- 2017-06-02 (Fri) 11:45
- 総合
6月に入った。暑い。マンションの部屋の温度計は深夜でも29度を上回るようになった。シャワーを浴び、扇風機をかけて辛うじて涼をとっているが、果たしていつまで我慢できることやら? 手帳を見ると、去年は7月2日の欄に「夜ついにクーラーを入れる。涼しい!」と書きこんでいる。今年は7月までもたないような気がする。柱のリモコンにちょっと手を伸ばせば、涼しい風が吹いてくるのだから。情けないことだが・・・。
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昨夜久しぶりに天神に出かけた。正確にはとある集まりで天神には最近足を運んだばかりだから久しぶりは正確ではないが、天神界隈はすっかり縁遠くなったから、久しぶりというのが正直な感想。昨夜の目的は、いつもパソコンのトラブルで助けてもらっている出版社勤務のS君を接待申し上げること。私はこの夜も酒(生ビール、焼酎、ワイン)は自粛して、食べることに専念した。
その場でも話したのだが、酒が嫌いになったわけではなく、今も大好きだ。ただ、酒を飲むと、その後に語学の学習や読もうと思っていた本が読めなくなるなど、時間がもったいないのだ。翌朝の二日酔い気味の寝起きもあまりありがたくない。酒さえ断てば、小学校時分に戻ったかのように毎日フルに活動できる。あとしばらくするとクーラーの魅力には抗しきれなくなるのは明らかだが、酒(焼酎、生ビール、ワイン)の誘惑にはこれから先もずっと耐えられるはずだ。この次に飲むのは夏に宮崎でゴルフ友や幼馴染たちと再会した時かお袋の命日の夜ぐらいだろう、きっと。
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『対論 言語学が輝いていた時代』(鈴木孝夫・田中克彦著 岩波書店 2008年)という対談本を読んだ。著者の鈴木、田中両氏は言語学界の二大巨峰とか。私が面白く読んだのは鈴木氏が「イングリッシュ・ライク・ランゲージ」すなわち「イングリック」(Englic)を提唱しているくだりだった。鈴木氏は次のように述べている。「英語という言語がこの五十年間にすごい性格の変化を遂げたことをもっと重視すべきです。イギリス、アメリカといった特定の国の母語、民族語としての英語じゃなくて、実生活の必要上、いろいろと変形した英語らしきものを国内で毎日使っています、という英語使用者がすごく増えて、これが数の上では本来の英語を母語として使う人たちより何倍も多くなっている。ですから今では日本人が英語を習ったからといって、いよいよ使う段になると相手がイギリス人である可能性はほとんどない。アメリカ人とも限らないのです」
「いま八割の英語使用者がイギリスやアメリカ人以外の、インド人、中国人、マレー、フィリピン、ガーナ、ナイジェリアというふうに拡がっている。この事実を利用しない手はないですよ。だから、日本も一枚加わって、日本人の和臭のある英語を食い込ませる。それを私は『イングリック』と呼んだのです」
2020年の東京オリンピックを念頭に英語学習熱が再び盛り上がっているかに見えるが、鈴木氏の主張はもっともだ。かぐわしい「和臭」のする英語には大賛成だ。海外からの来訪者が私たちの英語を無理なく理解してくれるという前提条件つきだが。
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