながら、そうではない。失業率も高く、犯罪、それも凶悪犯罪が増加の一途であり、単に往時を懐古していては申し訳ない。
デニス氏はずっと政治活動にも積極的にかかわってきてもいる。彼は拙著『ブラックアフリカをさるく』の中で次のように語っている。「われわれがやらなければならないのは、有権者に投票によって政治を変えることができるということを教育していくことです。トライバリズム(部族主義)を利して議席を得ようとか政治的優位な立場に立とうとするような政治家は排斥されなければなりません」。残念ながら、まだそういう社会は遠い。
ケニアでは今夏の大統領選が決着しておらず、今月下旬には再選挙が行われる予定だが、与野党、主要部族を代表する候補の対立が激化しており、2007-08年の前々回の大統領選で起きた流血の事態も憂慮されている。私はデニス氏と語らっている際、失礼ながらケニアのそしてアフリカの現状を “pathetic”(痛ましい)と何度も形容した。彼はそうした現状を打破する草の根の取り組みを続けており、デニス氏の努力がやがて結実することを心から願う。彼が土産にくれたケニアのコーヒーを有難く飲みながらこの項を書いている。
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