- 2012-06-05 (Tue) 05:03
- 総合
ウサギの穴に飛び込んだアリスは何とも不思議な世界に遭遇する。体が消えても笑い顔が残っている猫や水ぎせるをふかす芋虫、ブタを赤ん坊のようにあやしている、いや投げ上げている侯爵夫人、トランプのカードの体をした女王様・・・。そうした動物や人物が奇妙奇天烈なやりとりを展開する。
第9章「ウミガメモドキの物語」で原文では次のようなやり取りがある。
“When we were little,” the Mock Turtle went on at last, more calmly, though still sobbing a little now and then, “we went school in the sea. The master was an old Turtle—we used to call him Tortoise—“
“Why did you call him Tortoise, if he wasn’t one?” Alice asked.
“We called him Tortoise because he taught us,” said the Mock Turtle angrily: really you are very dull!”
「ぼくたち、子供の頃には、海の中の学校へかよってたんだ」ウミガメモドキはやっとまたしゃべりだした。だいぶおちついてはきたものの、まだときどきすすりあげたりしてる。「せんせいは年とったウミガメだったけど、ぼくたちゼニガメってよんでた」
「どうしてゼニガメなんてよんだの、ほんとはそうじゃないのに」アリスが口をだす。
「だってぜにかねとって、勉強教えるじゃないか」ウミガメモドキはぷりぷりして、「まったくもう、なんてとろいんだ!」
矢川訳に苦労の跡がしのばれる。ウミガメ(turtle)と陸上・淡水のカメ(tortoise)との表現の違いが背景にある展開だ。アリスは先生も年取っているとはいえ、ウミガメだったんでしょ、だったら、なぜ、リクガメと呼ぶの、という極めて当然の疑問をウミガメモドキに投げかける。tortoiseという発音がtaught usと酷似しているため、上記のユーモラスなやり取りとなったのだが、このおかしみを日本語に忠実に訳出するのは非常に難しいかと思う。「だってその先生は私たちに教えてくれたから、リクガメと呼んでいた」と訳したところで、何のおかしみも伝わらない。
さらに、第10章「イセエビのダンス」で、グリフォン(珍獣?)がアリスに尋ねる。なぜ、whiting(タラ)はwhitingと呼ばれるのか知っているかと。原文では “Do you know why it’s called a whiting?” アリスがなぜと尋ね返すと、グリフォンは次のように答える。 “IT DOES THE BOOTS AND SHOES.” これはもちろん、同じスペリングで同じ発音のwhiting に「漂白剤」という意味もあるから、英文ではこのような頓知(とんち)の効いた答えが生まれる。このおかしみを翻訳するのは至難の業だろう。矢川訳では「タラってどうして魚へんに雪って書くかわかるか?」「考えたこともないけど、じゃあなぜ?」「ブーツや靴を白ピカにみがくから」という「巧みな」やり取りにしている。(この項つづく)
(写真は、アリスの物語の関連グッズが売られている “Alice’s Shop”。アリスのモデルとなった少女が約160年前にお菓子を買っていた馴染みの店で、日本人観光客を含め多くのアリスファンで賑わっている。建物自体は500年の歴史があるという)
さらに、少し後で、今度はウミガメモドキが「タラはイルカときりはなせないんだ。かしこい魚はイルカなしじゃあどこにも行かないぜ」と言う。驚くアリス。「そりゃそうだよ。なんか魚がぼくんとこへきて、これから旅にでますっていったらば、ぼくとしちゃ、<どこイルカ>ってきくやねえ」。これに対し、アリスは「<どこ行くか>ってことじゃない?」と漫才で言えば、「つっこみ」を入れる。これも訳者の苦労がしのばれる訳だ。原文では “They were obliged to have him with them,” the Mock Turtle said: “no wise fish would go anywhere without a porpoise.” “Wouldn’t it really?” said Alice in a tone of great surprise. “Of course not,” said the Mock Turtle: “why, if a fish came to ME, and told me he was going a journey, I should say “With what porpoise?” “Don’t you mean ‘purpose’?” said Alice. となっている。イルカを意味する porpoise と発音が似ている purpose を使った言葉遊びだ。洒落の好きな私なら、「ぼくとしちゃ、<一緒に行くのが誰かイルカ?>って聞くやねえ」とした上で、アリスが「<何しにイクアルカ>ってことでしょ」と訳すかもしれない。いずれにせよ、楽しい矢川訳に敬意を表したい。
ただ、もう一工夫できたような部分も読んでいて見かけられた。例えば、第3章で、ずぶぬれになったアリスや動物たちが早く体を乾かそうとしていて、ネズミの話に耳を傾けるのだが、一向に乾かない。それでドードー(絶滅した鳥)が一同に訴える。矢川訳では「わたくしはこの会合の延期を提案いたします。なぜなら緊急にエネルギー上の手段を講じることが――」となっている。原文は “I move that the meeting adjourn, for the immediate adoption of more energetic remedies—“ 私なら「私はこの会合の休会を提案いたします。なぜなら、もっと効果的な打開策を速やかに講じることが――」と訳すだろう。
第7章では、アリスと帽子屋とウカレウサギが語順の違いで意味が全く変化することで言い合う場面がある。矢川訳では若干物足りないかと思う。「じぶんのたべるものを見る」と「じぶんの見るものをたべる」の相違を帽子屋らが得意がって語るシーンだが、この訳ではインパクトが弱過ぎる。前者は “I see what I eat.” の訳でこれはこれでいいのだが、後者は “I eat what I see.” の訳文だ。これは「私は目にするものは何でも食べてしまう」などといった恐ろしいステートメントだ。同様に “I like what I get.” と “I get what I like.” はそれぞれ「じぶんの手に入るものがすき」と「じぶんのすきもなもの手に入れる」と訳されている。これは私なら「いただくものは何でも気に入っているわ」「自分が気に入ったものはなんだって手に入れるのよ」と訳したい。こちらの方が両者の違いがよく出るかと思う。
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