- 2022-01-12 (Wed) 10:32
- 総合
関西の旅から戻り、今週から仕事が再スタートした。兄の家では歓待を受け、お腹周りが一段とたくましくなったような気がする。福岡に戻ったこれから、粗食を心がけ、少しやせないといけないと思っている。体重はおそらく80㌔を超えているような気がする。とりあえずは会社を辞める頃の72㌔辺りに戻したい。
兄の家では磐城のSさんから松茸入りの日本酒と鮭の粕漬けが届き、有り難く頂いた。私が福岡を離れていることを知ったSさんが機転を利かせ、兄の家に送ってくれたのだ。驚いたのは電話を頂いた翌日に届いたこと。あまりのスピードにびっくりしたが、自分は福岡ではなく京都・亀岡にいたので、時間がかからなかったらしい。松茸の香り豊かな酒と鮭の粕漬けで新年のスタートを祝った。
関西最後の日は神戸で古い知己の方々とお昼を一緒した。これも2年ぶりの歓談であり、楽しいひとときを過ごした。電車が遅れ、道に迷ったこともあり、約束の時間に遅刻した。おまけに会場のお寿司屋さんに着いて、皆さんに挨拶した後、尿意を催していた私は即トイレに走らざるを得なかった。その時に私が皆さんに発した言葉は「ちょっと運動会に行ってきます。よーいどんの心境です」。滑ったようだ。私が好きだった関東のお笑い芸人(故人)のギャグ。頻尿に悩むお年寄りに彼が放った忠告。尿意を催したらすぐにトイレに向かうのですよ。昔から(運動会で)言われたじゃないですか。にょういどん(よういどん)と。
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最近はブログをアップするのも億劫になっている。寒さのせいでものぐさになっていることも一因か。ネットで興味深い記事を読んだりすると、その記事を紹介しようと思いもするが、数日経過するとすっかりその気は失せている。
年末に読んで考えさせられたのはネット購読している米ニューヨーカーに掲載されていた記事。中国・重慶市で1990年代に学生に英文学を教えた米人教師がこの30年余、教え子たちがたどった変化を振り返っている。教え子たちは言わば鄧小平が推進した改革開放政策の申し子。今や齢50に達し、定年も視野に入った彼らにフリーランスの記者となった教師が再会し、過ぎ去りし時代を語ってもらっている。彼らは貧困の子供時代を骨身に染みて体験している。両親の世代と決定的に異なるのは、彼らは自分たちの創意工夫で一代で富裕層の仲間入りを果たしたこと。高層マンションの住宅を手に入れ、外国の高級車を乗り回し、快適な日々を送っている者もいる。
一人のそうした登場人物がつぶやく次の言葉が印象に残っている。「5,6歳の頃が私の家は最も貧しかったと思う。食べるものが潤沢にあったことはなかった。私の家ではしなかったが、隣家では木の葉を湯がいて食べていた」
私は中国の人々はこの20年、30年、急速な変化の時代を生きているのではないかと思う。いいとか悪いとかいうことではない。一つ言えることは、彼らには貧しかった両親世代の暮らしぶりが頭の片隅に残っているだろう。それが根っこにぶら下がっているのではないか。しかし大人になった彼らが今、育てている子供の世代にはそうした根っこの部分はもはやないだろう。日本に住む我々にもとても気になる未来の世界だ。