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4万9千語のギャッツビー劇

  • 2012-07-17 (Tue) 04:47
  • 総合

 ケンブリッジに移動したばかりだが、ロンドンでぜひ観たいと思っていた劇がそろそろ最終公演を迎えることを知っていたので、ウエストエンドの劇場街に向かった。
 ノエル・カワード劇場で公演されていた “Gatz” だ。あの “The Great Gatsby”(邦訳『偉大なるギャッツビー』)(注)の「劇場版」だ。凄いのは、原作4万9千語の「一言一句」をすべて舞台で「読み上げる」公演だったこと。昨年アメリカを旅していた時、この劇のことは知っていたが、ニューヨーク(NY)での公演は既に終了していた。
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 劇団はNYを本拠地とするユニークな名称の Elevator Repair Service(ERS)。「エレベーター修理業務」と訳すわけにもいかないから、「エレベーターリペアサービス」か。
 公演開始は午後2時半。終了するのは午後10時45分。途中1時間半の夕食休憩、2回の小休憩が入るものの、「拘束時間」で言えば8時間に及ぶ長さだ。演じるのも大変だろうが、観る方もスタミナが必要。
 ロンドンに到着した直後に、主演の語り手の青年ニックを演じるスコット・シェパード氏のインタビュー記事を読んでいた。彼はこの小説をすべて暗記しているという。確かに暗記していないと、あれだけスムーズに「読み上げる」ことはできないだろう。劇はシェパード氏が演じる会社員の男が出社して、仕事に入る前に机の上で目にした古びた小説を何気なく読み始めるところから始まる。男は次第に小説に熱中していき、遅れて登場する同僚たちも小説の中の登場人物たちとなって、小説が描く物語を織り成していく。
 ERSによると、当初、原作に「手を入れる」ことも考えたが、フィッツジェラルドの名作はそうした「介入」を厳然と拒むほど完成しており、原作を「生」で聴衆に「提供」する策を選択したのだという。
 物語の舞台は第一次大戦を経た1920年代のアメリカ。ジャズエイジとも称され、アメリカが未曽有の繁栄に酔った時代だ。そうした時代の「お金さえあれば」「自分さえ良ければ」といった雰囲気が、原作に沿った役者の巧みな演技で醸し出されていた。例えば、ニックが恋心を抱いていた自己中心的な女性、ジョーダンに「君の運転はひど過ぎる。もっと注意深く運転するか、さもなければ運転はあきらめなさい」と諭す場面。ジョーダンは「心配ご無用。事故を起こすには二人の軽率なドライバーが必要よ。私と異なり、他の人たちは注意深く運転しているから」と一蹴する。こうした愚かな無責任さは21世紀の今も、アメリカのみならず多くの国々を傷ませている病巣かもしれない。
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 私のような英語のノン・ネイティブには大変疲れた劇だったが、終演時には劇場内には公演に「耐え抜いた」喜びがあふれていた。きちんと三度のカーテンコールで出演者の熱演をねぎらった。日本の名作でこのような公演が可能なのはどの作品だろうかと私は思っていた。「こころ」とか「明暗」とかの夏目漱石の作品ならば十分、こうした鑑賞にも耐えられるのではないだろうかなどと。
 (写真は上が、公演が始まる前は結構好天だった。下が、公演が終わり外に出ると、例によって肌寒く小雨がぱらついていた)

 注)私は昨年の旅「アメリカをさるく 名作の故郷を訪ねて」では、スコット・フィッツジェラルドの作品“The Great Gatsby” の邦訳を『偉大なるギャッツビー』として紹介したが、4月に刊行した『アメリカ文学紀行』の中では邦訳を『偉大なるギャツビー』と変更した。日本では「ギャッツビー」よりも「ギャツビー」としての翻訳が多いことに気づいたからだ。今回の劇では役者の人たちは「ギャッツビー」と発音していた。従って、このブログでは表記を「ギャッツビー」に戻した。

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