- 2023-10-15 (Sun) 09:58
- 総合
天才・藤井聡太竜王が王座戦に勝ち、史上初の八冠を獲得した。読売新聞では号外を発行するほどの大騒ぎ。私は最終局となったその王座戦をパソコンのインターネットテレビ(ABEMA)の生中継で見ていたが、私がABEMAにアクセスした時点では永瀬拓矢王座が優勢で画面に表示されるAI(人工知能)による形勢判断では永瀬王座が勝利する可能性99%、藤井竜王1%と表示されていた。
だが最終盤(藤井棋士もだが)秒読みを迫られた永瀬棋士が痛恨の一手を指すと、AIの評価は大きく藤井棋士に揺れ動いた。記憶が定かでないが、99対1と真逆に振れたのではないかと思う。事態の急転を悟った永瀬棋士が頭をかきむしりながら苦悶というか煩悶というか、自分でも信じ難い悪手を打ったことを悔いる表情が画面から伝わってきた。プロの棋士があれほどの感情、心の揺れを見せたのを初めて「目撃」したような気がする。信じていた大切な勝利をうかつにも逃してしまったショックが見てとれた。
前説が長くなってしまった。八冠となった藤井棋士の凄さは私のような将棋の駒の動かし方を知っているぐらいの者には理解さえできないことは承知している。新聞報道などを読むと、彼の強さの背景にはAIを通しての勉強も貢献しているようだ。藤井八冠誕生を特集した読売新聞の「全冠独占」という連載に次の一節があった。「愛知県在住の藤井竜王は東京や大阪の棋士と比べ、強い相手と直接練習する機会は少ないが、入手できる将棋の情報に地域差はない」
翻って我が身を考える。一昔前だったら、都会というか都市部に住む利点は大きかったかと思う。新聞社を辞め、大学講師の傍ら、紀行本執筆や翻訳に勤しんでいた頃、図書館に何度も足を運んだ。イランの小説を翻訳していた時には図書館の蔵書に大いに助けられた。もちろん、パソコンを駆使して情報をかき集めてもいたかと思う。だが、当時(2012-14年)はまだ自分の足で図書館まで行き、必要な情報を入手しようと試みていた。
そして今はどうか。そうした目的で図書館に足を運ぶことは皆無だ。パソコンを開き、グーグルで検索をかければ、必要な情報はほぼ入手できるからだ。一日中自室にこもり熟考することが可能。例えば、オンラインで教えている英語教室では今は英国の作家、カズオ・イシグロの短編小説を読んでいる。“Nocturnes” と題した短篇集。生業であれ、趣味であれ、音楽への愛が通底に流れていて、アメリカのジャズ歌手や作曲家の名前が数多く登場する。音楽に疎い私でも名前ぐらいは聞き覚えがあり、ネットで検索をかけ、詳細を調べることになる。瞬時にして必要な情報は頭の中に収まる。ネットなくしては立ち尽くしてしまっただろう。でもよく考えると、そう遠くない昔はそれが普通だったのだ。
それが今ではベッドやソファーに寝転びながら、ありとあらゆる情報をゲットできる。信憑性には十分な留意が必要であることは言うまでもないが。将棋棋士が東京や大阪に住む必要がなくなったように、庶民もどんな田舎であれ、Wi-Fiにアクセスできるところならどこに住んでも「情報難民」となることは回避できる。上記の調べ物をしていて、バーブラ・ストライサンドに行き当たった。彼女の歌は聴いたことはあった。今回改めて聴いてみた。“Woman in Love” にはまってしまった。毎日聴いている。