- 2022-06-29 (Wed) 10:04
- 総合
暑い日が続いている。昨年はどうだったのだろうとブログを振り返ると、6月30日の項に次のように書いている。――今年の夏はまだ蝉の鳴き声を聞いてないなと思った。ラジオを聴いていたら、どうやら蝉の鳴き声が本格化するのは7月に入ってからとのこと。そうか、窓を閉めたくなるような騒音ともなる蝉時雨を耳にするのはまだこれからか。猛暑の方は段々と忍び寄っているのに。先週末、珍しく来客があったため、今夏初めてクーラーを入れた。さすがに涼しい。これからはしばらくの間、クーラーのお世話になる日々が続くのだろう。――
そうか、去年の今頃はクーラーをつけていたのか。今年は数日前にクーラーのスイッチに手を伸ばしてしまった。日中はなんとか窓からの通風と扇風機とで我慢しているが、夕刻以降にはさすがにクーラーをつけるようになっている。
去年は初めて新宮海水浴場で泳いだ。これもブログで確認すると7月29日。8月の声は聞いていないが、ちょっと遅めか。去年は直後にクラゲに左首の辺りをさされ、大きく腫れ上がり、熱も出て往生した。今年は早めに出かけ、クラゲに刺されないようにしよう。また、海水浴場の水深事情も知らず、体力が尽き果て溺れそうになる一幕もあったが、今夏はこれにも気をつけよう。今週末か来週には泳ぎに出かけたいと願っている。
◇
NHKラジオの中国語講座。以前から疑問に思っていたことを分かりやすく説明してくれ、大いに参考になった。上記の「水泳」。中国語では「游泳」ということは承知していた。ただし、ピンイン表記は何度記憶しようと思っても、声調を含めて覚えるそばから忘れていた。それに「游」と「泳」はどう使い分けるのだろうといつも迷っていた。単独に「泳ぐ」という時には「游」よりも「泳」の方が相応しいのではないかと漠然と思っていた。「泳」の方が「泳ぐ」というニュアンスが強いように思えたからだ。
ラジオ講座の先生は私の考えが間違っていることを諭してくれた。「泳」は名詞で動詞は「游」の方らしい。つまり「游泳」は「泳ぎを游ぐ」の意だとか。だから、「私は100㍍泳げる」なら、「我能游一百米」となる。了解。もう一つ問題はピンイン表記。yóuyǒng。声調で言えば、上がって、下がって、少し上がる感じの声調。日本語はもちろん、英語にも韓国語にもないこんな微妙な音調はすぐに忘れてしまう!
◇
暑さもあってほぼ毎日スイカを夕食後に食べている。スイカにもっと栄養価があったなら、朝昼晩、スイカだけを食してもいいと思っている。私の前世はひょっとしたらキリギリスだったのではないかしらと思ったりしている。そういえば、イソップの寓話か何かで冬場に蓄えがなくなり、蟻さんに助けを求めるのはキリギリスではなかったか。
私は体型的にはキリギリスからはほど遠いが、キリギリスのように、happy-go-lucky な人生を送ってきたことは深く自覚している。とはいえ、今は石部金吉の暮らしぶりゆえ、神様も少しは哀れんでくださるだろう。まだまだ人生の楽しみ、喜びはこの先、転がっている(かな?)と信じている。