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英語でさるく 那須省一のブログ

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iPhoneのスマホに

 今のスマホは購入してからまだ一年と少ししか経過していない。特段不満があるわけではないが、使い勝手が凄くいいとも感じていない。ちょっと気になる不満を強いてあげれば、スマホを手に取って時刻を確認したいと思った時、時刻の表示にタイムラグがあることだ。例えば、今何時だろうと思ってスマホをオンにすると、表示された時刻が「古い」時刻だったりする。何と表現していいか分からないので「古い」と書いているが、こちらは一瞬間、「あ、まだこんな時間か。まだ余裕があるぞ」とぬか喜びする。そう思った瞬間、スクリーンの時刻は現時点の正しい時刻に変わるという次第だ。どうにかならないものかと思ってきているが、そういうものらしいので我慢、納得するしかない。
 近くの家電量販店にある携帯機器のコーナーを訪れ、なにげなくそうしたことを相談していたら、スマホの買い換えを勧められた。この際、iPhoneにされてはどうですかと。成り行き上、これまでのソフトバンクのスマホから再びauのスマホに機種変更することになった。それはいいのだが、トントン拍子に進んだ機種変更の手続きの最後の関門、データ移行が待ち構えていた。ここではできないのでauショップで相談してくださいとの由。尋ねていったショップでは「データ移行作業は予約が必要です。3日先なら予約可能です」。
 翌日、職場近くにauショップがあることを知り、電話をかけてみた。午後なら対応可能とのことで、仕事を終えた後に寄ってみた。新旧のスマホを手渡すと、3時間半後に再訪して下さいと伝えられた。ずいぶんと時間がかかるようだ。今、その待ちの時間にこの項をアップしている次第。(パソコンで今は時刻が分かるが)時計代わりのスマホがないと困ってしまう。ラインメールはもちろん、スマホで聴いていたNHKラジオの語学番組にもアクセスできず、「文盲」「情報難民」と化してしまった。
 とここまで打って(書いて)まだあと、2時間も待たなくてはならない。どこかWi-Fiのある茶店でも近くにあるといいのだが、この駅周辺は悲劇的に閑散としている。嗚呼、どうすんべ? 散策がてら、Wi-Fiのあるお店を探そう。と歩いていたら、なんのことはない、すぐ近くにスーパーがあり、フッドコートもそなえてある。期待通り、無料のWi-Fiも完備している。それでこうやってブログも書き終えた。さていつアップするか。新しいスマホに無事データ移行が完了したらにするか。
                  ◇
 ずっと台湾を再訪したいと願っているが、いかんせん、飛行機代が安くない。それで韓国にターゲットを変えようかと思い始めてる。ネットでざっと検索してみると、韓国の路線の方が格段に安い印象だ。春休みに少なくとも一週間、できればそれ以上、ゆっくりと韓国内をのんびり旅したいと考えている。台湾はそうした旅を楽しんだことがある、韓国はない。釜山からソウルにかけ、そうしたのんびり旅ができないか。宿はもちろん、行き当たりばったりの気ままな旅。独り者の特権か。いやこんな特権はいつでも返上したいが。なにはともあれ、都市部から離れたところの旅なら、日本語や英語もそうは通じず、拙い韓国語をブラッシュアップする旅にもなるはずだ。・・・と思っていても、やっぱやめた! となるのかもしれない。

アメリカ湾って?

20250214-1739496115.jpg 夕刊に面白い記事が載っていた。米国のAP通信がトランプ大統領のホワイトハウスから大統領執務室での取材を拒絶され、「出禁」になっているという。事の発端はAP通信がメキシコ湾の表記をアメリカ湾に変更すべしという大統領の意向に沿わず、依然としてメキシコ湾と表記していることが大統領の反発を生んでいるためだとか。
 トランプ大統領が就任早々、メキシコ湾をアメリカ湾と呼ぶとする命令(大統領令)を発していたことは知っていた。「アメリカ第一主義」(America First)を掲げるトランプ氏とはいえ、こんなところにまで固執するのかとあきれたが、彼にとっては譲れないことのようだ。米グーグル社は早速、米国内のグーグルマップでメキシコ湾の表記をアメリカ湾に切り替えたようだ。長いものには巻かれろか。そうした中でのAP通信の毅然とした対応だ。夕刊記事はメキシコ湾という呼称が400年以上使われてきており、「世界的な報道機関として地名は読者が容易に認識できるようにする必要がある」と述べ、大統領の要求に屈しない姿勢を明らかにしている。
 確かにAP通信の主張の通りだろう。今さらながら「アメリカ湾」でタンカー座礁などという報道に接したら、はて、アメリカ湾ってどこにあるのだろうなどと狼狽してしまう。トランプ大統領のわがままに付き合わされるのは大変ではある!
 上記の記事を目にして思い出したことがある。米ニューヨーカーが今年で創設100年の記念すべき年を迎え、記念特集号の案内がネットで紹介されていて、報道に携わる立場が明快に述べられていたことだ。ニューヨーカーはマーク・トウェインの作品から飛び出してきたような、鉱山労働者を父に持つコロラド州出身のハロルド・ロス氏が創設した雑誌。当初は a comic weekly (喜劇的な週刊誌)としてスタートしたが、第二次世界大戦の勃発などもあり多くの時事ニュースの解説・評論などを取り込み、深みのある総合誌として人気を増していった。ロス氏以降の編集スタッフが社是としたのはaccuracy & clarity(正確さと明快さ)。AP通信に相通じる報道姿勢かと思う。
                  ◇
 私は髭深くはないが、毎朝髭をそらないとすぐに無精髭でむさ苦しくなる。それで週末以外は電気髭剃り機を顔に当てている。この頃、ともすると何だか痛いと感じることがあった。それでもたいして気にはせず、せっせと使っていた。まだ購入してからそう何年も経過していなかったからだろう。数日前、外刃に油でも塗って使い勝手をよくしようかと思った。それで外刃を本体から外して気がついた。外刃の編み目の部分が欠けているのだ。痛いはずだ。電器店に足を運び相談した。外刃だけを買い換えれば済む話だが、そう安くはない。
 それで買い換えることにした。替え刃が一つ付いており、お得感はある。朝、肌に当てて剃ってみた。肌に当たる感覚がソフトで全然違う。以前のもそう不満があったわけではないが、こちらの方が断然剃りやすい。こうした電気製品を無駄に浪費したくはないが、使い勝手のよくないものを無理に使い続けるのもどうか。以前にも長年愛用した電気炊飯器を後生大事に使っていたが、新しい炊飯器に替えたところ、炊き上がりの感覚が全然異なる。そんなことも思い出した。

“Madman Theory”

 福岡は寒い日々が続いている。先週はついに初めてネルのズボン下を着用した。ロンドン勤務時代にモスクワ取材に備えて上下を購入していた。帰国してからはほとんど着たことがなかった。箪笥の奥にしまっていたそれを引き出した。上半身はコートとマフラーで何とかしのげるが、下半身は心細い。ふんわりしたズボン下を着るようになってずいぶん温かく感じるようになった。もっと早く気づけば良かった。これからはこのズボン下着用が欠かせなくなりそうだ。
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 韓国語はYouTubeを利用して常時、無料の講座を聴取しており、少しずつだが、力をつけているような気がする。とはいえ依然、初級に毛の生えたレベルか。中国語は見劣りする。NHKラジオの初級講座を聴いていても、いまだにピンイン表記に迷うことがしばしばだ。最も自信がないのは声調。悲しいかな何度聴いても?のままのことが多い。中国語の達人と思われる高齢のお方のブログを読んでいて、年齢を重ねると、一番最初に記憶があやふやになるのは声調だと書かれていた。そういうものらしい。
 それだけに音を聴いて、すっと正しい声調が頭に浮かんだ時はとても嬉しくなる。先週末ラジオから、乱暴にカタカナ表記すると「ルースー」という単語が流れてきた。私はとっさに「緑色」という語だと分かった。嬉しかったのはlǜsèというピンイン表記も正しく推量できたことだ。lǜもsèも日本人には苦労する音であり、「ルースー」と日本語のように安易に発声することはできない。
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 トランプ米大統領が再登場して以来、気分が滅入ってしまい、新聞の国際面も熱心に読むことはなくなってしまった。ネットでBBCやCNNの記事を読むことも格段に少なくなった。それでもネット購読している米高級誌ニューヨーカーの時事コラムだけはなるべく読むようにしている。最新号に編集長のコラムがあった。著者は国際情勢に精通しているデイヴィッド・レムニック氏。“The Madness of Donald Trump”という見出しにひかれて読んだ。
 トランプ大統領のmadness(狂気)はいろいろあるが、最新のものは何と言っても米国がパレスチナ自治区ガザを「所有」するとした発言だろう。パレスチナに住むパレスチナ人を追い出す暴挙であり、これが中東和平に直結するとは到底思えない。イスラエルのネタニヤフ首相にとっては飛びつきたくなる構想だろう。ガザからイスラム過激派のハマス勢力を一掃することになる。しかし、これはいわゆるエスニッククレンジング(ethnic cleansing:民族浄化)であり、国際社会が容認することはあり得ない蛮行だ。madman(狂人)を装い、有利な状況を作り出す外交手法を “madman theory” と呼ぶらしい。常軌を逸した言動で相手を恐怖に陥れ、翻弄する戦略だ。大統領は不動産的な構想であり、地中海に面したガザを中東のリビエラにしたいのだと正当化した。入れ知恵したのは誰だ。長女の婿でイスラエルが祖国のジャレッド・クシュナー氏 の顔が思い浮かぶ。大統領お得意のはったりだとしても、理性的な為政者からはほど遠い暴君が君臨する国々に間違ったシグナルを送るのではないかと危惧する識者の意見も紹介されていた。

「知らんけど」魔法の言葉?

20250204-1738659875.jpg 暦は2月に入った。本当にあっという間に時間が経過する気がする。間もなく私もまた一つ年齢を重ねることになる。じたばたしても始まらない。せめて上手に年を取りたいものだとは思う。中学校で教えていると生徒たちの青春がまぶしく見えることがある。私にもああいう時代があったとも思い、昔のクラスメートたちにも思いを馳せる。卒業後にもっと親しく付き合っていればと後悔もする。そうした幼馴染みとは古希を祝う会で再会したが、次はいつになるのか。私のような根なし草の気楽な稼業の男は帰郷しようと思えばいつでもできるが、他の同級生たちはそうでもないだろうことは分かる。そのうち仕事が一段落すればまた宮崎に戻り、同級生と飲み食いしたいと願っている。
                 ◇
 少し前に読んだ夕刊に方言を扱ったコラムがあった。「知らんけど」という表現を取り上げていた。「英語にはない 会話に誘う魔法」という見出しが付いていた。ここ福岡の日常生活でそう耳にする言い回しではないが、テレビではよく耳にするかと思う。意味するところは日本人であれば説明するまでもなく分かる。
 コラムの筆者はこれは関西発祥の言葉であり、近年、全国的な流行語になったと紹介している。自分の発言の「正確さを期す余り気後れする人も、この言葉一つで会話に参加しやすくなるし、別の意見がある人ともぶつからずに済む。まさに魔法の言葉」と述べている。「英語にはない表現であり、英語化してほしいくらいだ」とも付記している。
 「知らんけど」は確かに即座には英語表現が頭には浮かばない。I guessとか I supposeだろうか。それも文末に軽く添える程度の言い回し。「彼はこのことを知っているのだろうか?」という問いかけに、「知っているのではないかと思うよ、知らんけど」なら、”He knows it, I suppose.” か。これなら自分の推測が間違っていても「逃げ場」がある。
 以前にどこかで外国人が一番最初に覚える日本語表現は「仕方がない」(I can’t help it./It can’t be helped.) だと読んだことがある。彼らが理解に苦しむ微妙な場面に直面した時に、こう言って自分たちの不運を嘆き、前を向こうとしているような気がしないでもない。彼らが次に覚える日本語表現は案外、「知らんけど」となるかもしれない・・・。
                 ◇
 最近ふと気づいた。老年期に入ったからだろうか、この頃はふと気づくことばかりだ。数えたことはないが、このブログはこのふと気づいたという表現のオンパレードではないだろうか。そうだとしたら恥じ入るばかり。
 最近の気づきは久しくイチゴを食していないこと。イチゴは大好物で、食後のデザートとして丼一杯のイチゴに牛乳をたっぷりかけて食べていた。数日前に足を運んだ八百屋で美味そうなイチゴが目に入った。あれ、私はどうして最近、イチゴを食していないのだろうか? すぐに合点が行った。尊敬する農学博士の先輩に健康のため、牛乳や乳製品はあまり摂取しないようにと言われて以来、牛乳から遠ざかっていたのだ。その余波でイチゴからも。 
 それで思った。牛乳の代わりに豆乳、それも無調整豆乳ならば問題はないのでないか。早速食してみた。美味。よし、これから思う存分、イチゴ+豆乳を楽しんでいこう!

今さらながら

 知らないということは恥ずかしい。他人のことを蔑んでいるのではない。我が身を嘆いているのだ。非常勤講師として教壇に立っている学校にノート型パソコンを持参して、教材関連の調べ物をしている。とある学校では無線ランに問題なくアクセスできている。もう一つの学校ではランが利用できず、スマホを使ってネットにアクセスして調べ物をしていた。
 とある日にふと気づいた。同じ非常勤講師の先生がノート型パソコンを使っておられる。ネットにも自由にアクセスされておられるようだ。パソコンから白い機器が学校のケーブルにつながっている。その先生に尋ねてみて分かった。アダプターを使えば問題なくネットにつながることを。こんな基本的なことをこの日まで知らなんだ、気がつかなんだ。自分の愚かさに愕然とする思いだ!
                  ◇
 パソコンに海外旅行の格安チケットの案内メールがまたぞろ届くようになっている。燃油サーチャージが来月からまた値上がりすると聞くと、今月内に押さえておいた方がいいのかなとも思ったりするが、決断できないでいる。とりあえず、大好きな台北を目指し、3月下旬で一週間程度の旅を考えてみた。宿はいつものように行き当たりばったり作戦だからいいとして、肝心のチケット代金は往復で約6万円のものを見つけた。安くはないのでは? これで早く手を打っておいた方が賢明だろうか? ウーン分からない・・・。
 4月以降のことは全然分からない。非常勤講師職もお役御免となれば、4月以降どうやって過ごすか改めて考えたい。ひょっとしたら、ゆっくり海外を旅する時間を手に入れるかもしれない。その時はその時だ。かねてから考えているソウルか釜山への短期語学留学も頭にはある。いや、語学留学が経済的に大変そうだったら、一二か月のブラ旅でもいいか。二か月でも韓国内を旅すれば貴重な体験となり、韓国語の学習にも役立つに違いない。中国本土にも行きたいが、こちらはそう簡単にはいかなそうだ。
                  ◇
 語学学習にネットの情報は大いに役立っているが、やはり注意しておかないと思わぬ落とし穴が待ち構えていたりする。つい最近の一例を紹介すると。
I found it hard that he solved the problem. 訳文として次の訳例が載っていた。「私は、彼がその問題を解決するのは難しいとわかった」。うーん、そういう解釈ができるのだろうか、私は X だ。普通に訳すと、「私は、彼がその問題を解決したしたとは信じ難い」となるだろう。英文自体が紛らわしい。I found it hard to believe that he solved the problem. というものだったら、まず誤解の余地はない。
 英語を教える身としては「もって他山の石」としたい。発音に関する勘違いなら時に冷や汗を流すことが私にもある。最近気づいた勘違いは「選挙」や「世論調査」を意味する poll という語。乱暴にカタカナ表記すると「ポル」と発音していたが、よくよく調べると「ポゥル」であり、「棒」や「さお」のpole と同じ発音だった。知らなんだ! 最近ではないが、study abroad (留学する)の abroad は road を含んでいるからロゥドと発音していた。違った。ロードと口を大きく開けて発する[ɔː]であり、口をすぼめた音[ou]ではなかった。

“Klara and the Sun” 再び読了!

 オンライン英語教室で毎月2回のペースで読んできていたカズオ・イシグロ氏の小説 “Klara and the Sun”(邦題『クララとお日さま』)を昨晩ようやく読み終えた。英語教室で読んだのはこれが2回目。昔のブログをスクロールして確認すると、2022年1月24日に読了の項をアップしている。偶然だが、同じ日付けの教室で3年ぶりに読了しているとは!
 今この項を打ちながら、3年前のブログをのぞくと、次のように書いている。
 ――物語の主人公は「ロボ友」とでも訳したいArtificial Friend (AF)の少女クララ。AFのエネルギー源は太陽光。実に賢く、心優しい彼女が「仕える」のは病弱な少女ジョージー。物語の舞台は北米と思われる地で、AFや最先端の機器が社会を支えるようになっている近未来。家庭でも「ロボ友」の少年少女が孤独な子どもたちの遊び相手になっている。貧富の格差は歴然としており、富裕な家庭の子どもたちは遺伝子操作(?)の施術を受け、ますます優位な立場を享受している。国家の枠組みは残っているようだが、人々は価値観を共有する者たちだけで独自のコミュニティを形成している。
 ジョージーは遺伝子操作の施術の後遺症か身体が日増しに弱っている。娘を溺愛する母親はジョージーが他界した時には、彼女の知性、性格、性癖を完コピしたロボ友、つまりクララをそのまま第二のジョージーとして「育成」することも考えているようだ・・・。
 作家はこの作品で人間の heart とは何ぞや、我々がheartと呼んでいるものは人間にしか存在しない特別なものなのだろうかと問いかけている。母親と離婚はしたが、娘への愛は母親に負けない父親は第二のジョージーをこしらえることには懐疑的で、クララに次のように問う。“Do you believe in the human heart? I don’t mean simply the organ, obviously. I’m speaking in the poetic sense. The human heart. Do you think there is such a thing? Something that makes each of us special and individual?” ――
 昨晩の教室で私と2人の受講生は上記の問いかけについて話し合った。人間は本当に特別の存在なのであろうか。そのように自分たちを特別視することは人間の浅はかな思い上がりではないのか。ロシアのウクライナ侵攻後の民間人殺戮やイスラエル軍によるガザ地区住民の殺害などのニュースに接すると、人間はとても神様や地球外生命体に対し、胸を張れる存在ではないとため息をつきたくなる。トランプ米政権の再登場や日本ではあまり報じられることがないが、アフリカ各地での人権や民主に逆行する動きなどをネットで読むと、暗澹たる思いに駆られる。
 その一方でイシグロ氏の作品に描かれているように、AIの進歩はますます人間社会に大きな影響を及ぼしつつある。私もさまざまな恩恵を受けている。肌身離さず身につけているスマホにしても3年前は知らなかったアプリを享受している。特に英中韓の語学学習にとってはスマホが登場する前には想像もつかなかった益に浴している。これから3年後には更に信じ難い進化を遂げているかもしれない。もちろん、諸手を挙げて歓喜するわけにはいかない弊害も生じているやもしれないが。
 私の読後感を「続き」に付記しておきたい。備忘録ゆえに・・・。

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ロウキよ、お前もか!

 高校英語の教材を読んでいたら、次のような文章が出てきた。It is no use regretting what you didn’t do.(やらなかったことを後悔しても無駄だ)。そうか、そういう言い方(考え方)もあるのか。It is better to act and repent than not to act and regret.(やらぬ後悔よりやる後悔)という言い方もあるようだ。人生とは前者の方が圧倒的に多いように感じるのは私だけだろうか。話が湿っぽくなるのでやめよう。
 オンライン英語教室で毎月2回のペースで読んできていたカズオ・イシグロ氏の小説 “Klara and the Sun”(邦題『クララとお日さま』)が今月下旬の回でいよいよ大団円を迎える。読み始めた頃の記憶がないので、このブログをさかのぼると昨年5月からだと分かる。以前にも書いたが、このオンライン教室こそが私にとって楽しいひととき。これまでは短い課題文を与えて翻訳を課してきていたが、最終回は読後感想文をA4用紙で1枚書いてもらうことにした。私も同じように書く。せっかくだからこの欄でも披露してみようかなと考え始めているが、はてさて・・・。
                  ◇
 大相撲。また時々NHKテレビで見るようになっている。それにつけてもやはり、解説が物足りない。北の富士親方が存命の時はまた彼の健康が回復したら解説席に陣取り、縦横無尽に忌憚のない話をしてくれるものと期待していた。その親方が昨年11月に死去され、そうしたことはもはや望むべくもなくなった。
 昨日は仕事帰りにスマホのNHKラジオで大相撲を聴いた。解説者の名前も知らないが、その当たり障りのない、何の面白みもない解説にがっかりした。特段彼の解説が酷すぎるというわけではないが、他の親方の面々も総じて月並みだ。テレビだったら、音を消すか、英語の副音声にして画面を見るだけにした方がいいかもしれない。
 何度も書いて恐縮だが、もう一度書いておきたい。これから大相撲ファンとなる人々は本当に気の毒だ。北の富士親方の味わい深い解説が聴けないとは。日本相撲協会は引退を表明した照ノ富士を継ぐ横綱だけではなく、北の富士親方の後を継ぐ解説者をも育成すべきだ。これまで登場したことのないOBの中に誰か適任者が潜んでいるのではないかとも思う。
                  ◇
20250118-1737179137.jpg スポーツついでにもう一言。ロッテを退団した佐々木朗希投手が大リーグのドジャースに移籍することが発表された。ドジャースは大谷翔平、山本由伸に次いで佐々木投手が加わることになる。ワールドシリーズ連覇を目指すドジャースにとっては頼もしい逸材の加入だが、実力ある日本人選手が3人も一チームに、それも常勝軍団のドジャースに加わることが諸手を挙げていいことなのかどうかよく分からない。
 米国はまもなくあのトランプ政権が復活する。傲岸不遜で独裁者と見なされることを歯牙にもかけない、いや独裁者と呼ばれることをむしろ喜びそうな人物が再び国の最高指導者となる。トランプ大統領の復活で人種差別を厭わない、頑迷な一部白人層が勢いづき、暴力的かつ非寛容の社会的気運が醸成されないと誰が断言できよう。スポーツはスポーツとして楽しむことができる社会が崩れ去ることのないよう祈りたい。

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