- 2023-11-03 (Fri) 10:55
- 総合
先にオンラインで教えている英語教室でカズオ・イシグロの短編小説を読んでいることを書いた。今は “Come Rain or Come Shine” という作品を読んでいる。今回の短篇集には5つの作品が収められているが、個人的にはこれが一番好きだ。“Come Rain or Come Shine” は大学をともに過ごした3人の男女が登場する。語り手でもある男Aと男Bは親友。女CはBと早くからステディな関係になり、大学卒業後に結婚する。AはCと好みの音楽が重なり、音楽の話題を通して気の合う友人となる。
結婚したBとCはロンドンに住み、多忙な生活を送る。子供には恵まれなかった。Aは英語教師の道を選び、スペインで社会人を対象に英会話を教える。報酬的にもあまり実りある仕事とは呼べないようだ。当時の英国人には大学卒業後に日本を含めた海外で英語教師となり、多くの国を渡り歩くのが「悪くない」生き方の一つだったのだろう。英語がネイティブ話者という絶対的切り札を手にしている。登場人物たちとほぼ同世代と思われる作家イシグロにもそうした友人がいたのかもしれない。
BとCはうだつの上がらないAの生き方を「豚のケツをなめる」ようだと蔑んでいる。Aは自分が秘めている能力をもっと活かすべきだという期待の裏返しでもある。BとCの関係が良好かというとそうでもなく、Cは夫のBがもっと出世というか社会の上のクラスに上ってしかるべきだという不満を長年くすぶらせている。言い忘れた。3人は今や47歳となり、若くもなく、老年でもない年齢に達している。
Bは妻Cの上昇志向に閉口している。次のようにAに対して不満を吐露しているシーンが読ませた。‘She thinks I’ve let myself down. But I haven’t. I’m doing okay. Endless horizons are all very well when you’re young. But get to our age, you’ve got to … you’ve got to get some perspective. … She needs perspective.’(彼女は俺が人生をしくじってしまったと思っている。俺はしくじってなんかいない。俺は完璧にまともな人生を送っている。若い時には無限の可能性がどこまでも広がっていると思うものだ。だが、俺たちの年齢になると、身の丈を知ることが必要なんだ。彼女にはそれが分かっていない。・・・身の丈を知るってことが分かっていないんだ)
上記の文章は正直訳しづらい。perspective をどう訳すか。私の頭に最初に浮かんだ訳語は「大局観」だった。「物事の全体的な状況を冷静に見極める思考・判断」。私は英語教室では受講生に「俺たちの年齢になると物の道理をわきまえる必要があるんだ」と説明した。つまりget some perspective とは「物の道理をわきまえる」ことだと。しかし、今この項を打っていて、「(自分の)身の丈を知る」の方がベターかと思い始めた。
日本語訳はともかく、自分自身の人生を振り返り、作中人物と同じ47歳の頃に私は今の自分を見据えたperspective があったのかと自問すれば、間違いなくなかった。どこまでも地平線が続いているとまでは思わなかっただろうが、こんなに早く終幕がやって来るとも思っていなかった。とある作家が「人生はもっと長い長編小説だと思っていた。こんなに短い短編小説だとは思わなかった」と語っているのを耳にしたことがあるが、まさにそんな感じだ。人生を見つめ直し、perspective に思いを馳せる余裕などなかった。残念!
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