- 2014-05-19 (Mon) 12:44
- 総合
昨秋から取り組んでいた翻訳(荒訳)が完了したとこのブログに記したのはもうだいぶ前のような気がする。発刊までの校閲作業が大変であることも指摘していたかと思う。
出版社からその翻訳本の初校ゲラが送られてきた。A4紙で500枚ほどのゲラだ。正直に言うと、もう忘れかけていたので、また原稿に向かい合うのは少々難儀、と思わないこともない。一番恐ろしいのは改めて読み返すと、え、これ何? これって意味がとれない、という個所に出くわすことだ。さらに恐ろしいのは、翻訳文に新たに訳注を入れる必要を感じることだ。翻訳者が良心的に仕事をこなそうとすれば、やはり、この人物(表現)は訳注を入れた方が読者に親切なのではないかと思い始める。もうそうなったら、再び、原書とにらめっこしながら、出来の悪い頭をひねることになる。
今はネットで大概のものは検索して調べることができるが、ネットに書いてあることが全部正しいとは限らないことは皆さん、ご承知の通りである。最初に間違った記述があり、後の人がそれを孫引きしていけば、間違った情報が延々と続き、それを正すのは容易なことではない。図書館に足を運び、百科事典やら人名事典を当たる必要が生じることになる。
翻訳本はオスカー・ワイルドの妻、コンスタンス夫人の伝記本。早い話、この夫人を英語のウィキペディアで調べると、誕生日が1859年1月2日となっている。実際は1858年1月2日だ。私の場合、伝記の著者とメールでやり取りできたため、危うく基本的なミスを免れた。その他、ネットで調べた情報が間違っているケースに何回か出くわしている。
訳文そのものも時間を置いて、再読すると、「粗」(あら)が見えてくる。ゲラを100頁ほど読み進めて次のような訳文で手がとまった。「じっとしていることは大変な努力を要するものだよ」。これはオスカーが誘惑の多いロンドンの魅力を友人に語るところだ。原文の文章は “I am hard at work being idle.” となっている。別にじっとしている必要はない。社会や自分に有意義な活動に汗を流さなければいいだけのことで、オスカー一流の皮肉を込めた警句的表現(epigram)だ。だから推敲の結果、「今は一生懸命に怠惰な生活を続けている」と変更した。
次のような訳文も気になった。「目指す目的地が英議会でないとすれば、少なくとも、専門的な分野で名を成す意欲に満ちあふれていた」。「専門的な分野で」に該当する原文は professional という表現。辞書から普通に適当な訳語を拾うと「専門的な」という表現が出てくる。しばし考え、「知的職業の」と手を入れる。「目指す目的地が英議会でないとすれば、少なくとも、知的職業の分野で名を成す意欲に満ちあふれていた」。この方がまだいいかと思う。いや、もっと適訳があるかもしれない・・・。
一事が万事。こんな調子だ。ああ、またしばらくは頭を悩ます日々が続くことになる。
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2008年に刊行した拙著の日英対訳の時事エッセイ「英語でさるく」を郷里を同じくする大阪・交野市在住のN・Sさんが目の不自由な人のために点訳した本=写真=が贈られてきた。元の本は200頁足らずの小さな本だが、点訳本だと四冊のファイルになる。点訳の苦労は想像もできない。ただただ感謝するのみである。