- 2021-12-01 (Wed) 10:22
- 総合
一番最後の項で「これから暇な折に読みたいと思った長編小説を図書館から借りてきたばかり」と書いた。実際、文庫本で上下の2冊。細かい字でびっしり頁が埋まっており、おまけに翻訳本ゆえの難解さに満ちており、読み進めるのに大層難儀した。夢うつつの幻想的世界が描かれたり、門外漢にはついていけない哲学的さらには医学的用語が頻出するところも少なくなく、こちらも夢心地で頁を繰ることがしばしばだった。
という次第で期日内に読破すること能わず、下巻は借り出し期間を延長して昨日、ようやく読破した。果たして読破と呼べるものか自信がないが。この間、拙ブログを更新する気も起きず、こちらは怠惰に任せた。昨日、週一の英語非常勤講師の仕事を終え、帰途の電車の中でようやっとラップトップを膝に置き、久しぶりに拙文を打っている。
悪戦苦闘した小説の名前すら書いていない。このブログは備忘録ゆえに書き留めておこう。ドイツの大文豪、トーマス・マン(1875-1955)の代表作『魔の山』。恥ずかしながら、これが彼の作品を読む初めての体験だった。ドイツの作家の作品はあまり読んだことがない。この小説を読もうと思い立ったのは購読している読売新聞の書評欄のコラムで紹介されているのを目にしたからだ。書評氏が教えている大学で学生に読ませたところ、学生の評判が芳しかったと書かれていた。それで私も好奇心をそそられ、図書館から借りた。
いろいろ思うことがあったが、まだ「整理」ができていない。いつかまた別の機会に読後の印象など改めて書き記したいと思う。
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月2回オンラインの英語教室で読み進めているカズオ・イシグロの小説 “Klara and the Sun” も佳境に近づきつつある。やはりさっと一読した時には読み落としていたり、あるいはあまり気にとめていなかった箇所があることに気づかされている。
最近の箇所では以下のくだり。伏せっている少女、ジョージーが万が一、命を落とすことになれば、彼女の母親は科学的な被造物のAF(私はロボ友と呼んでいる)のクララにそっくり新しいジョージーとなってくれるように求める。ジョージーの癖や話し方、考え方、行動形態などを学び尽くし、親しい家族が見ても見分けがつかないほどに彼女に成り切ることを求められる。
ジョージーとは離れて住む離婚した父親は懐疑的だが、優しいクララと心を開くようになり、クララに次のように尋ねる。“Do you believe in the human heart? ... Do you think there is such a thing? Something that makes each of us special and individual?” 科学技術が今後最高点に達して将来、ある個人の死亡を受け、その人を「継続」する個体を科学的に「誕生」させることは可能か不可能かという問いでもある。多くの人が the human heart はコピーできない、すなわち、自分でも時として分かりかねている自分をそっくり「コピー」できる人造人間なりロボットを製造できるとは思えないと答えるのではないか。
それでは人間は類を見ない特別な存在であり、神様だけが「関与」できる崇高な存在だと胸を張れるのか。この地球上で起きている我々人間が引き起こした数々の惨事を想起すると、そういうことなどおこがましくてとても口にできないような気がしないでもない・・・。
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