- 2015-12-06 (Sun) 20:09
- 総合
韓国語のドラマで登場人物の言葉が耳に残っている表現があった。私の耳に聞こえたままに書くと「タイギダ」。何の根拠もなく、時代劇でお殿様が臣下に対し「その方、大儀であった。下がってよいぞ」というシーンを思い浮かべていた。おそらくそんな感じの物言いであり、日本語に近い語源の表現ではないかと。
気になったので調べてみた。こちらの全くの思い違いであることが分かった。ハングルで書くと 다행이다 となる。読みは大雑把に書くと「タヘンイダ」。다행 は漢字だと「多幸」。「(それは)良かった」という意味となる。どこかで落とした財布が親切な人に拾われて自分の元に無事戻って来た時などに思わずつぶやく言葉だという。「ああ良かったわ」。「タヘンイダ」。「大儀であった」とは全然違う! それでもつい日本語との近さを誤解するのだから、それだけ韓国語の学習は刺激的であるという証左だろう。
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梅原猛氏の近著『親鸞「四つの謎」を解く』(新潮社)を少しずつ読んでいる。関連で親鸞聖人に関する他の書を図書館から借り、同時並行の読書だ。それにつけても、灯台下暗しと言うか、自国の歴史や出来事を知らないで過ごしてきたものよと暗澹たる気分に陥る。不明を恥じるばかりだ。まあ、それでも会社を早期退職して以来、人様より少しばかり早く自由に使える時間をこうした学習に向けられる身の幸せに感謝すべきかもしれない。まさに다행이다(タヘンイダ)。
先日は授業で “I feel at ease with myself.” という文章について説明した。at easeは辞書には「気楽な」「安心して」という熟語として載っている。英英辞書だと “relaxed and confident, not nervous or embarrassed” と記されていて、こちらの方が意味がより明解に理解できる。私は今まさにこの境地だ。ここに至るのに61年の歳月を費やしてしまったのは情けないが、Better be late than never だ。授業では「君たちもこの文章のような心もちで毎日を過ごして欲しい」と付け加えた。「私は私自身に満足している」というような訳文になるかと思うが、「私は今の私で十分幸せ」という訳がぴったりはまる感じがする。
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読売新聞では2020年の東京オリンピックを念頭に、スポーツ用語の英訳を随時紹介している。忘れなければ読むようにしている。先日の語句は routine という語だった。少し前に宮崎のゴルフの友から「省ちゃん、ドライバー打つ前に準備する一連の動作、あれは何と言うと?」と聞かれたことがある。「Tさん、それはルーティーンちて言いますわ。英語からきとる言葉ですがぁ。いつもの手順ちゅう意味ですな」と答えた。「あ、そぉや。分かったばい。ルーティーンじゃな」
記事ではroutine を「決まり事」と訳し、「ルーチン」と表記していた。アメリカの公民権運動指導者のキング牧師のフルネームは「マーティン・ルーサー・キング」と書くのが一般的かと思う。英語語源の語はすべからく「英語らしく」書くべしとは思わない。「ティームバッティング」ではなく「チームバッティング」で十分だ。だが、「ルーチン」はどうも頂けない。「チン」という響きに違和感があるのかもしれない。