- 2021-12-13 (Mon) 14:41
- 総合
アメリカで刊行されているキリスト教の祈祷書 “Daily Guideposts 2021” を毎朝読んで一日をスタートさせていることは何度も書いているかと思う。年末が近づき、2022年版を買い求めようとネットで何回か試みたが、長いことネットで本を注文していないこともあって、どうもうまくいかない。困ったあげくにこの祈祷書を毎年プレゼントしてもらっている芦屋市の敬愛するHさんにメールした。「今年からは自力で入手しようと思い立ちましたが、うまくいきませんでした。費用はお支払いしますから、今年も送って頂けませんか」と。Hさんからは何事もなかったかのように2022年本が贈られてきた。感謝!
この祈祷書は50人ほどの敬虔なキリスト教徒の方々が交代で365日、それぞれの思いを綴っている。末尾には執筆者の顔写真と簡単なプロフィールが掲載されている。新版を見て高齢の人が執筆陣から消えていると心がざわつく。2022版をさっと繰って気になっていたご夫人の名前がないことに気づいた。2021年版を読んでいて、彼女が最愛のご主人に先立たれ、視力もほとんど喪失したことを知り、危惧していた。詳しい事情は知る由もないが、実に残念に思う。彼女の安寧な余生を願うしかない。本日の日付の項では南アフリカを訪れた思い出を書かれていた。91歳となり白髪、歩行器を使って歩く彼女は行く先々で南アの人々の関心を集めたとか。むべなるかな。実際にお目にかかる機会に恵まれていたら、私たちの話は盛り上がっていたことだろう。
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「勉強になります」。日本語ではまだ死語にはなっていない表現だろう。普段の生活でも思わぬところで何か新しいことを知ったりすれば、そうしたことを教えて頂いた方々に「いやあ、勉強になりました」と自然にお礼を言ったりしているかもしれない。
ふと、思った。この「勉強になりました」は英語では何と表現するのだろう。いや、そもそも英語の感覚では「勉強になりました」という表現自体が違和感のある文章となるのでないか。そうした謙虚さは英語では「勉強」と一緒に表されないのではないか。スマホの翻訳機能で調べてみた。“I learned a lot.” という文章が出てきた。なるほど。意味は問題ない。しかし、相手に対し「教えて頂きありがとうございました」という謝意までは表現されていないように思える。
韓国語ではたしか、日本語と似たような表現があったような記憶がある。スマホの翻訳機能にかけてみると、「공부가 되었어요.」という文章が出てきた。「勉強=공부」であり、日本語表現と酷似している。こちらも謝意が込められているような気がする。私にはすっと腑に落ちた韓国語の文章の典型的例だ。中国語の方をスマホで調べてみると、「学到了很多。」という文章が出てきた。意味は分かるが、相手に感謝する気持ちが込められているかまでは私には分からない。英語のように単に、それまで知らなかったことを今は知っている、学んだという事実関係が述べられているだけではないかという気がしてならない。
この辺りにも私は英中両言語、そして日韓両言語の「近似性」を感じる。とはいえ、韓国語も難易度が上がると、日本語からは到底類推できない語彙が登場して、脳内には?マークがあふれる。日暮れて道遠しの思いが募る。
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