- 2022-01-24 (Mon) 14:27
- 総合
毎月2回のオンライン英語教室で昨年7月から読み進めてきていたカズオ・イシグロの作品 “Klara and the Sun” を昨日曜日、ようやく読み終えた。退屈することもなく、挫折感を味わうこともなく、期待していた通りに読了できた。受講生はわずか2人だけだったが、英文解釈を教えるという感じではなく、イシグロワールドを一緒に楽しく読み解いたと言うべきだろう。
作品自体は何度か読んではいたが、英語教室のために一行一行を丁寧に読み返す作業を通し、それまでは見落としていたポイントに気づくことができ、私自身にとってもとても有意義な教室となった。最後の教室ではお互いの読後感を語り合った。このブログは備忘録であるからして、私の読後感を記憶が薄れる前に記しておきたい。
物語の主人公は「ロボ友」とでも訳したいArtificial Friend (AF)の少女クララ。AFのエネルギー源は太陽光。実に賢く、心優しい彼女が「仕える」のは病弱な少女ジョージー。
物語の舞台は北米と思われる地で、AFや最先端の機器が社会を支えるようになっている近未来。家庭でも「ロボ友」の少年少女が孤独な子どもたちの遊び相手になっている。貧富の格差は歴然としており、富裕な家庭の子どもたちは遺伝子操作(?)の施術を受け、ますます優位な立場を享受している。国家の枠組みは残っているようだが、人々は価値観を共有する者たちだけで独自のコミュニティを形成している。
ジョージーは遺伝子操作の施術の後遺症か身体が日増しに弱っている。娘を溺愛する母親はジョージーが他界した時には、彼女の知性、性格、性癖を完コピしたロボ友、つまりクララをそのまま第二のジョージーとして「育成」することも考えているようだ・・・。
作家はこの作品で人間の heart とは何ぞや、我々がheartと呼んでいるものは人間にしか存在しない特別なものなのだろうかと問いかけている。母親と離婚はしたが、娘への愛は母親に負けない父親は第二のジョージーをこしらえることには懐疑的で、クララに次のように問う。“Do you believe in the human heart? I don’t mean simply the organ, obviously. I’m speaking in the poetic sense. The human heart. Do you think there is such a thing? Something that makes each of us special and individual?”
クララはジョージーが死ぬ事態に至れば、母親が自分を娘の「身代わり」としたいと考えていることを知り、その日が来ればジョージーを「継続」できるように全力で彼女のことを「学ぶ」。だが、やがてそれが不可能なことに気づく。その人の存在を special かつ individual にしているものはその人の中にあるのではなく、ジョージーの場合であれば、それは母親や父親、恋人のリックや家政婦のメラニアなど彼女を大切に思い、愛している周囲の人々の心の中にあるのだと悟る。これは先述の父親の問いへの答えでもあろう。
医師が匙を投げたジョージーの病を治すのはクララが祈りを捧げ続けたお日様の光。現実離れした展開とも言えようが、作家はこの作品を大人のための「お伽噺」として考えていたのではないかと推察すれば、十分納得できる。(毎朝神棚を拝むものの)クリスチャンの端くれと考えている身としては、お日様、お天道様を崇敬するクララの姿にも共感を覚えた。エンディングが何とももの悲しく思えたが、感じ方は人それぞれだろう。
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