- 2013-06-16 (Sun) 20:27
- 総合
先週末、NHKのBS放送でアフリカの特集番組が放映された。西アフリカの大国、ナイジェリアの貧困、貧富の格差問題を取り上げたものだった。日本ではアフリカの発展支援策を五年おきに話し合うTICAD(アフリカ開発会議)の第五回目の会合が開催されたばかりであり、会議に参加したナイジェリア政府首脳のインタビューも交えられていた。
ナイジェリアの商都で最大都市のラゴスのスラム地区にカメラが入り、普段は見ることのできない劣悪極まりないスラム地区で暮らさざるを得ない一般の人々の暮らしが紹介されていた。石油を産し、人口は日本を上回る1億6千万人。英国の支配を脱して独立し、すでに50年以上が経過している。それでも、多くの国民がここ日本にいては想像もできないような貧困にあえいでいる。
私がナイジェリアを再訪したのは2010年夏のこと。今回、NHKの特集を見ていて、改めて感じたことがある。それは行政の腐敗・怠慢・失政で住民の暮らしがなおざりにされる中、住民はいまだに辛抱強く明日の幸福を夢見ていることだ。10代か20代前半か、若者たちがテレビカメラに向かって切実に訴えていた。「仕事が欲しい。仕事が欲しくて郷里を出て来たのだ。郷里にいても仕事がないから、ラゴスに来たのだ」
番組でも指摘していたが、絶望した若者たちを待ち受けているのは、犯罪組織であり、日本ではあまり報じられていないが、北部地区では、イスラム過激派集団がそうした若者を悲惨なテロ行為に駆り立てている。ただ、まだ大半の若者たちは絶望感に打ちひしがれているわけではない。自助的な組織、活動も芽生えている。貧困にあえぐ国民の「善意」が消え失せないうちに、有効な施策に打って出ることが喫緊の課題だ。
それにしてもと思う。アフリカの国々が欧米やアジアの先進国の「協力や支援」で追い求めているのは、そうした先進国の「手垢」のついた経済モデル。だから、若者は地方の農村漁村を捨て、大都市を目指す。そしてやって来た都市部には仕事はなく、スラム地区に流れ住むことになる。人口の一極集中が治安の悪化を始め、多くの問題を生じることは言うまでもないだろう。
先般のTICADではアフリカが秘めている経済的発展の可能性が脚光を浴び、「アフリカは援助の対象から投資の対象に変わった」ともてはやされた印象がある。援助でも投資でも何でもいい。問題はアフリカの国々に投じられる支援が必ずしも等しく一般の人々の暮らしを潤すことになっていないことだ。
英語で言うと、self-aggrandizement という表現がある。「自己の富や権力の拡大強化」という意味だ。もっと砕けた表現なら、社会の最上層にあるごく一部のエリート階層が「あきれ返るほど私腹を肥やすこと」とでも言うのだろうか。アフリカでは多くの国々でこのセルフ・アグランディズメントが横行している。支援・投資する側がこの問題に真正面から向き合わない限り、援助であれ、投資であれ、アフリカの国々の大多数の人々が幸福感に浸れる日がやって来るのはまだまだ遠い。
(写真は、2010年夏のナイジェリア再訪の際の光景。ラゴスではこのような水上生活を送っている人々も少なくない。「快適さ」からは程遠い生活だ)
Comments:2
- takatoshi 2013-06-22 (Sat) 14:46
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俺も見たよ、ラゴスと聞いて直ぐに公家さんの本のこつを思ったが、あれだけのスラム層が居るとは知らんかったし、(ブラックアフリカをさるくに書いてちょったら済まん、忘れたかも)確かに日本とか先進国が援助しても、一部の特権階級が猫ばばしちょるらしいね。
(最近は使わん言葉、昨日は俺の言うた言葉にそれが証明出来たら、家ん母ちゃんが逆立ちして廻ると言うたが)
何とかならんもんじゃろかいね、と思もた。さっき妻、娘と孫が多摩動物園に行ったかい久しぶりにちょこっと入りました。 - nasu 2013-06-24 (Mon) 11:18
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たかとし 俺の本にもちゃんと書いてるよ。あのラゴスの凄まじい暮らしは。思い出してくれただけで嬉しいばい。ここ二三日、
アフリカの新聞(ネットで)読んでいるが、
マンデラさんがどうも危ないらしい。危篤
だとか。さすがにもうだめかもな。彼が逝ってしまうと、アフリカは文字通り、一時代が終焉する。陳腐極まりない表現だが。省一