- 2012-10-09 (Tue) 08:25
- 総合
前項でロンドンのグローブ座の観劇を書いた。もう一つ書いておきたいことがある。公演の途中から幾度となく強い雨に見舞われた。私は屋根のあるイス席に座っていたので、全然問題がなかったが、平土間の観客はさぞ興をそがれたことだろう。少し風もあり、かなり冷え込んでもいた。ところが、冷たい雨もなんのその、立ち見をあきらめる客は皆無に近かった。海外からの観光客も少なくなかったではあろうが、これは印象に残った。
オックスフォード大学のボドリアン図書館にある広場で観た ”“Hamlet” でも、雨に見舞われた。夏限定のオープンエアでの公演で、公演開始の夜7時45分ごろには雨も上がり、予定通りに開演したのだが、途中からまた雨が降り始めた。それでも、集まった320人ほどの観客で席を立つ人は私が知る限り、一人もいなかった。用意していた雨合羽を被り、雨をさして気にする様子もなく劇に見入っていた。
ロンドンに到着して間もないころ、BBCテレビが “Simon Schama’s Shakespeare” というタイトルの特別番組を放映していた。歴史家として名高いサイモン・シャーマ氏がシャイクスピアの魅力、醍醐味を紹介する番組だった。印象的だったのはシャーマ氏が冒頭に語った言葉だ。概ね次のように語っていた。「クリケットがなくなっても、プロムス(注1)のラストナイトの公演がなくなっても、エンパイア(英連邦?)がなくなっても、イングランは大丈夫、しかし、シェイクスピアなくしてはイングランドはあり得ない」と。日本にはこのようなレベルにまで「称揚」できる文人はいないかと思う。
番組ではシェイクスピアが生まれた時代の特異性を指摘していた。すなわちイングランドは当時、カトリック教から決別してプロテスタントの英国国教会として再出発していた。カトリック教時代の教会の壁画などは「しっくいを塗って人目につかないようにされ」(ホワイトウォッシュ)その空白を補うものが必要であった。それはワード、言葉だった。シェイクスピアはイングランドがまさに言葉を必要としていた時代に生まれたのであり、彼は庶民の娯楽であった芝居の世界で、言わば水を得た魚のように物語を紡いでいった。
また、カトリックの呪縛から解放されたイングランドは自分たちが一体誰であるのかというアイデンティティーも模索しなければならなかった。シェイクスピアはイングランドにそのアイデンティティーを与えたのだとシャーマ氏は力説していた。タイムズ紙のレビュー(注2)をそっくり「引用」すると、シャイクスピアはイス席に座っている富める観客も平土間の庶民も一緒に楽しむことができる劇を書いた。シェイクスピアはイングランド人のアイデンティティーを確立するに当たり、イングランドの過去の物語に題材を取った。彼はイングランドの階級闘争を描いた最初の詩人となった。また、縦横無碍に英語を操り、その結果として英語は言語としての裾野を広げ、生き生きとしたイメージを宿し、今日の我々が世界をより光あふれる色彩で見つめることを可能にした・・・。シェイクスピアなかりせば、今の英語の表現の豊かさは存在せずとの主張だ。
(写真は、オックスフォード大学のボドリアン図書館の広場で行われた「ハムレット」劇。雨合羽を羽織っての観劇となった)
注1)プロムス。BBCプロムス(BBC Proms)とも呼ばれ、毎年夏約2か月の長きにわたり、ロンドンのロイヤルアルバートホールで開催されるクラシック音楽コンサートの祭典。ホール中央のアリーナに設けられる安価な立ち見席を求め長蛇の列ができるなど、ロンドンの夏を彩る名物行事として定着している。特に愛国的な「ルール・ブリタニア」や「威風堂々」が演じられる最後の夜、ラストナイトの公演が有名。
注2)The cream and the scum, the manor house and the tavern. He wrote plays that delighted the pit and the gallery, describing an England that was struggling to define itself and using stories set in the past to dissect the uncertainties of the present. He was Everyman, the first poet of the class war, a writer who captured the riotous carnival of English diction, expanded the language and left behind a legacy of image-rich ideas that enabled us to see the world in brighter colours. But it was in one character, Sir John Falstaff, that England found its greatest archetype. “Falstaff has to be big,” says Schama, “because almost all of England and its pulsing, meaty, rowdy, uncontrollable life flows directly through him.”