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日暮れずとも道遠し

  • 2015-12-09 (Wed) 10:37
  • 総合

20151209-1449624883.jpg 梅原猛氏の近著『親鸞「四つの謎」を解く』を読み終えた。哲学者の親鸞に寄せる愛慕の念が行間にうかがえた。梅原氏は冒頭、「年とともに神仏の加護を信じるようになった。私が今日まで生き長らえることができたのは、神仏が私に、あるいは国家のためにあるいは人類のために何かをやらせたいためではないかと思っている。私にはまだやりたいことがある。いや、やらねばならぬことがたくさんある。あと五、六年、できれば十年の時間が欲しい」と書いている。齢90にしてこのパワー。これだけでも勇気を頂いた。
 私は親鸞や浄土真宗については全くの門外漢だ。親鸞が仏僧には珍しく妻帯したこと、悪人こそ信心によりその魂が救済されるのが容易なのだという「悪人正機説」を知っていた程度だ。それでも、この書を最後まで興味深く読み進めることができた。マーカーを走らせた部分を少し抜き書きしただけでも以下の通りである。
 「僧の結婚は釈迦以来の仏教の原則を全面的に否定するものであると思う。また、それはまさに積年にわたる仏教の弊害を克服するものでもあった。僧の結婚を前提としなければ、女性救済の道は実現しなかったからである」「十三世紀という時代に、まったく男女平等の仏教が日本で誕生したのである。おそらく世界でこのような宗教的民主主義の仏教が開花した国は、他にないであろう。これはまさに日本の仏教の誇りである」「近代真宗学においては、『悪人正機説』が親鸞の主要な思想とされたが、私は、『教行信証』において親鸞が浄土教のもっとも重要な思想としたのは、『悪人正機説』ではなく、『二種廻向』の説であると考える」「『二種廻向』、特に『還相廻向』が念仏者の必然の運命であるとすれば、それは具体的にどういうことを意味するのであろうか。私はそれは『生まれ変わり』ということではないかと考える。魂の永遠の旅とでも言い換えられるかもしれない」
 図書館から借りてほぼ同時に読んでいたのは、宗教学者の島田裕巳氏の著『ほんとうの親鸞』(講談社現代新書)。これは梅原氏の書とは趣を甚だ異にしていた。島田氏は「あとがき」で次のように記している。「この本を書くまで、私にとって親鸞は苦手な存在だった。あまり好きではない、正直なところを言えば、そういう感覚があった。(中略)この本を書き上げて、私のなかから親鸞に対する苦手意識は消えた。親鸞は特別な人物ではない。超人でも巨人でもなく、実は普通の人間なのである」と。
 新聞社勤務時代の同僚で博学の士、H君に近況を伝えると、私のはるか先を歩むH君はいくつか参考になる文献を紹介してくれた。いやはや学ぶことは多々あるようだ。まあ、金はなくとも当座の時間だけはたっぷりある。神様がそれをお許しになればの話だが・・・。                  ◇
20151209-1449624966.jpg 英語に関する記述を少し————。月曜日のJNにシンガポール発で “More residents going overseas to kick the habit” という見出しの記事を見かけた。薬物依存症の人々(drug addicts)が匿名での治療を求めて海外でカウンセリングを受けていることを報じた記事だった。kick the habit で「悪癖をやめる」という意味合いとなるようだ。なんとなく、kick だけでは「弱い」ような気もするが、これで十分らしい。つい最近、knock off the habit という表現に出合ったばかりだったからそう感じたのかもしれない。

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