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グレアム・グリーン(Graham Greene)④

  • 2012-10-06 (Sat) 06:55
  • 総合

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 バーカムステッドでは一泊の宿を提供してくれた夫妻だけでなく、多くの親切な人々に巡り合った。フェスティバルの創設者の一人でもあり、グリーンが学んだバーカムステッドスクールで英文学を教えていた元教師のデイビッド・ピアースさんもその一人。私の顔を見るや否や、「ワタシワエギリシジンデス」と片言の日本語で話しかけてきて、私の訪問の意図を知るや、グリーンが生まれた家やスクールを駆け足で案内してくれた。
 彼はフィスティバル最終日に催されたスクール見学のガイドであり、私は二度も彼のユーモアあふれる案内を楽しむことができた。グリーンは体育系が苦手の読書好きな少年だった。父親は自分が通うスクールの校長であり、このことや、第一次大戦下の勇猛さが尊ばれる時代背景などから、彼は時に級友たちから疎んじられ、いじめられるなど、辛い日々を送ったこともあったようだ。歴代校長の肖像画が飾られたホールでピアースさんは「皆さん方の後ろにあるドアの向こうはグリーン一家が住む住宅でした。ドアをはさんで、少年グリーンの世界は二つに分けられていました。後年彼が作家として世の中の二面性に目を向け、体制や社会から疎外された人々に温かい視線をそそぐのは、そうした生い立ちにも起因していると思います」と語っていた。
 ピアースさんはバーカムステッドを1974年に再訪した「とても背の高い寡黙な印象」の作家と会ったことがある。「私は不遜にも彼に対し、ここでの学校生活でそういじめられたわけではないのでしょうと質問したことを覚えています。現実には彼は自伝で、学校生活で味わった辛さが作家として成功する力になったと述べています。いじめに遭った少年がいじめた少年たちを見返すために、自分の得意とする分野で頑張ったような感じですかね」
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 グリーンは “The Heart of the Matter” に代表される人間と宗教、神との関係をテーマにした作品の他に、“The Third Man” (邦訳『第三の男』)や “Our Man in Havana”(邦訳『ハバナの男』)などエンターテインメントの小説も手がけている。グリーンの文学に詳しい研究者のマーティン・サンプソン氏は、1991年に86歳で死去した際にノーベル文学賞を受賞していないことが話題になったグリーンはもっと評価されるべき作家と語った。
 「宗教的価値観の違いから世界各地で紛争が絶えない現代社会で、宗教と社会との関係を真正面から見つめたグリーンの作品群はこれからも読まれていく作家だと思います。(宗教的)良心に忠実に生きようとして、自分の犯した罪に苛まれるスコービーの姿は今の若者には理解しづらいことは理解できますが、いつの世でも対人関係の確執は不可避の問題です」
 「表題のmatter が何を意味するのか。それだけで博士論文が書ける大きなテーマです。例えば、神とは誰(何)なのでしょうか。簡単に答えることのできる問題ではありません。私はアングリカンであり、カトリック教徒ではありませんが、私にとって神は言葉で表現できる段階、その前のとてつもなく大きな存在です。スコービーが救護所の外で夜空を見上げて考えたこと、それはあなたが考えているようにmatterの真髄だと思います。グリーンの魅力は文学でこの問題をとらえようとしたことにあると思います」
 (写真は上が、バーカムステッドスクールのホールでフェスティバル参加者にグリーンの学校生活のエピソードを紹介するピアースさん。左から4番目の額がスクールの校長だった作家の父親の肖像画。下が、グリーン文学の魅力について語るサンプソン氏)

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