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サマセット・モーム(Somerset Maugham)④

  • 2012-10-16 (Tue) 03:48
  • 総合

 モームは1965年に没している。もう少しで92歳の誕生日を迎えるところだった。ロンドンでチャーチル元首相のクレメンタイン夫人を描いた一人芝居を観ていて、チャーチルとモームは生年、没年が全く同じであることに驚いた。二人は面識もあり、前項で紹介した伝記本ではこの二人が仲良く一緒にくつろいでいる写真が掲載されていた。だが、二人の人生には決定的な相違点があった。世界の歴史に名を残す宰相が「自分の人生で最も輝かしい業績は私の妻に結婚を承諾させたことだ」と語るほどの愛妻家だったのに対し、モームの結婚生活は最初からあまり愛情といったものは感じられず、ほどなく作家にとってシリー夫人が憎悪、嫌悪の対象としか見えなくなっていったことだ。
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 モームはすったもんだの末に1929年にシリー夫人と離婚。再び先述の伝記を引用すると、モームは別れた妻について次のように語っていたという。 “She made my life utter hell,” he would say, bitterly referring to Syrie as an “abandoned liar” and the “tart who ruined my life”, and describing her as “[opening] her mouth as wide as a brothel door” in her constant demands for money.(「彼女は私の人生を全くもって地獄にした」とモームはよく語った。彼女のことを「嘘つきの尻軽女」とか「私の人生を駄目にした売春婦」などと口汚く呼ぶこともあった。彼女が常にお金を要求するさまを「彼女の口は売春宿のドアのよう」と表現することもあった)。凄まじい表現だ。愛情のかけらも感じられない。
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 モームは一人娘のライザを可愛がるが、最晩年は秘書も絡んだ財産争いで彼女と醜い法廷闘争を繰り広げる。長年の愛人でもあった秘書が年老いた作家を自由に操った可能性が強いが、世間の評判はこの法廷闘争でがた落ちとなる。文壇の友人たちも彼の元を去って行く。伝記本には最後のロンドン訪問、モームが居住していた南仏からロンドンを訪れ、お気に入りの高級会員制クラブ「ギャリック・クラブ」を訪れた時のことが書かれている。彼が一階のバーに入っていくと、居合わせた全員がピタッと話をやめ、すぐに何人かのメンバーはこれ見よがしにバーから立ち去った。モームは打ちのめされたという。
 私はモームについて、専門家の見解を聞こうと努力はしてみたつもりであるが、不運にもそういう人には巡り合えなかった。大学などでモームのことを研究しているのは稀なのか。彼は生前の文壇でもあまり重く見られることはなかったようである。同時代で言えば、ジェイムズ・ジョイスやヴァージニア・ウルフたちの方がはるかに脚光を浴びた。それは本人が一番認識していたようでもあるが。
 といっても、彼の影響を受けた作家がいないわけではない。ジョージ・オーウェルはモームを尊敬していたと伝えられる。モームの1世代後に生まれたオーウェルの伝記を読んでいたら、彼がモームの「無駄をそぎ落とした文体」と「語りの力」に引きつけられていたという文章(注1)があった。モームが最も得意とした分野は短編小説。娼婦を善導しようとした宣教師はなぜ自死を選んだのか? 娼婦が大団円で “You men! You filthy, dirty pigs! You’re all the same, all of you. Pigs! Pigs!” と叫ぶ “Rain”(邦訳『雨』)は誰もが認める傑作短編小説だ。私もきっとピッグの一人だろう。
 (写真は上が、モームのキングススクール時代の写真。図書室に展示されていた。イスに座っているグループの右から2番目の少年がモーム。ロンドン・ウエストエンドにある「ギャリック・クラブ」。メンバーの紹介がなければ中に入れない高級クラブ)

 注1)“George Orwell” (Gordon Bowker著、2003年刊)に次のような記述がある。なお、Blair はオーウェルの本名。
 It was during Blair’s year at Fort Dufferin that Maugham passed through Mandalay bound for Siam and Indo-China. Quite likely Blair met Maugham at some official reception or at the club. He certainly grew to admire him for his unembellished prose and narrative power, and was more influenced by him than may have been thought.

Comments:3

たかす 2012-10-16 (Tue) 13:31

17日の水曜日にイギリスを離れるんですって?ロイドさんがたまたま私の結婚記念日祝い(50年になりました)のメールをくれて君が訪ねてきてうれしかったと言ってきました。若いときに読んだSumming Upには文章修行にスイフトを諳誦したとありましたが、先日読んだキンドル版にはスイフトに触れていませんでした。若いときの記憶では、スイフトの文章を諳誦するのはいいが、その文章を表した精神を身につけることは至難の業とありました。今、島崎藤村の新生を読んでいます。フランスでいろいろ新しいことを知りましたが、彼の基本は信州での父親のようです。長い外国人とのつきあいですね、君の生活は。宮崎にもどって宮崎の空気を吸ってください。藤村にとって一番大事なのは信州だったようです。無事にお帰り下さい。

nasu 2012-10-16 (Tue) 22:19

先生 はい、18日夜に東京に着き、少し東京の空気を吸って宮崎に戻ります。はい、私の基本も宮崎です。寒村の銀鏡が私の原点です。今回の旅では貴重な数々のアドバイスありがとうございました。この欄では多くを書けませんでしたが、今後の糧といたします。

安代 2012-10-17 (Wed) 23:01

省一さん

18日夜 明日夜は東京着なのですね。
この稿のコメントを読んで思わずコメントしたくなりました。

本当に本当に長い時間おつかれさまでした!
銀鏡で静かな時間を過ごしてくださいね。銀鏡の山がまっちょるかいよ~。風邪ひかんごつね。先ずは焼酎と猪肉と、じゃがね♪

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