Home > 総合

英語でさるく 那須省一のブログ

| Next»

今さらながら

 知らないということは恥ずかしい。他人のことを蔑んでいるのではない。我が身を嘆いているのだ。非常勤講師として教壇に立っている学校にノート型パソコンを持参して、教材関連の調べ物をしている。とある学校では無線ランに問題なくアクセスできている。もう一つの学校ではランが利用できず、スマホを使ってネットにアクセスして調べ物をしていた。
 とある日にふと気づいた。同じ非常勤講師の先生がノート型パソコンを使っておられる。ネットにも自由にアクセスされておられるようだ。パソコンから白い機器が学校のケーブルにつながっている。その先生に尋ねてみて分かった。アダプターを使えば問題なくネットにつながることを。こんな基本的なことをこの日まで知らなんだ、気がつかなんだ。自分の愚かさに愕然とする思いだ!
                  ◇
 パソコンに海外旅行の格安チケットの案内メールがまたぞろ届くようになっている。燃油サーチャージが来月からまた値上がりすると聞くと、今月内に押さえておいた方がいいのかなとも思ったりするが、決断できないでいる。とりあえず、大好きな台北を目指し、3月下旬で一週間程度の旅を考えてみた。宿はいつものように行き当たりばったり作戦だからいいとして、肝心のチケット代金は往復で約6万円のものを見つけた。安くはないのでは? これで早く手を打っておいた方が賢明だろうか? ウーン分からない・・・。
 4月以降のことは全然分からない。非常勤講師職もお役御免となれば、4月以降どうやって過ごすか改めて考えたい。ひょっとしたら、ゆっくり海外を旅する時間を手に入れるかもしれない。その時はその時だ。かねてから考えているソウルか釜山への短期語学留学も頭にはある。いや、語学留学が経済的に大変そうだったら、一二か月のブラ旅でもいいか。二か月でも韓国内を旅すれば貴重な体験となり、韓国語の学習にも役立つに違いない。中国本土にも行きたいが、こちらはそう簡単にはいかなそうだ。
                  ◇
 語学学習にネットの情報は大いに役立っているが、やはり注意しておかないと思わぬ落とし穴が待ち構えていたりする。つい最近の一例を紹介すると。
I found it hard that he solved the problem. 訳文として次の訳例が載っていた。「私は、彼がその問題を解決するのは難しいとわかった」。うーん、そういう解釈ができるのだろうか、私は X だ。普通に訳すと、「私は、彼がその問題を解決したしたとは信じ難い」となるだろう。英文自体が紛らわしい。I found it hard to believe that he solved the problem. というものだったら、まず誤解の余地はない。
 英語を教える身としては「もって他山の石」としたい。発音に関する勘違いなら時に冷や汗を流すことが私にもある。最近気づいた勘違いは「選挙」や「世論調査」を意味する poll という語。乱暴にカタカナ表記すると「ポル」と発音していたが、よくよく調べると「ポゥル」であり、「棒」や「さお」のpole と同じ発音だった。知らなんだ! 最近ではないが、study abroad (留学する)の abroad は road を含んでいるからロゥドと発音していた。違った。ロードと口を大きく開けて発する[ɔː]であり、口をすぼめた音[ou]ではなかった。

“Klara and the Sun” 再び読了!

 オンライン英語教室で毎月2回のペースで読んできていたカズオ・イシグロ氏の小説 “Klara and the Sun”(邦題『クララとお日さま』)を昨晩ようやく読み終えた。英語教室で読んだのはこれが2回目。昔のブログをスクロールして確認すると、2022年1月24日に読了の項をアップしている。偶然だが、同じ日付けの教室で3年ぶりに読了しているとは!
 今この項を打ちながら、3年前のブログをのぞくと、次のように書いている。
 ――物語の主人公は「ロボ友」とでも訳したいArtificial Friend (AF)の少女クララ。AFのエネルギー源は太陽光。実に賢く、心優しい彼女が「仕える」のは病弱な少女ジョージー。物語の舞台は北米と思われる地で、AFや最先端の機器が社会を支えるようになっている近未来。家庭でも「ロボ友」の少年少女が孤独な子どもたちの遊び相手になっている。貧富の格差は歴然としており、富裕な家庭の子どもたちは遺伝子操作(?)の施術を受け、ますます優位な立場を享受している。国家の枠組みは残っているようだが、人々は価値観を共有する者たちだけで独自のコミュニティを形成している。
 ジョージーは遺伝子操作の施術の後遺症か身体が日増しに弱っている。娘を溺愛する母親はジョージーが他界した時には、彼女の知性、性格、性癖を完コピしたロボ友、つまりクララをそのまま第二のジョージーとして「育成」することも考えているようだ・・・。
 作家はこの作品で人間の heart とは何ぞや、我々がheartと呼んでいるものは人間にしか存在しない特別なものなのだろうかと問いかけている。母親と離婚はしたが、娘への愛は母親に負けない父親は第二のジョージーをこしらえることには懐疑的で、クララに次のように問う。“Do you believe in the human heart? I don’t mean simply the organ, obviously. I’m speaking in the poetic sense. The human heart. Do you think there is such a thing? Something that makes each of us special and individual?” ――
 昨晩の教室で私と2人の受講生は上記の問いかけについて話し合った。人間は本当に特別の存在なのであろうか。そのように自分たちを特別視することは人間の浅はかな思い上がりではないのか。ロシアのウクライナ侵攻後の民間人殺戮やイスラエル軍によるガザ地区住民の殺害などのニュースに接すると、人間はとても神様や地球外生命体に対し、胸を張れる存在ではないとため息をつきたくなる。トランプ米政権の再登場や日本ではあまり報じられることがないが、アフリカ各地での人権や民主に逆行する動きなどをネットで読むと、暗澹たる思いに駆られる。
 その一方でイシグロ氏の作品に描かれているように、AIの進歩はますます人間社会に大きな影響を及ぼしつつある。私もさまざまな恩恵を受けている。肌身離さず身につけているスマホにしても3年前は知らなかったアプリを享受している。特に英中韓の語学学習にとってはスマホが登場する前には想像もつかなかった益に浴している。これから3年後には更に信じ難い進化を遂げているかもしれない。もちろん、諸手を挙げて歓喜するわけにはいかない弊害も生じているやもしれないが。
 私の読後感を「続き」に付記しておきたい。備忘録ゆえに・・・。

続きを読む

ロウキよ、お前もか!

 高校英語の教材を読んでいたら、次のような文章が出てきた。It is no use regretting what you didn’t do.(やらなかったことを後悔しても無駄だ)。そうか、そういう言い方(考え方)もあるのか。It is better to act and repent than not to act and regret.(やらぬ後悔よりやる後悔)という言い方もあるようだ。人生とは前者の方が圧倒的に多いように感じるのは私だけだろうか。話が湿っぽくなるのでやめよう。
 オンライン英語教室で毎月2回のペースで読んできていたカズオ・イシグロ氏の小説 “Klara and the Sun”(邦題『クララとお日さま』)が今月下旬の回でいよいよ大団円を迎える。読み始めた頃の記憶がないので、このブログをさかのぼると昨年5月からだと分かる。以前にも書いたが、このオンライン教室こそが私にとって楽しいひととき。これまでは短い課題文を与えて翻訳を課してきていたが、最終回は読後感想文をA4用紙で1枚書いてもらうことにした。私も同じように書く。せっかくだからこの欄でも披露してみようかなと考え始めているが、はてさて・・・。
                  ◇
 大相撲。また時々NHKテレビで見るようになっている。それにつけてもやはり、解説が物足りない。北の富士親方が存命の時はまた彼の健康が回復したら解説席に陣取り、縦横無尽に忌憚のない話をしてくれるものと期待していた。その親方が昨年11月に死去され、そうしたことはもはや望むべくもなくなった。
 昨日は仕事帰りにスマホのNHKラジオで大相撲を聴いた。解説者の名前も知らないが、その当たり障りのない、何の面白みもない解説にがっかりした。特段彼の解説が酷すぎるというわけではないが、他の親方の面々も総じて月並みだ。テレビだったら、音を消すか、英語の副音声にして画面を見るだけにした方がいいかもしれない。
 何度も書いて恐縮だが、もう一度書いておきたい。これから大相撲ファンとなる人々は本当に気の毒だ。北の富士親方の味わい深い解説が聴けないとは。日本相撲協会は引退を表明した照ノ富士を継ぐ横綱だけではなく、北の富士親方の後を継ぐ解説者をも育成すべきだ。これまで登場したことのないOBの中に誰か適任者が潜んでいるのではないかとも思う。
                  ◇
20250118-1737179137.jpg スポーツついでにもう一言。ロッテを退団した佐々木朗希投手が大リーグのドジャースに移籍することが発表された。ドジャースは大谷翔平、山本由伸に次いで佐々木投手が加わることになる。ワールドシリーズ連覇を目指すドジャースにとっては頼もしい逸材の加入だが、実力ある日本人選手が3人も一チームに、それも常勝軍団のドジャースに加わることが諸手を挙げていいことなのかどうかよく分からない。
 米国はまもなくあのトランプ政権が復活する。傲岸不遜で独裁者と見なされることを歯牙にもかけない、いや独裁者と呼ばれることをむしろ喜びそうな人物が再び国の最高指導者となる。トランプ大統領の復活で人種差別を厭わない、頑迷な一部白人層が勢いづき、暴力的かつ非寛容の社会的気運が醸成されないと誰が断言できよう。スポーツはスポーツとして楽しむことができる社会が崩れ去ることのないよう祈りたい。

“I’m not much of a foodie.”

 冬休みが明けたと思っていたら、また祝日やら学校行事やらで休みが続いた。非常勤講師の身としては痛し痒しだ。時間がたっぷりあるからといって、生産的な時間を過ごせるかというと全然そうではない。もっとも私の年齢に達したなら、一日が無事に過ぎていけばそれで良しとすべきかもしれない。それは分かっているが、そうならないのはまだ自分には可能性が残されていると考えているからだろう。
 台所に立つ。せめて自分が食べるものぐらいは自分でこさえたい。苦手なものがある。油料理だ。油をどう処理したらいいのかよく分からないので、天ぷらや粉ものは作ったことがない。本当は作りたいのだ。そう思っているから小麦粉や片栗粉を思いつくたびに買い求め、使用期限切れになったのに気づき、ゴミとして処分する。何度こういうことを繰り返していることか。我ながら情けない!
 就寝時によく眺めるスマホのYouTube画面。最近の定番は私のような独り者でも簡単に作れる料理もの。2,3分でできる超簡単なものから10分程度のものまでさまざま。もちろん、私にとっては簡単なものほど好ましい(the simpler the better)。先夜は板かまぼこを適当に切って、片栗粉をまぶして油で揚げれば、酒(焼酎)の肴に最適とか説いているYouTubeに出くわした。お、これならこの俺でもできそうと思い、三度ぐらい見返して作り方を頭に叩き込んだ(つもりだった)。
 翌日台所に立った。もはや記憶があやふや。どこでどう手順を間違えたのか、気がつくとフライパンの中で片栗粉がぐしゃぐしゃ、これはだまになっていると表現するのだろうか。とにかく、目指した美味いかまぼこを揚げることはできなかった。これなら、普通に切り分け、わさび醤油で食していた方がはるかに良かった!
 こうした料理音痴は小さい時に台所に立つことが皆無だったからだろう。もっとお袋や姉さんたちに基本的な事柄を教わっていたら良かった。今となっては手遅れだが、悔やまれる。まあ、これから少しずつ上達していこう。食通を目指しているわけではないのだから、何とかなるだろう。食通と言えば、最近聴いたNHKラジオの英語講座の一つで「私はグルメというほどではありませんが、外食するのは好きです」という例文が紹介されていた。 “I’m not much of a foodie. But I like to eat out.” 私もそうだ。
 私の耳には「グルメ」の訳語が「フーディ」と聞こえたので、foody という語があるのだろうと推察した。改めて辞書で調べると、foodie という語であることを知った。なるほど。「グルメ」「食通」という意味合いらしい。これから積極的に使っていこう。
 さあ、また明日から仕事が再開する。仕事の前夜は原則、酒(焼酎)を絶つが、今宵はちょっとだけ頂こう。肴は鹿児島・南大隅町のTさんから頂いた食材の一つ、冷凍餃子。冷凍餃子はこれまでも問題なく処理していたが、なぜか、餃子がフライパンにこびりつき、失敗作となった!
 食べることに関してもう一言付記すると、去年から近くにいいレストランがあることが分かった。比較的有名なお店で気になる存在だったのだが、敷居が高そうで足を踏み入れたことはなかった。今は週1のペースでのぞいているが、本当に美味だ!

さあ仕事モードへ

 社会人になって最も安上がりの年末年始となったかと思う。どこにも出かけずに外食もせず、財布の中身は全然減らなかった。現役時代からこういう暮らしをしていれば、かなりの財を蓄えていることだろう。という悔いはさておき、三が日も普段はまず手にしない小説を読み、余った時間はYouTubeで暇をつぶした。酒類もほどほどにしたから、そんなに太ったという意識はない。それでもさすがに昨日(4日)は外に出ようと思い至り、久しく歩いていない香椎浜の散策路を歩いた。寒風も吹いておらず、手袋をせずとも、気持ちよく歩くことができた。
 そうこうしているうちにいよいよ明日7日から三学期が始まる。再び中学校と高校の掛け持ちの非常勤講師職だ。高校は3年生の授業はほどなく終了するのでこれまでのような忙しさはないようだ。4月以降の仕事が約束されているわけでもなく、今の仕事がなくなったらさて何をしようかと考え始めてもいる。最終的には韓国か中国に語学研修に出たいと願っているが、お金もかかることだし、実行するとしてもだいぶ先の話になるだろう。韓国はともかく、中国は油断しているとスパイ容疑で拘束される国だ。私はフリーランスの気楽な身だが、現役の頃は読売新聞社に勤務し、国際報道に従事していた。中国での取材経験はないが、何かあったら、普通の観光客のように遇してくれるのか、さすがに気が重い。
 台湾ならば世界最大の親日国(地域)だけにそうした心配は無用だが、台湾で使われている中国語の漢字は繁体字と呼ばれ、我々日本人には荷が重い。数年前に台北の大学で1か月語学留学をさせてもらった時に、この繁体字には悩まされた。NHKラジオの中国語講座では中国本土で広く使われている簡体字がベースとなっているが、簡体字に慣れた身には繁体字を見ると圧倒されてしまう。だから本音を言えば、上海か青島辺りの語学学校に数か月単位でいいから入学し、集中的に中国語を学びたいのだ。
 当面は韓国語を学ぶ方が無難か。リスニング力だけに関して言えば、私は韓国語の方が中国語よりもいいような気がしている。ソウルか釜山で数か月生活し、集中的に韓国語の力を身につけたいという思いがずっとくすぶり続けている。
                 ◇
 毎朝読んで一日をスタートさせているキリスト教の祈祷書(devotional)。元旦の日の項はK夫人の手になる文章が掲載されていた。冒頭に紹介されていたのは詩編46:10の一節。Be still, and know that I am God. (静まって,わたしこそ神であることを知れ)<口語訳,日本聖書G協会>
 私が手にしている祈祷書では上記の詩編が … I amf God となっていた。amf という語があるのだろうかと思った。あるいは I am from God という意味で、amと fromが合体しているとか。色々調べてみたが、どうもこういう語、表現はなく、単なるtypo(誤植)のようだ。それにしても、元日(New Year’s Day)に読む最初の文章(詩編)にタイポがあるとは!2025年が不吉な年とならないことを切に願う。
                  ◇
 松山英樹プロが米ゴルフ開幕戦で優勝した。圧勝だった。見事の一言だ。

2024年にお別れ

20241229-1735453836.jpg 年賀状を書かなくなってどれぐらいか。親しい知己には身辺雑記を書いた駄文のメールをパソコンから送っているが、一年前のメールには大意、次のように書いた。――2023年は帯状疱疹罹患に始まり、それは今も完治せず、踏んだり蹴ったりの一年でした。世の中を眺めると、我々は聖書が説く「終わりの時代」に生きているのでしょうか。暦の月が二度変われば私も古希。人生がこんなに「短篇」であるとは思いませんでした。あとは淡々と引き際を見つけるだけでしょうか。2024年もかくして煩悶の中、怠惰と不作為のまま過ぎゆくことになるのかもしれません。――
 このメールに少し手を入れ、再送しても違和感はないことだろう。2025年の到来は嫌な予感しかない。人類は確実に破局に向かっているように見えると書いたら大げさか。寺社を見れば手を合わせたくもなるクリスチャンの端くれとして救いの願いは捨てたくないが。
 とあるYouTubeでアメリカの著名な経済学者であるリチャード・ウルフ氏(Richard Wolff)が2025年の世界を展望しているのを見た。彼はまもなく再登場するトランプ新政権下の国際経済に警告している。アメリカはかつての大英帝国が衰微していったように衰退の道を歩んでいる帝国であると断じている。アメリカの地位を脅かしているのは中国。中国がロシアやインド、ブラジル、南アと構成しているBRICSには新規参入を希望する国々が相次いでおり、欧米や日本など西側が無視できない勢力に成長している由。そうした現実を無視することは愚かで無謀と批判している。ウクライナ戦争が勃発した時にロシアの凋落を予測する声もあったが、BRICSを後ろ盾にしたロシアは衰える気配が見えないとも指摘している。やがて到来するのは世界大恐慌?
                  ◇
 暇があるので普段は読めない本を書店で購入して読んでいる。思えば、外国語の独学に時間をとられ、いわゆる小説の類の読書量はめっきり減っている。いや正確にはYouTubeを楽しむ時間が増えたのでと書くべきかもしれない。実際、テレビはNHKのニュースとスポーツ番組以外はほとんど見ていない。YouTubeは面白そうな番組が目白押し。正直一日中、見ていられるかもしれない。阿呆みたいだから途中でやめるが。
 そういう次第で手にしたのは地元福岡出身の作家、松本清張の代表作『点と線』。彼は著名な作家だからもちろんその名は知っていたし、作品もいくつかは聞いたことがある。だが、何と言うのだろう、「食わず嫌い」的に表現するなら「読まず嫌い」だったのだろう。たまたま足を運んだ書店でこの文庫本が目に入ったので買い求めた。短篇とでも呼びたくなるような長編小説なのですぐに読み終えた。面白かった。裏表紙に「推理小説界に“社会派ミステリー”の新風を吹き込み、史上空前の推理小説ブームをまきおこした名作」とうたってあったが、なるほどと納得した。
 作中に国鉄鹿児島本線の香椎駅とか西鉄香椎駅、香椎海岸などといった馴染みの駅名や地名が出てくる。駅名は今も残っているが、小説の舞台の昭和30年代当時とはだいぶ趣を異にしているのだろう。そういえば、時々利用する西鉄香椎駅前に作家を顕彰した記念碑が立っていることを思い出した。

再び有馬の時節

20241220-1734702058.jpg 金曜日。普段なら嗚呼、やっと週末だと心がちょっと弾む。この日は高校の今年最後の出勤日だった。とはいっても授業はない。出勤簿にチェックを入れ、年明けからの新学期の授業予定を確認すればそれで終わり。心穏やかな出勤日となった。
 明日からは長い冬休みとなる。いや、欧米のバカンスに比べればそうでもないか。年が明ければほどなく授業が再開される。今冬は何の予定もない。昨年の今頃は正月早々のソウル旅行のことをあれこれ考えていた。そうしたら、正月に能登半島が揺れて、少し後ろめたい気持ちで福岡空港に向かった。高い航空券は支払い済みだし、ドタキャンも痛い。
 今冬は若干台湾行きが脳裏をかすめた。しかし、ネットで格安チケットを検索してその気は失せた。安くても5万円から6万円台。コロナ禍前のそう遠くない昔、往復28,000円程度のチケットで旅していたことを考えると、手を出す気にはなれない。せめて4万円台にまで下がってくれないものか。かくいう次第で海外は諦めた。それに正月ぐらいは両親の眠る田舎に戻り、お墓に手を合わせたいという気持ちもある。これまでは快く付き合ってくれた甥っ子が体調不良で運転が厳しく帰郷は無理。仕方ない。宮崎まで戻り、レンタカーで郷里まで走るか。車のハンドルは久しく握っていない。腰痛が出なければいいのだが・・・。
 とりあえず、仕事納めとして、最近時々のぞき始めたレストランで一人祝杯!
                  ◇
 競馬界の一年の終わりを告げる有馬記念。何度も書いているが、予想だけしてテレビを見る。実際にはテレビではなく、JRA(日本中央競馬会)がレースの生中継を切り取って流してくれるのでその部分だけをパソコンで見る。今年の有馬記念は一番人気にレジェンドと称されているベテラン武豊騎手が乗るドウデュース。すでにGIを5勝しており、実績は十分。この馬を外して連複や連単を買うのは無謀かもしれない。
 まあ、私は今では馬券は買わないで予想だけをして楽しむ派なので無謀も何も関係ない。でも予想するからには当てたい。たとえ実際に夢のような馬券が的中し、実際に電話投票していたら、うん十万円、うん百万円の大万馬券が懐に転がり込んでいたとしても嗚呼惜しかった、本当に馬券を買っていれば良かった!などとは思わない。実際そうしたケースは過去に何回か経験している。悔しくも何ともない。私の理屈はこうだ。現実に私がその馬券を電話投票で購入していたなら、神様がきっと「介入」して当たり馬券とはなっていなかっただろう!
 まあ、たわごとはこのぐらいにして、私の予想馬券は三連単としよう。1着馬はJP、2着馬は上記のDD、3着馬までは絞り込めないから、手広く流す。出費は100円で流せば、1,400円。1,000円で流せば14,000円で済む。うまく行けば、結構な万馬券となる可能性を秘めている。とここまで打ち(書き)、念のため出走頭数を確認しようとスマホをチェックすると、なんとドウデュースが「歩様異常」のため出走取り消しというニュースが報じられている。馬券師たちは予想を組み直さなくてはならない。私は単にレースを楽しむだけにする。JPが先頭でゴールインすれば、それで十分だ。おそらくそうはならないだろうが・・・。

| Next»

過去の記事を読む...

Home > 総合

Search
Feeds

Page Top