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英語でさるく 那須省一のブログ
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最後は炭火のホルモン焼き
- 2025-04-06 (Sun)
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宮崎2日目。鉱泉風呂で疲れを癒やし、郷里に向かう。途中で郷里に近い観光名所、西都原古墳群で催されていた花まつりを見学する。桜はもう満開の時期を過ぎていたのだろうが、十分桜を味わうことができた。菜の花も咲き誇っていて目の保養になった。花まつりの会場では弁当を広げた家族連れの姿が数多く見られた。
西都原に足を運んだのはずいぶん久しぶり。近くにある県立高校に通っていた私にとって西都原は懐かしさにあふれた地だ。今の体型からは想像が難しいが、高校時代は器械体操部に属していて、天気のいい日には高校から西都原にランニングすることもあった。西都原の芝生でバク転や抱え込み宙返りの練習をしたことを覚えている。運動神経の鈍い私は普段、抱え込み宙返りの高さに劣等感を抱いていたが、ここの芝生はクッションがいいのか、自分でも驚くほどの高さで宙返りができて嬉しく思ったものだ。55年ほど前のことだ。今抱え込み宙返りを試みたら、頭から落ちて大けがを負う可能性大。
◇
花まつりを堪能した後、郷里を目指した。午前中は曇っていたが、やがて日差しが出てのどかな春の一日となった。実家の上に設けられたお墓には父母や長兄、次姉らが眠る。手を合わせて古希を過ぎても健勝でいること、まだ仕事の機会を与えられていることなどを報告、感謝した。
宮崎3日目も気持ちのいい好天。思えば、過去にはゴルフを楽しみに帰郷することが多かった。ゴルフから遠ざかったのは一つにはコロナ禍。もちろん、現役ではなくなったため、それまでのように気ままにゴルフを楽しむことができなくなったことも一因だ。コロナ禍も去り、今となれば再びゴルフを楽しむこともできるが、スィングがすっかりさび付いてしまった身ではフェアウエィに立つのははばかられる。ゴルフをやっていた頃は宮崎の天候に一喜一憂していたが、そうする必要のなくなった今は連日の好天。皮肉なものだ。
◇
宮崎に戻ればのぞきたいと思っていた場所があった。回転寿司店だ。宮崎駅前のビルの三階だかに回転寿司店がオープンし、人気を集めていると人づてに聞いていた。宮崎はそう海の幸で知られているわけではないが、寿司ネタには事欠かないだろう。それで日曜の午後、ランチを食べようと弾む足で駅前のビルに歩いた。駅ビルの中はこれまではなかったようなお店が軒を連ね、食欲をそそる。
さてエスカレーターを何回か乗り換え、目指すフロアに着いた。奥にある回転寿司店まで歩くと、何と、休業中とのお知らせが出ている。がっかりだ。いかにも宮崎らしい。夕食は気を取り直して、金曜夜に満席で入れなかったホルモン焼き屋に向かった。時間が遅かったが、運良く潜り込むことができた。炭火焼きでホルモン、豚バラ、砂肝、レバー・・、どれも美味い。太り気味なので明日からはまた断酒に入ろうと思っており、今夜は特別に生ビールと焼酎を少々。ご飯も食べたいので鰹節の削り飯にキムチも注文。福岡でもこの感じのホルモン焼きは味わえない。最後の最後に宮崎らしい味を楽しむことができて幸せな気分に浸ることができた。これで宮崎打ち止め!
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宮崎
- 2025-04-05 (Sat)
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日本はやはりいい。ご飯を炊いて納豆に目指しと味噌汁、これだけで幸せな気分に浸れる。夕食時にはお刺身や乾き物で焼酎のロックを楽しみながら野球観戦。大リーグに魅せられ、近年はプロ野球はあまり熱心に見ていなかったが、ホテルで韓国のプロ野球を見ていたら、日本のプロ野球のレベルの高さに気づいた。プロ野球のスターたちが大リーグで普通に活躍できるのは宜なるかなだ。
さて、仕事を再開する前に田舎に戻り、実家のお墓に参ろう。実は今朝方、久しぶりに亡きお袋が夢に出てきた。お袋、何かメッセージがあったのかとしばし考えたが、思い当たることはない。墓参りすることを決めたばかりだから、喜んで夢に現れてくれたのだろうか。まさか。今宵は幼馴染みと宮崎市内で一杯やりたいと考えていたが、先方に先約があり、これは果たせなかった。宿は鉱泉風呂が気に入っているいつものホテル。まだ完治していない背中の帯状疱疹に効能があると考えている。
◇
九州新幹線が博多駅を出る直前にスマホに届いた米ニューヨーカー誌のコラムニスのエッセイを読んだ。トランプ大統領が全世界の国々に課した「相互関税」にまつわるエッセイで、見出しを見れば、その内容はおおよそ類推できる。Donald Trump’s Ego Melts the Global Economy (トランプのエゴ、世界経済を溶かす)となっていた。
私はトランプ氏は周囲から崇められたいだけの虚栄心まみれの男だと見なしているが、大統領として何らかの爪痕を残したいとも考えているようだ。上記のコラムでは米経済の不振ひいては米国民の苦境は諸外国、特に米国の友好国が米国産の商品に高い関税をかけ、自国製品を安く売りさばいているからだとトランプ氏が頑なに信じ込んでいるからだと解説されていた。tariff (関税)が彼の最も好きな言葉だとも。
本当に理解に苦しむのは米国民がなぜ、トランプ氏のような人物を大統領に、しかも二度も選んだのかという現実だ。米国民の選択だからいかんともしがたいことではあるが。世界経済が大混乱に陥れば、米国民は自分たちの過ちに気づくだろうが、その代償があまりに高くつかないことを祈るばかりである。
◇
さて一夜明けて、ベッドに寝そべりながらこの項を打って(記して)いる。宮崎はいい。残念ながら活気があるかと言えばよく分からない。活気で言えば、私が学生時代を過ごした頃の方がもっとあったのだろう。皆がそう言う。九州で一人勝ちの観のある福岡市には比べるべくもない。だが、時々宮崎に戻ってきている県出身者としては、たいして変わり映えのない宮崎こそ懐かしくもあり、良さもあると考えたくなる。
昨日は新八代駅から高速バスで宮崎に向かっている車中であることを夢想した。宮崎を愛して米国に戻られた大学時代の恩師を再び宮崎に招待できないものかということだ。経済的に余裕がある身ではないが、それぐらいはできるような気がする。恩師はきっと遠慮されるだろうが・・・。恩師に再訪してもらうとすれば、酷暑の夏ではなく、桜咲く今の時期、3月下旬から4月が最適か。これから考えたい。
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「就業可」
- 2025-04-01 (Tue)
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月曜朝、近くの内科医院に健康診断のために足を運んだ。4月から非常勤講師として(継続して)教える中学校と高校ではそれぞれ、健康診断書の提出が義務付けられている。健康に問題がなければ、院長が「就業可」の印鑑を押してくれる。いつぞやは診断の朝に冷蔵庫に残っていた甘酒を飲んでいたため、血糖値が異常に高くなり、「往生」した苦い思い出がある。幸い、今回は一回でパスすることができた。視力の衰えも案じていたが、眼鏡を数年ぶりに新しくしたこともあり、これもクリアすることができた。神様に感謝!
中高ともに新学期の授業が本格的にスタートするのは4月の半ばから。これまでの経験、反省を活かし、充実した授業ができるように精進したいと考えている。そうでないとこの年になって子供たちを教える意味がない。とりあえずは夏休みまでは仕事に全精力を傾注したい。細々と独学を続けている中国語と韓国語もやがて英語を教える上での「引き出し」になるのではという期待があるのだが、そろそろ、そうした「引き出し」を活かしてみたい。
◇
とはいえ、仕事が再スタートするまで若干の時間的余裕がある。やりたいことが少しある。一つはずっと心にかかっていたこと。亡き父と母、兄、姉の墓参りだ。私の愛する田舎は宮崎市内からも遠い山奥にある集落。妹か甥っ子に運転を頼んで乗せてもらうか、レンタカーを借りて自分で運転して帰るかしか選択肢はない。新幹線と高速バスで宮崎駅まで行き、駅前でレンタカーを借りる。往復5時間か。上手くいけば、宮崎市内に住む幼馴染みとその夜に一杯やることもできる。ハンドルは久しく握っていないので、ちょっと不安はあるが、まあ、宮崎は交通量が少ないから大丈夫だろう。それに緑豊かな郷里の山中をドライブするのは心地よい。
健康診断も無事終了したし、細やかに祝杯をあげたい気分だ。体重も恐れていたほどには増加していなかった。ソウルでJさんのお孫さんにお菓子を土産にもらっていたが、これが焼酎の肴になるとは思わなかった。今宵は料理は面倒だから、ご飯に納豆だけで我慢しよう。実は韓国で連日「重たい」食事をしていたからここらで「帳尻」を合わせたい。
◇
忘れる前に記しておきたいことがある。
韓国の旅でふと気づいたことだ。それは韓国では電車に乗る際も降りる際も一切、改札が行われないのだ。以前からそうだったのか分からない。今回、初めて気がついた。乗客はふらっと駅を訪れ、ホームに滑り込んだいかなる電車にもすっと乗り込み、どこへなりと行くことができる。一切の改札がないからだ。いつからそうなったのか分からないが、今回改めてこのことに気づき、不思議に感じざるを得なかった。
無賃乗車する不届き者は我が国にはいないということか。それはそれで素晴らしい。私はいつも駅で切符を購入していたが、ネットで切符を押さえる乗客が大多数だろうからチェックも容易なのかもしれない。さまざまな利権の絡むことだけに、日本では改札の廃止は実現困難なんだろうなあとも思った。
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無事帰福!
- 2025-03-30 (Sun)
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昨土曜日。釜山の空港に早めに行き、搭乗と出国の手続きを済ませた。搭乗を待ちながら、今回の旅を振り返った。ソウルと釜山では春休みに入ったからか、日本人観光客の多さが印象に残っている。見た感じでは日本人と韓国人、あるいは中国、台湾人は見分けがつきかねることがしばしば。すれ違った際の会話のやり取りが耳に飛び込んできて、ああ、日本からの観光客なんだなと気づく。私が独り言でも言えば、彼らもああ、この人、日本人なんだなと思うことだろう。
とまあ、そんなことはどうでもいいのだが、今回の旅の最中に、時々自分が台湾を旅しているような錯覚にとらわれることもあった。台湾はもう4、5年行っておらず、ノスタルジアにとらわれることもある。なぜ?と考えてしまう。正直に書くと、居心地が違うのだ。一人旅だと特にそう感じることが多いのかもしれない。私はさまざまな国を旅してきているが、旅先で出会う現地の人の視線を意識せざるを得ないことがしばしば。好意的な視線は嬉しい。無関心な視線はそう気にはならない。問題は若干の反感をその視線の中に感じるときだ。そういうときはできるだけ自然に振る舞い、その場を立ち去るようにしている。
台湾と韓国を比較すると、圧倒的に台湾の方が居心地の良さを感じてしまう。現地の人々の視線も気にならない。敵意や反感がまずないことは承知しているからだ。それと言葉の問題。韓国では日本と同様、英語を解しない人が若者でも多い。彼らと会話を試みると虚しさだけが募ることも。台湾ではどうだったか? 記憶もおぼろげだが、まずは初歩の中国語で格闘し、こちらが懐に秘めている「武器」が尽き果てた後は、英語で「応戦」する。これで結構なやり取りが成立したような記憶がある。
いずれにしろ、韓国の旅は今回で当分打ち止めにするかなと思っている。韓国語が奇跡的に上達すれば話は別だが、まあ、そういうことはないだろう。台湾は当面あと1回は訪ねたい。その後はどうするか。訪れたことがないアジアの国々は多い。ベトナムやタイ、インドネシア・・・。英国も絶対再訪したい。再会を果たしたい友人がいる。アイルランドもそうだ。B&Bに泊まり、近くのゴルフ場でまたプレーしたい。もっともゴルフも長いことやっておらず、その前に練習場通いが必須だ。アメリカも行きたい。東海岸に住む恩師と再会したいし、可能ならば、大谷翔平君がプレーする球場で生観戦してみたい。
とここまで打って(書いて)きて、まだまだ手がけたいことが沢山あることに改めて気づく。これからも当分は働き続け、資金を貯めなければならない。うーん、それはそれでよだきぃなぁ。よだきぃなぁが分かる人は宮崎県人。
疲れた身体で我がマンション(正しい英語表現はapartment)に戻ると、4月から非常勤講師として(継続)勤務する学校から所定の手続き用紙が届いていた。締め切りはとっくに過ぎている。改めて健康診断も受けなければならない。血糖値が心配だから、旅行の後半は断酒していた。視力も心配。今かけている眼鏡はずいぶん昔に作ったもの。これでは視力は合格基準に達しない。嗚呼、これも新しい眼鏡を急ぎ作ってもらわなくては!
さあ、とりあえず、洗濯だ。スーパーに行き、無調整豆乳を買ってこよう。ずいぶんご無沙汰している。健康のため、きな粉を入れてまた飲み続けることにしよう!
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木浦から釜山へ
- 2025-03-28 (Fri)
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私は木浦が大好きな町になった。正直に書くと、ちょっとうら寂しい感じがする町であり、韓国の他の都市、地区からは若干取り残されているような感覚も抱いたが、それでも機会があればまた再訪したいと思った。この町が日本とゆかりの深いことも何となく知ってはいたが、実際に町を歩いてみてそうした歴史的事実を改めて知らされた。不明を恥じ入るばかりである。
最も印象に残っているのは日本がこの国を植民地にしていた時代に領事館として使われていた建物が国家史跡として保存維持されており、「木浦近代歴史館」として内外の観光客に公開されていることだった。レトロな味わいの各部屋を歩き、そうした歴史の一端を学ぶことができるようになっていた。当時の朝鮮総督府が朝鮮の人々に日本式の名前を名乗るよう義務づけた創氏改名運動なども紹介されていた。日本人が大手を振って闊歩していたと思われる木浦の当時の街並みもパノラマで展示されていた。こうした施設を見学すると、いつも複雑な心境にならざるを得ない。どうして当時の日本人は彼我の間に差異を見いだそうとしたのか、そうした施策がやがて子孫を呪う禍根となると想像できなかったのか?
ところで、駅前にあるこの地の観光案内所の職員Mさんのガイドで上記の歴史館などを見学することができた。1時間以上も割いて丁寧に案内してもらった。こんな親切なスタッフがいる観光案内所は他のどこを探してもないのではないか。
思い出に残る木浦を出て釜山に戻った。明日土曜はいよいよ帰国の途につく。あっという間の二週間だったような気がする。思わぬ出会いの連続の二週間でもあったが、最後まで驚きが用意されていた。本日早朝、木浦を出てKTXで釜山に戻ったのだが、韓国語読みでオソンという駅で乗り換えることになっていた。どういう漢字で書くのかということは分からなかった。私は漠然と南西部の突端にある木浦から東南部の釜山に行くのだから、当然韓国南部を縫うように走るのだろうと勝手に想像していた。
私の観光案内書は何しろ2013年の刊行ということもあってか、地図がお粗末で鉄道路線図は載っていないに等しい。いくら地図を見つめても途中の経過駅が??だった。オソンは乗り換え駅だったので、下車して駅舎内の表示を見て初めて漢字では五松と書くのかということを知った。その五松駅から乗り込んだ電車では私には席はなく、車両と車両の間の通路に立たされた。私の他にも数人同じような乗客がいた。朝8時10分に木浦を発ち、午後零時16分に釜山着。私の脳内では明確な路線図が引けなかったので、釜山駅で観光案内所に行き、どういう路線で来たのか私の観光案内書の大まかな地図を見せながら尋ねた。女性の職員もよく分からないようだった。鉄道担当の職員の席に行き、尋ねてくれていた。戻ってきて宣わく、五松は韓国中部の要衝で、お客さんは木浦から一旦北上し、五松から南下して慶州を経て釜山に来られたようです。私も木浦からの釜山への鉄道路線のことは今日初めて知りました。勉強になりましたとお礼を言われた。
要するに、私は三角形の形で言えば、左辺と右辺を走って木浦から釜山に到着したようだ。最短距離は底辺なのだが、そこを走る路線はないということか。木浦が発展から取り残されている「理由」の一端が分かったような気がした。
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木浦(モッポ)着
- 2025-03-26 (Wed)
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一晩アルコールフリーにしただけで体調はずいぶん良くなった。今夜はソウル最後の夜だからJさんと食事をして別れるが、今夜も酒は控えよう。Jさんも理解してくれるはずだ。そう思いながらソウルの繁華街を歩いていたら、スマホが鳴った。Jさんだ。声がおかしい。聞くと、彼は昨夜、自宅で奥様の手料理で私を接待してくれた後に急に体調が悪くなり、未明に何度も吐いたという。病院にも行ったが、まだ体調は回復しておらず、今晩の会食は無理とのことだった。
最後の夜はソウルの日本式居酒屋で私がご馳走したいと思っていたのでキャンセルとなったのは残念だったが、こればかりは致し方ない。また近い将来の再会を約して電話を切った。いずれにしろ今夜も断酒。昨日、春川からの帰途の車中、私のスマホが鳴った。新学期からも英語を教える予定の学校からの電話で、帰国次第、病院で健康診断を受けて欲しいとの由。
去年の記憶が蘇った。血糖値が危なかった。今回も間違いなく危ういだろう。何とかパスするためには断酒、節制が大至急で求められる。ソウルの後には南下して漁港で知られる木浦(モッポ)を目指すことにしている。木浦の海の幸を前にしてビールや焼酎の誘いを拒絶できるものだろうか。せざるを得ない。悠長なことなど言っておられないが、気が滅入る。
水曜朝、ソウル駅の二つ先の龍山(ヨンサン)駅に向かう。ここから一路南の木浦を目指す。釜山に戻るまでの最後の訪問地だ。Jさんからも木浦の珍味の良さを何度も聞かされていた。比較的早い時間に龍山駅に着いたつもりだったが、切符売り場で木浦行きのKTXを求めると、あるにはあったが、発車は二時間後のことで少しがっかり。午前10時40分発で午後1時11分着とか。約2時間半の乗車だ。木浦に到着して急げばランチは食することができるか。節制を誓ったばかりなのに情けない!
木浦着。午後1時を少し過ぎたばかりだ。急げばランチを食するのに十分だろう。駅舎を出ると、インフォメーションセンターが目に入った。駆け込む。どこで海の幸を味わえますか。女性の職員がうーんと言いながら、ここからすぐ近くではタコが有名な食堂がありますけど。あ、そこそこ、そこでいいです。何と言う名前ですか。ハングル読めますか。読めます。ここを出てこう行って、ここをこう曲がると、「ドクチョンシクタン」という食堂があります。了解です。行ってみます。ありがとう。
目指す食堂はすぐに分かった。地元の人々に愛されていそうな古びたたたずまいのお店だ。飛び込んでメニューを見やる。よく分からないが、ナクチビビンバというのがある。あ、これが有名なテナガダコビビンバかな。15,000₩。値段も手頃だ。ビールと一緒に食したいが、ビールはやめておこう・・。美味かった。夜もこれでいい、私は!
お腹がいっぱいになったので、すぐそばの喫茶店でコーヒーを飲んで、これまたすぐそばのホテルで空きがないか尋ねた。あった。一泊70,000₩。問題なし。2泊分の支払いを済ませ、5階の部屋に向かった。部屋に入って驚いた。私には不要だが、ダブルベッドに大きな窓。見晴らしは最高。今回の韓国の旅では最上の部屋だ。というか、アフリカや米英を含め、過去の一人旅でも最上の部類に入る部屋だ!
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春川(チュンチョン)訪問
- 2025-03-25 (Tue)
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ソウルに着いて何日? 韓国の旅も一週間が過ぎると曜日の感覚もおぼろげだ。今週の土曜日には帰国するのだが、もうあまり何もする気にもならない。台湾だったら、さあ今日はどこで何を食べようと胸が弾むのだろうが、ソウルの一人旅ではそういう気にも・・・。
もう一つの要因。これは自業自得なのだが、日曜日に友人のJさんと再会して、その夜は彼が案内してくれたお店でしこたま飲んだ。最初の店ではマッコリと焼酎。次の店ではワインをたっぷり。これがいけなかった。彼と会食するときはいつもこうなる。彼は私の6歳ほど年下。自転車やウォーキングで普段から身体を鍛えていることもあり、私から見たらかなりの酒豪だ。同じペースで飲んでいては私はくたばってしまう。いや、その夜にくたばればいいのだが、夜はなんともない。辛いのは翌日だ。昨日の月曜日、仕事が休みだったこともあり、彼は私を春川(チュンチョン)観光に誘ってくれた。「冬ソナ」の舞台となった江原道(カンウォンド)の観光地だ。
本来なら張り切って出かけたであろうが、私はきつい二日酔いに苦しんだ。ホテルで目覚めた時に彼に春川行きはキャンセルしましょうかと電話したくさえ思った。だが、せっかくの好意で案内してくれるというのだから、自分からドタキャンするのははばかられる。暗澹たる思いを抱えて電車にのり、待ち合わせ場所に向かった。
春川は気持ちの良い好天だった。名所の湖も目の保養になった。ランチは名物のタッカルビが味わえるお店で。ネットから引用すると、タッカルビのタッ(닭)は鶏、カルビ(갈비)はあばら肉を意味し、甘辛いヤンニョム(양념:薬味だれ)に浸けこんだ鶏肉を野菜と一緒に鉄板で焼いて食べる「鶏焼肉」のこと。Jさんにおごってもらったのに、失礼なことだが、正直な感想を書くと、そうは美味いと思わなかった。二日酔いが抜けず食欲が全くなかったせいでもあろう、きっと。
食事の後には地元の新聞社「江原日報社」に足を運んだ。JさんはG編集局長と懇意の仲。Jさんに通訳してもらいながらの懇談となった。発行部数は6万部ほどだが、200万を超えるネット読者がいるとか。記者の数は70人ほど。驚いたのは彼は23年間ずっと編集局長の座にあるのだとか。いかにも物腰の柔らかい人物であり、社内外で尊敬されている人物であることがうかがえた。
Jさんと会うと、いつもジャーナリズムや日本語、韓国語、中国語のことで興味深い話となる。本当は私の拙い韓国語で話したいのだが、それはまだ無理でいつも英語で会話することになる。春川への行きと帰りの車中で話題となったのは、AI(人工知能)とどう付き合いながら生きていくかということ。Jさんによると、韓国の新聞社で例えば社説を書くのは経験を積んだベテラン記者の役回りだが、AIを活用していない新聞社はないのではということだった。最終的な校閲というか判断は記者の手(目)を通してなされるが、複数のキーワードを与えさえすれば、瞬時に驚くようなレベルの高い記事(社説)を提示してくれるとか。アナログ人間の私にはついていくのも覚束ない世界の話だった。
ひょっとしたら、海外旅行もこれからはAIが引き受けてくれ、人間は現地に行かずとも、旅の醍醐味を味わえるようになるのかもしれない。いや、もうなっているのかも?!
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