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February 2025
「知らんけど」魔法の言葉?
- 2025-02-04 (Tue)
- 総合
暦は2月に入った。本当にあっという間に時間が経過する気がする。間もなく私もまた一つ年齢を重ねることになる。じたばたしても始まらない。せめて上手に年を取りたいものだとは思う。中学校で教えていると生徒たちの青春がまぶしく見えることがある。私にもああいう時代があったとも思い、昔のクラスメートたちにも思いを馳せる。卒業後にもっと親しく付き合っていればと後悔もする。そうした幼馴染みとは古希を祝う会で再会したが、次はいつになるのか。私のような根なし草の気楽な稼業の男は帰郷しようと思えばいつでもできるが、他の同級生たちはそうでもないだろうことは分かる。そのうち仕事が一段落すればまた宮崎に戻り、同級生と飲み食いしたいと願っている。
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少し前に読んだ夕刊に方言を扱ったコラムがあった。「知らんけど」という表現を取り上げていた。「英語にはない 会話に誘う魔法」という見出しが付いていた。ここ福岡の日常生活でそう耳にする言い回しではないが、テレビではよく耳にするかと思う。意味するところは日本人であれば説明するまでもなく分かる。
コラムの筆者はこれは関西発祥の言葉であり、近年、全国的な流行語になったと紹介している。自分の発言の「正確さを期す余り気後れする人も、この言葉一つで会話に参加しやすくなるし、別の意見がある人ともぶつからずに済む。まさに魔法の言葉」と述べている。「英語にはない表現であり、英語化してほしいくらいだ」とも付記している。
「知らんけど」は確かに即座には英語表現が頭には浮かばない。I guessとか I supposeだろうか。それも文末に軽く添える程度の言い回し。「彼はこのことを知っているのだろうか?」という問いかけに、「知っているのではないかと思うよ、知らんけど」なら、”He knows it, I suppose.” か。これなら自分の推測が間違っていても「逃げ場」がある。
以前にどこかで外国人が一番最初に覚える日本語表現は「仕方がない」(I can’t help it./It can’t be helped.) だと読んだことがある。彼らが理解に苦しむ微妙な場面に直面した時に、こう言って自分たちの不運を嘆き、前を向こうとしているような気がしないでもない。彼らが次に覚える日本語表現は案外、「知らんけど」となるかもしれない・・・。
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最近ふと気づいた。老年期に入ったからだろうか、この頃はふと気づくことばかりだ。数えたことはないが、このブログはこのふと気づいたという表現のオンパレードではないだろうか。そうだとしたら恥じ入るばかり。
最近の気づきは久しくイチゴを食していないこと。イチゴは大好物で、食後のデザートとして丼一杯のイチゴに牛乳をたっぷりかけて食べていた。数日前に足を運んだ八百屋で美味そうなイチゴが目に入った。あれ、私はどうして最近、イチゴを食していないのだろうか? すぐに合点が行った。尊敬する農学博士の先輩に健康のため、牛乳や乳製品はあまり摂取しないようにと言われて以来、牛乳から遠ざかっていたのだ。その余波でイチゴからも。
それで思った。牛乳の代わりに豆乳、それも無調整豆乳ならば問題はないのでないか。早速食してみた。美味。よし、これから思う存分、イチゴ+豆乳を楽しんでいこう!
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