Home

英語でさるく 那須省一のブログ

| Next»

春川(チュンチョン)訪問

20250325-1742868209.jpg ソウルに着いて何日? 韓国の旅も一週間が過ぎると曜日の感覚もおぼろげだ。今週の土曜日には帰国するのだが、もうあまり何もする気にもならない。台湾だったら、さあ今日はどこで何を食べようと胸が弾むのだろうが、ソウルの一人旅ではそういう気にも・・・。
20250325-1742868236.jpg もう一つの要因。これは自業自得なのだが、日曜日に友人のJさんと再会して、その夜は彼が案内してくれたお店でしこたま飲んだ。最初の店ではマッコリと焼酎。次の店ではワインをたっぷり。これがいけなかった。彼と会食するときはいつもこうなる。彼は私の6歳ほど年下。自転車やウォーキングで普段から身体を鍛えていることもあり、私から見たらかなりの酒豪だ。同じペースで飲んでいては私はくたばってしまう。いや、その夜にくたばればいいのだが、夜はなんともない。辛いのは翌日だ。昨日の月曜日、仕事が休みだったこともあり、彼は私を春川(チュンチョン)観光に誘ってくれた。「冬ソナ」の舞台となった江原道(カンウォンド)の観光地だ。
20250325-1742868299.jpg 本来なら張り切って出かけたであろうが、私はきつい二日酔いに苦しんだ。ホテルで目覚めた時に彼に春川行きはキャンセルしましょうかと電話したくさえ思った。だが、せっかくの好意で案内してくれるというのだから、自分からドタキャンするのははばかられる。暗澹たる思いを抱えて電車にのり、待ち合わせ場所に向かった。
 春川は気持ちの良い好天だった。名所の湖も目の保養になった。ランチは名物のタッカルビが味わえるお店で。ネットから引用すると、タッカルビのタッ(닭)は鶏、カルビ(갈비)はあばら肉を意味し、甘辛いヤンニョム(양념:薬味だれ)に浸けこんだ鶏肉を野菜と一緒に鉄板で焼いて食べる「鶏焼肉」のこと。Jさんにおごってもらったのに、失礼なことだが、正直な感想を書くと、そうは美味いと思わなかった。二日酔いが抜けず食欲が全くなかったせいでもあろう、きっと。
 食事の後には地元の新聞社「江原日報社」に足を運んだ。JさんはG編集局長と懇意の仲。Jさんに通訳してもらいながらの懇談となった。発行部数は6万部ほどだが、200万を超えるネット読者がいるとか。記者の数は70人ほど。驚いたのは彼は23年間ずっと編集局長の座にあるのだとか。いかにも物腰の柔らかい人物であり、社内外で尊敬されている人物であることがうかがえた。
 Jさんと会うと、いつもジャーナリズムや日本語、韓国語、中国語のことで興味深い話となる。本当は私の拙い韓国語で話したいのだが、それはまだ無理でいつも英語で会話することになる。春川への行きと帰りの車中で話題となったのは、AI(人工知能)とどう付き合いながら生きていくかということ。Jさんによると、韓国の新聞社で例えば社説を書くのは経験を積んだベテラン記者の役回りだが、AIを活用していない新聞社はないのではということだった。最終的な校閲というか判断は記者の手(目)を通してなされるが、複数のキーワードを与えさえすれば、瞬時に驚くようなレベルの高い記事(社説)を提示してくれるとか。アナログ人間の私にはついていくのも覚束ない世界の話だった。
 ひょっとしたら、海外旅行もこれからはAIが引き受けてくれ、人間は現地に行かずとも、旅の醍醐味を味わえるようになるのかもしれない。いや、もうなっているのかも?!

ソウル着

20250323-1742718615.jpg 東海への電車の車中は特段車窓からの光景に見とれるものはなかったようだ。今首都のソウルで一夜を明かし、散策途中に朝食を食べた小さなカフェでこの項を打っていて、東海に着くまでに見た光景を思い出そうとしているが、ほとんど思い出せない。ということはあまり印象に残る風景はなかったのだろう。確か途中で「未老」という駅を通過したことは覚えている。各駅停車だったら、きっと下車して「長寿」を願ったに違いない。
 東海はわずか数時間の滞在。タクシーの運転手さんにお願いして、駅から一番近くて景観がいい海水浴場に連れていってもらった。10分ほどぶらぶらして写真を撮って、美味そうな焼きイカに抗しきれず、それを買い求めて駅にUターンした。タクシー代は20,000₩。小さいが綺麗な海水浴場だった。シーズンには多くの人々で賑わうだろうことが見て取れた。私も夏だったら游がせてもらったかもしれない。なるほど、これが韓国の人たちが言う東海であり、我々には日本海となるんだなと納得した。
 東海からはKTXでソウルへ2時間40分。まあまあ快適な車中だった。東海駅で見た立て看板には過去にはソウルへは7時間もかかっていたが、現在のKTX路線が開通した2020年からは2時間40分となり、地元住民の悲願がかなったと記されていた。
20250323-1742718836.jpg かくしてソウルに。到着した率直な感想は、ソウルは人であふれている。福岡という「田舎町」に慣れた身には大都会だ。かてて加えて、この国は今、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の罷免の是非が大団円を迎えている。ソウルで見る限り、国民は賛成反対の真っ二つに割れ、それぞれの支持派が熱気に満ちた集会を開いている。多くの警察車両、警察官が警備に配置されていて通りも混み合い、私が乗ったタクシーの運転手さんは「嫌になっちゃうねえ。え、私はどっちを支持するかって?勘弁してよ」といった感じで顔をしかめた。年齢を伺うと、御年81歳とか。壮健さをほめると、彼は「いやいや。髪の毛は薄くなるばかりだし、薬のお世話にもなっている」とぼやいた。80歳過ぎても働く姿勢は私もお手本にしたいと思った。
 週末のソウルで行き当たりばったりでホテルを探すという離れ業は無理がある。それで安東からネットでホテルを予約していた。週末のレートを考慮すると、手頃な値だった。チェックインしてみると、さすがに高級感はないが、気ままな一人旅には何の問題もない。しかしながら私はまさか大統領の罷免の問題で揺れている状態の中でソウル入りするとは思わなかった。新聞記者時代ならいざ知らず、今は心静かに旅を楽しみたいだけなのに!
20250323-1742719109.jpg さて、現地通貨が尽きてきたところだ。日本円を両替したい。また、大きな市場にある両替商でも尋ねるかと考えながら、カフェを出て歩いていて、たまたま店外に出てきた商店の人に近くに両替商がないかと尋ねた。教えられたままに近くにあったホテルに入ると、入り口にATMのような両替機があった。パスポートをかざすと簡単に両替できて一安心。
 ところで、昨夜からソウルの韓国人友人に連絡を取ろうとしているが、スマホを買い換えたためか、ラインメールがうまくいかない。うーん、どうすんべヨ?(ヨは韓国語の聞き手に対する敬意を示す語尾のヨです!)
 その後、連絡はついた。タヘン(多幸)イネヨ!

河回村(ハフェマウル)

20250322-1742599432.jpg 本日は金曜日。先週の土曜日に釜山に到着して以来、毎日が旅(移動)の連続で少々疲れている。かつて手がけたアフリカやアメリカの旅に比べれば楽ちんとはいえ、年齢を重ねた今は正直、今日は一日ゆっくりしたいと思う時もある。そういう次第で本日はどこにも出かけず、ホテル近辺をうろつくだけにするか。一旦はそう思ったのだが、一つ気になることがあった。まあ、どうということでもないのだが。
20250322-1742599501.jpg 安東(アンドン)に着いている。日本人の名前のような地だ。到着してすぐに西にある河回村(ハフェマウル)に向かった。ガイドブックには「穏やかな洛東川のほとりに藁葺き屋根の古い家屋が並ぶ。朝鮮王朝を代表する両班の村」と紹介されている。私も「両班」が当時の特権的な貴族階級を指す語彙であることぐらいは知っている。到着した河回村はのどかな農村地帯といった感じで、私の生家がある村と似ていた。もっとも私の愛する村は今は限界集落となり往時の面影は薄れてしまったが・・・。
 村の工芸品を売っているお土産店でこの地の名物、仮面劇のミニお面を購入した。夏場にはループタイとして使えるような代物だ。お店のおばちゃんに50,000₩札を渡すと、お釣りとして48,000₩を手渡された。ホテルに戻ってしげしげとお面を見つめた。どう見ても、2,000₩(200円)では安すぎる。ひょっとしたらおばちゃん、何か勘違いしていたのでは。実はこれを購入した時、市内に戻るバスが到着していて、私もおばちゃんも焦っていた。
20250322-1742607328.jpg それで日課の祈祷書を手に、朝市のテーブルに座り、店主のお婆さんが温めてくれたチャプチェ(春雨料理)を食べながら決めた。もう一度河回村に行こう。河回村には路線バスで1時間ほど。お土産店におばちゃんはいず、娘さんがいた。事情を説明すると、いえ全然問題ありませんよ。普通なら4,000₩ですが、古い商品なので母は2,000₩にしたのでしょうとのこと。それではせっかく出直して来たので、2,000₩足しておきますと申し出ると、いえ、それはいいです、どうしてもとおっしゃるなら、新品がありますから、それと取り替えましょうとの由。気分がいいので、似たような別のループタイも買った。
20250322-1742599578.jpg 河回村を再訪したかった理由はもう一つあった。タルチュム(仮面劇)と呼ばれる、この国の国宝に指定されている有名な仮面劇を見たかったのだ。午後2時から50分程度の公演で前日は間に合わなかった。この日は存分に楽しむことができた。河回村に入る時に5,000₩の入村料金を支払うが、観劇料もこの入村料金から賄われているようだ。
 ガイドブックによると900年以上前から伝わる庶民劇で、旧正月の村祭りや巫女の祭礼で奉納されていたとか。一時途絶えていたが、1970年代に村の青年たちが再興し、今では一年を通して定期公演されているようだ。この地で両班が支配階級として君臨していた時代の村人たちの暮らしが皮肉たっぷりに描かれていた。韓国語が分からない来訪者のために英語と中国語の簡単な字幕も付けられていた。日本人の観光客はそう多くなさそうだったが、日本語の字幕も添えられていたのが印象に残った。娘の放尿シーンの描写や男性器の連呼など、ちょっと危なっかしい内容もあったが、私は全く気にならなかった。心から笑えた。
 一夜明けて本日は土曜日。今日は安東から電車で東海(トンへ)を訪ね、数時間後にはソウルに移動する強行軍だ。疲れそう。

大陵苑(テルンウォン)

20250320-1742458783.jpg 慶州は高校時代に習った古代朝鮮の王国・新羅(356-935)の首都が置かれていた地。手元のガイドブックには、慶州には紀元前の頃から古代国家が築かれており、約一千年の長きにわたり、新羅の王都として栄えたと載っている。新羅はその後、中国・唐と結んで敵対していた隣国の百済や高句麗を倒した史実も述べられている。歴史好きの人々にはここはきっと垂涎の地なのだろう。
 投宿したホテルからすぐ近くにあるのが大陵苑(テルンウォン)という古墳公園。広大な敷地に大小23の円形の古墳が点在している。歩いていて郷里の西都市にある有名な西都原古墳群を思い出した。大陵苑は西都原古墳群とは比べるべくもないが、周囲には心地よい空間が広がる。肌寒ささえなければ、ベンチに座って読書したい思いがした。遺跡を紹介したビデオ室が一角に設けてあり、英語の他にも日本語でその紹介を聴くことができたのは嬉しかった。
20250320-1742458825.jpg 大陵苑には新羅第13代味鄒王(ミチュ王)(在位262-284年)が祭られているとか。この人物が新羅の金氏の始祖だとか。こう書いても私には意味するところ分からないが、要するに慶州が由緒ある地であることだけは想像がつく。味鄒王の陵墓を写真に収めようと近づくと、その前でチマチョゴリを着た若い女性が二人写真を撮っていた。思わず、私も写真撮っていいですかと声をかけてみる。最初は韓国語で最後には英語を交えながら。快諾してくれた。韓国南部の都市から来ていた友人二人で共にスターバックスで勤務。チマチョゴリのレンタル料金は2人で140,000₩とか。もっと安いのもあったんですが、高級のものにしましたと微笑んだ。そうですか。韓国語で辛うじて聞き取れた。
                  ◇
 正直に書くと、韓国の一人旅は結構切なく感じるときが少なからずある。レストランなどで夕食を食べようとする時は特にそうだ。この国はお一人様歓迎からはほど遠い。大好きな台湾とは雲泥の差がある。その台湾では朝ご飯が待ち遠しい。朝食付きのホテルに泊まっていても、朝はホテルを出て裏通りを徘徊し、街の朝食屋さんで食べる。安いがとても美味い。韓国ではそうした楽しみは残念ながらない(ようだ)。
20250320-1742458888.jpg 朝ご飯は我慢するとして、お昼と夕食は美味いものを食べたい。慶州最後のランチは良かった。大陵苑を見学して近くにある、いかにも若者が好みそうなレストラン街を物色しながら歩いた。ビビンバの写真が目に入った。そういえば今回はまだ食べていない。外から店内をのぞくと混んでいる。人気のお店のようだ。カスはやめて、久しぶりにコーラでも飲むか。注文したのは英文表記だと Korean Raw Beef Bibimbapで14,900₩。値段に違わず、期待通りに美味かった。満足!
 木曜日は安東(アンドン)に移る。高速バスターミナルでチケットを買い求めた。15,500₩。午前9時発。そして今、安東のホテルにチェックインしてこの項をアップしようとしている。ちなみにこのホテルは一泊50,000₩。段々と安くなっている印象だが、平日だからか。週末になるとまた上がるのだろう。安東では有名な河回村(ハフェマウル)を訪ねるつもりだ。天気が段々と良くなってもいる。楽しみ。

慶州(キョンジュ)

20250319-1742346522.jpg 一夜明けて火曜日朝。大邱は何となくもういいかという思いがした。韓国東南部の慶尚北道(キョンサンプクト)には大邱の他にも慶州(キョンジュ)と安東(アンドン)という古都がある。まず最初に東に位置する慶州を訪ね、それから北の安東に向かうのが理にかなっているかと思い、高速鉄道に乗車して慶州に足を運んだ。実際には大邱から東大邱を経由して慶州に降りた。慶州駅に降り立つと、そう寒くはないが、雪が舞っている。全然気にならないほどの粉雪だ。目の前には山また山。韓国人=登山という「図式」が頭に浮かんだ。20分かそこらバスに揺られてターミナルの商店街に到着。古都という雰囲気を感じないでもないユニークなたたずまいの通りが見えた。
 ところで、慶州駅のバスターミナルで市内中心部のホテル街にどう行こうかと慣れないハングル表記のバス停に頭を悩ませていたら、若者とお爺さんが側から声をかけてくれた。「どこに行かれるのですか?」。英語と韓国語をミックスしてのやりとりとなったが、旅先でのこうした小さな親切は実にありがたい。
20250319-1742346569.jpg 賑やかなホテル街でとりあえず宿を探す。最初に目に入った大きな近代的なホテルのフロントで問い合わせをしてみた。部屋ありますか?一泊いくらですか? フロントの女性が打ち込んだ卓上計算機の数字を見やると100,000₩を超えていた。日本円では10,000円を超える。今時韓国を旅している日本人観光客なら極めてリーズナブルな値だろうが、年金生活者にはちと躊躇せざるを得ない。潔く身を引いた。続いて飛び込んだホテルでは愛想の良いおばちゃんが受付奥から出てきた。部屋ありますかと尋ねると、ありますよとの返事。80,000₩。探せばもっと安いところがあるだろうが、この辺で手を打とう。だめもとで2泊するから70,000₩にしてもらえませんかと交渉。おばちゃんはあっさりと「いいわよ」。心変わりされると嫌だから早速50,000₩札を三枚手渡す。そこに若主人といった呈の男性が現れ、私がお釣りを催促すると「お客さん、逆でしょ。そちらがあと10,000₩札を下さいよ」。「(普通)そうだよな」と思いながらも、「いや2泊するから、ディスカウントしてもらったんです」と一応言ってみた。それで「決着」した。
 粉雪も舞っているし、少し肌寒いので、歩きながらジャンバーのジッパーを上げた。普段はジッパーには手を触れず、ボタンで済ませている。長年使っていないからか、直後にジッパーが外れなくなった。英語で表現するなら get stuck という状態だ。困った。いくら力を込めて引っ下げても外れない。どこか衣料品店でものぞいて助けてもらおうか。しかし言葉が通じないし、一銭の徳にもならないこんな雑事を頼んだら罵声を浴びせられるのではとも危ぶみ、ちっちゃな小売店が軒を連ねた市場のなかをうろうろした。さすがに困り果て、ミシンが見えた一軒のお店に飛び込み、店主らしき老齢の男性に「これなんとかなりませんかね」とジェスチャー。困り顔のお爺さんはうなりながら、ジッパーを外そうと「格闘」してくれた。何度かトライした後にやっと外れた。やった! 私はさすがに言葉だけのお礼では気が引けたので、5,000₩札をお爺さんの手に握らせた。お爺さんはちょっと笑みを浮かべて受け取ってくれた。晩酌のビール代ぐらいにはなるだろう。
 歩き回ったらお腹が空いた。さて、今夜は何を食べよう。

大邱(テグ)

20250317-1742213057.jpg 週が明けて月曜日。釜山を発ち大邱に向かう。釜山駅に行き、KTXと呼ばれる高速鉄道の乗車券を買う。釜山から大邱まで1時間24分で11,400₩。正午過ぎの電車に乗ることができた。おっとその前に日本円を両替しなくては。クレジットカードで支払いを済ますこともできるが、以前カード会社から海外で不審な使われ方をしているとの指摘を受け、それ以来、できるだけ現地の現金で支払いをするようにしている。それで釜山を発つ前にまた両替したい。釜山駅の案内所で尋ねると駅を出るとチャイナタウンがあり、そこで両替が可能との由。駅を出てチャイナタウンに歩くと確かに両替商の店があった。
 釜山駅から改めて外を見やるとすぐ近くに山が見える。大阪や福岡では見ることのない山の近さだ。ソウルでもよく感じるが、韓国の人々がよく山歩きを趣味としているのはこうした山の近さにも関係があるのではないかと思った。
 月曜日は願っていたように朝から好天。空気は冷たいので上着は離せないが、気持ちのいい一日となりそうだ。大邱は初めての訪問。到着してすぐにホテルを探す。キャリーバッグはそう重荷ではないが、身軽いにこしたことはない。釜山・沙上で泊まったホテルのように当たりであればいいが。そう思いながら駅前を見渡してもホテルの類は見えない。反対側の方が賑やかなのかと思い、そちらに渡ってみてもそうでもなさそうだ。何人かに尋ねてみたが、らちがあかない。一人の女性は「この辺りにはホテルはありませんよ。トンテグ(東大邱)でしょ、ホテルなら」という感じの言葉を発したような印象。そう言えば確かにテグの手前の駅がトンテグだったような。
 また引き返すのも何だなと思いながら、一応、大邱駅を目指して歩いていると、交番(警察)が目に入った。男の人が中にいたのでホテルが近くにないかと尋ねてみる。ホテルはないが、すぐそこにモーテルがあるとか。モーテルの玄関ドアを開けて中に入るとおじさんが掃除をしていた。部屋ありますかと聞くとあるとの返事。一泊いくらですかと尋ねると35,000₩とか。壁に表示されている価格帯をよく見ると、土曜日は60,000₩、金曜日は50,000₩、平日は40,000₩となっている。5,000₩も安くしてくれているではないか。
 気分良くチェックインして散策がてら喫茶店でも探そうと歩いた。だが、しばらく歩いてもそういう雰囲気はない。周辺は金具や工具類を売っている市場みたいな印象で、やはり東大邱で下車すべきだったのか。横断歩道の近くで若い男性がいたので喫茶店知りませんかと声をかけてみた。彼もあまり分からないようだ。どちらからお見えですかと尋ねてくる。日本から来ましたと答えると、ああそうですか、やっぱりと言う。確か(?)日本語だった。大学で日本語を学んだとか。彼はスマホで調べて「その喫茶店まで案内しましょう」。
 そのお店でお茶をしながら、色々とおしゃべりした。彼は本日は仕事が休みで買い物のため近くまで来ていたとか。31歳で今はアルバイトをしながら、公務員試験のための勉強に励んでいると語っていた。私のこれからの旅程のことなども相談に乗ってもらった。本来なら夕飯をご馳走しながら話を続けたかったが、彼には先約があり、そこまでは無理だった。
 持参している韓国の観光案内書をパラパラめくって見たが、大邱はたいした記述はない。そういう次第で東の慶州か北の安東を目指すことにした。ウーンどっちにしよう?

久しぶりの釜山!

20250316-1742053308.jpg 土曜日朝スマホの目覚ましを午前5時に合わせて起きた。いや身体がきつい。本当ならそのまま寝続け、韓国の旅を放棄したくなった。別に誰に約束したわけでもないし、迷惑をかける人もいない。後で自己嫌悪に陥ることは間違いないだろうが・・・。
 なんとか身体を起こし、トイレから洗面、歯を磨いて少し気力が湧き出てきたような。とりあえず空港に急がなくては。とまあ、早朝に出立する海外の旅ではいつもの光景を繰り返して機上の人に。離陸直後に機体が嫌な感じで揺れ、また、ちょっと後悔の念が。とはいえ、福岡―釜山は40分かそこらで到着してしまう。釜山の空港に着いてモノレールに乗ってしまえば気分は上々。沙上(ササン)という終点のような駅で皆が下車するのでつられて下車。地下鉄に乗り換えるのが普通のようだが、朝ご飯を食べてないのでどこかでランチを食べようと思った。釜山市の中心部からは離れているようだが、そう遠くはないだろう。良さそうなホテルがあれば、そのホテルに投宿してもいい。行き当たりばったりの旅に相応しいではないか!
 沙上駅を出てあてもなく歩いた。福岡市も出た時は小雨が降っていたが、釜山も雨模様。生憎の出だしとなったが、これから好天に恵まれることを願うばかり。さて飛び込んだレストランは入り口にTourist Restaurant(観光食堂)と表示してあり、なかなかの格式あるレストランに見えた。ランチだから、焼き肉スープのような一品を注文した。値段は20,000 ㌆(₩)。日本円との両替レートはだいたい1¥=9.76₩のようだから、20,000 ₩は2,049円となるが、計算が煩雑だから、ざっくり100円=1,000₩として勘定することにする。
20250316-1742053255.jpg ビールでも飲んで細やかに祝杯でもあげよう。メクチュチュセヨ(ビールを下さいとの意。ハングルで打ちたいがやり方がいまだによく分からないのでカタカナ表記をお許しあれ)と注文を取りに来たおばさまに言うと「カスでいいですか」との由。まあ、私はカスみたいな男だから、チョアヨ(いいです)と答える。すぐにそのカスがやって来た。CASSという名の人気のビールのようだ。私もすっかり気にいった。この旅でおそらく何度も飲むことになるような予感がする。
 ところで釜山には過去に何度か足を運んだことがある。記憶は定かでない。このブログをスクロールして確認してみると、2016年には何と3度も訪れている。当時は格安のフェリーが走っており、今では信じられないほどの料金で福岡―釜山を往復できた。故郷の宮崎に戻るよりもはるかに安い料金で。それほど身近だった釜山だが、中国語と台湾に関心が向くようになったこともあり、釜山は段々と縁遠くなった。釜山は2016年以降再訪していないのかどうかもよく分からない。おそらくないのだろう。
 そうしてみると、今回の釜山は9年ぶりの再訪ということになる。記憶があやふやなのも道理だ。ランチを食べた後でとあるホテルが目に入ったので、空きがあるか尋ねてみた。一泊65,000₩(6,500円)とのことで、2016年のブログでは40,000₩―45,000₩で泊まっており、私にはちょっと高いかとも思ったが、値上がりもしているのだろう。チェックインしてみると、ウォシュレットもあるし、凄く快適な部屋に思えた。

| Next»

過去の記事を読む...

Home

Search
Feeds

Page Top