Home > 総合 > ガリア戦記

ガリア戦記

  • 2016-01-11 (Mon) 09:58
  • 総合

 年末年始留守にしていたこともあり、帰福して今冬初めて暖房(ガスストーブ)をオンにした。暖かい。韓国語だと、따뜻함니다(タットゥタムニダ)。日本人には厄介な発音の濃音が二つも出てくる。韓国に旅して果たして私の発音で通じるか楽しみだ。よく見ている韓国語ドラマは一週間余の空白があったが、筋立てに大きな変転はなく、いつものように物語が流れている。字幕がなくても理解できるようになるのはまだだいぶ先のことだろう。
                         ◇
 帰福してマンションのドアを開けると、この間にたまっていた新聞がどさっとたまっている。例によって正月紙面は分厚いが、新年も一週間以上も過ぎていると、とても読む気になれない。私は現役の頃から思っていたのだが、日本の新聞各社の正月紙面制作はもうそろそろ方針変更してもいいのではと思う。この時期は海外(国内)旅行や里帰りなどで多くの読者が自宅を留守にしているかと思う。正月明けで帰宅して、留守にしていた間の新聞を読み返すのは一仕事だ。正月の特集はラテ欄程度にとどめ、その他の特集は12月の中下旬とか1月の上旬とかに配達(編集制作)してもらった方がずっと読者サービスになるだろう。
                         ◇
 岩波文庫の『ガリア戦記』(カエサル著、近山金次訳)を読んだ。1942年の刊行で2015年に第77刷発行とあるから、根強い人気の一冊なのだろう。表紙には「カエサル(前102年頃―前44年)の率いるローマ軍のガリア(今のフランス)遠征の記録。現地から彼が送る戦闘の記録はローマ全市を熱狂のるつぼに化したという。文筆家カエサルの名を不朽にし、モンテーニュをして『最も明晰な、最も雄弁な歴史家』と賞讃せしめたものである」と記されている。読までかいな!
 この本を読みたかったのは、カエサルすなわちシーザーのブリテン島遠征のことを知りたいと思ったからだ。イングランド及び英国民にとってはローマ帝国の侵略を受けたことは歴史の大事な一コマとなっている。ただ、残念ながら、『ガリア戦記』にはそう詳しい記述はなくあまり参考にはならなかった。以下のくだりにはマーカーを走らせた。
 ガリアを通じて尊敬され問題にされる人間は二種類ある。民衆は殆ど奴隷と見做され、自主的に何もできず、何も相談されない。(中略)二種類の人間の一つは僧侶であり、もう一つは騎士である。僧侶は神聖な仕事をして公私の犠牲を行い、宗教を説明する。教育を受けようと多数の青年が集ってきて、尊敬されている。(中略)その教えはブリタンニアで始まり、ガリアに伝えられたものらしい。現在その事柄について更に詳しく知ろうと思うものは勉強のためにブリタンニアへ行く。
 僧侶と騎士以外は民衆が奴隷状態の社会とは住みにくい世の中だったことだろう。まあ、日本も似たような状況だったのだろうが。それはさておき、英国にとって欧州連合(EU)との関係をどう保つのかは今も悩ましい難題だ。シーザーが乗り込んだブリテン島の住民は今のゲルマン系のアングロサクソンではなく、異民族のケルト系の人々だったはずだ。だからであろうか。この当時はブリテン島の人々とガリアの人々との関係は意外と友好的だったようだ。それが分かっただけでも「収穫」だった。

Home > 総合 > ガリア戦記

Search
Feeds

Page Top