- 2016-03-11 (Fri) 12:49
- 総合
まだ少しもやもやした感じのまま昨日帰福した。食欲がなく、完調ではない。何を食っても美味いと感じる私にとって食欲がないのは異常事態だ。
それでも、予定通りに最初の旅を終えて、ほっとしている。幾つかの収穫はあった。まず、最初に、現在の韓国語の力ではとても自然な会話は無理ということが分かった。状況に応じてどう言えばよいか、ある程度の基礎的表現をきちんと身に付けることが重要であることを認識した。これまでは行き当たりばったりの学習法だった。
釜山の人々は親切だった。ホテルのロビーでこの10年だか20年だかの間に、釜山を訪れること250回以上と語っていた日本の老婦人がいらっしゃったが、なるほど、釜山訪問が病みつきになる人がいるのはもっともなことだと納得した。第一、物価が安い。例えば、釜山から尋ねた統営。高速バスで2時間程度の旅だったが、料金は日本円にして約1,200円。日本だったら、少なくとも3倍ほどの料金となるのではと思う。
韓国を訪ねる我々日本人は過去の歴史を忘れることはできないだろう。それで萎縮することもないが。釜山では『ぐるぐるプサン』でも紹介されていた「釜山近代歴史館」にも足を運んだ。19世紀末から明治日本が朝鮮王朝を侵略した歴史の一端がビデオやパネルで紹介されていた。かつて中高の授業でもざっと習ったつもりだが、改めて日本が当時の朝鮮の人々にもたらした災いを思わざるを得ない。明治維新を経て、脱亜入欧、富国強兵の掛け声で、朝鮮の国土を侵略し、朝鮮の民を隷属させても是とする思いはどこから生まれたのか。国家レベルでは我々は今なお、そうした過去の「清算」に悩まされている。
歴史館の受付には係りの婦人が何人かいたが、こちらが日本人と分かると、日本語の小冊子を持ち出して親切に応じてくれた。私が釜山の他にもどこか訪ねたいと語ると、他の人も集まってきて、どこがいいかしらねと額を寄せて考えてくれた。彼女たちの親日感は決して上辺だけではないことが伝わった。
釜山最後の夜の食事は南浦洞・ジャガルチ市場の一角のレストランで「焼き魚定食」を食べた。体調不良のため、快食とはいかなかった。食事を済ませ、ホテルへの帰途、交差点で見た光景が実は今も脳裏を離れない。これも冒頭のもやもや感につながっている。
交差点で屋台のそばにうずくまり、一人の老婆が野菜を売っていたのだ。老婆といっても、そう年ではない。乱れた髪や衣服から老婆の印象を受けた。物乞いではない。彼女が坐している前には僅かとはいえ、野菜類が置いてある。一見して新鮮ではないことが分かる。道行く人は誰も彼女に視線を留めないようだ。私は一瞬、ポケットの10,000₩を彼女に与え、野菜を幾つか手にしようかと考えた。いや、野菜はいらない。でも、何か買わないと物乞いにお金を与えたことになる。そんなことを瞬間的に考えたが、彼女の狼狽に私のしどろもどろの言い訳、通行人の好奇の目、そんなものを考えると、萎えてしまった。
彼女に「小僧の神様」的な幸運をまた期待させるような行為に出て、一体何になるのか。それこそ残酷な行為ではないか。彼女のような哀れな存在を目にしたことは初めてではない。アフリカでは時として目にした光景だった。なぜ、今回は今も脳裏から消えないのか。彼女が日本人のように映ったからなのか。自分が齢を重ねた証なのか。