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グレアム・グリーン(Graham Greene)③

  • 2012-10-04 (Thu) 02:44
  • 総合

 最後まで読み終えて、ああ、こういう物語だったと思い出した。妻に対する愛情というより夫としての責任感からルイーズの幸福を願うスコービー。夫に対する愛情よりも夫が期待通りに副署長から署長への出世の階段を踏み外したことに世間体を気にする妻のルイーズ。新婚間もなく夫を海で失い、路頭に迷う最中にスコービーに出会い、30歳も年長の男を愛するようになるヘレン。
 カトリック教徒に改宗していたスコービーはこの三角関係に陥り、二人の女性を同時に愛することが宗教的に許されない現実に悩む。二人の女性を同時に幸福にできなければ、少なくとも自分にできることは二人の女性を不幸せにしないことだ。そう結論を下したスコービーは自決を決意する。しかし、自殺を忌み嫌うカトリック教徒であるからには、はたからは病気による急死を装う必要がある・・・。
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 その程度の話だ。ただ、スコービーが自決する直前に、神もしくは心の内面に宿る神の対極にある利己的な自我と交わす対話は考えさせられた。ランク神父の言葉が印象に残る。“It may seem an odd thing to say―when a man’s as wrong as wrong he was―but I think, from what I saw of him, that he really loved God.”(「スコービーのように間違った人生を歩んだ人にこう言う表現をするのは奇妙に聞こえるかもしれないが、でも、私は彼のことをいろいろ見知っているから思うのだが、スコービーは本当に神を愛していたのではなかろうか」)。これに対し、ルイーズは心の痛みがぶり返したかのように応じる。“He certainly loved no one else.”(「あの人は確かに誰よりも神を愛していたわ」)
 物語は第二次大戦中の西アフリカの英国植民地が舞台だ。作家は1942-43年、西アフリカで英国政府の諜報部員として活動していた。作家は作品の冒頭にこの物語が特定の国(植民地)に基づくものではなく、創作であることを断っている。アフリカ諸国が次々に独立していくのは1960年以降のことだから、作品には独立の動きが本格的になる前、植民地・保護領を覆っていたムードが色濃く映し出されている。黒人に対する一般的呼称も今ではタブーのniggerだったり、白人が黒人の使用人を呼ぶとき、今では絶対に使ってはいけない表現である “Boy” という言葉を使ったり。
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 スコービーは少なくとも黒人を蔑視するような人種差別主義者とは描かれていないのが救いだ。アフリカでかつて勤務したことのある私には時代は異なるものの、興味深いシーンがいくつかあった。例えば、冒頭のシーン、黒人の子供たちが港に着いた商船から降りて来た船員たちに群がり、“Captain want jig jig, my sister pretty girl school-teacher, captain want jig jig.”(「船長さん、セックスはいかがですか。私の姉さんは学校の先生できれいですよ」)と客引きしている場面もその一つだ。
 翻訳本では確か「船長さん、ダンスはいかがですか」みたいな訳がしてあったが、私のアフリカ経験では「ジキジキ」は性行為を意味していた。エレベーターの中で女性から「ジキジキいかが?」と誘われて、私は日本語の「じきじき(直々)」を連想し、「はて、じきじきに何をどうするのだろう?」と頭をひねったことがある。
 (写真は上が、作家の誕生日を祝い、ワインで乾杯するフェスティバルの参加者。下は、スイスから駆けつけていた作家の長女であるキャロラインさんの姿も)

Comments:4

たかす 2012-10-05 (Fri) 13:55

引用の英語が「あの人は確かにこの世では誰も愛してなかったわ」ではなく、誰よりも神を愛していたと読めることを付け加えます。いつか新聞の人生案内に相談者の奥さんが旦那さんの日曜日教会礼拝最重視を歎くのを読んだことがあります。どんなに奥さんが忙しくても病気でも奥さんがいないかのように彼は教会に行くことをやめないという相談でした。助言者がどう応えたか覚えていません。遠藤周作の「沈黙」なら奥さんの肩を持つかもしれません。スコービーは Aristides the Just にならって Scobie the Just と彼の上司だった人が言いました。あなたにとって一番大切なのはという問いへの答えは人によって違いましょう。神を愛することははたからみて狂気とも言えることがあります。

nasu 2012-10-05 (Fri) 19:46

先生 昨夜は馴染みのカフェで仲良くなった男女二人と日本食レストラン(実質は中華食)で飲み食いし、久しぶりの二日酔いで目覚めたところです。引用の英文の和訳は確かにご指摘の訳の方がはるかにいいですね。早速そう訳させていただきます。グリーンが遠藤周作を激賞していたことを思い出しました。フェスティバルでその「沈黙」のことを言っている人がいました。私は作品の舞台となった長崎・五島列島の頭ヶ島教会を訪ね、取材したことがあります。当時の隠れキリシタンの人々が「穴吊り」などの拷問にあった悲惨なこともその作品で知りました。教会のそばに住む80歳過ぎのお婆さん実に穏やかに接してくれたことも思い出しました。

元ロンドン在住者 2012-10-06 (Sat) 07:57

 またまたお邪魔いたします。

 遠藤周作は小説家としてよりむしろ評論家として活躍していた時期に、「事件の核心」や「恐怖省」を採り上げながら、憐憫の罪ということを主題にG・グリーン論を書いています。
 モーリヤックとともにグリーンを愛読した遠藤周作は、主著「沈黙」をグリーンの「権力と栄光」の大いなる影響の下に書いたと言われています(中には単なる焼き写しだと批判する人さえいます)。遠藤周作のエッセイに、ロンドンのホテルで偶然、晩年のグリーンと邂逅し、そのままバーに移って語り合ったことを懐かしく回想するものがあります。
 ロンドン南部のクラパム・コモンにはグリーンのもう一つの代表作「情事の終り」の舞台ともなった、かつてのグリーンの住いが残っています。クラパムには漱石が最後に暮した下宿跡もあり、その向いには倫敦漱石記念館もあります(ただし10月~1月は閉館)。まだお時間があれば訪れてみられるのも一興かと思います。

nasu 2012-10-08 (Mon) 09:17

元ロンドン在住者様 そうですか。遠藤周作とグリーンとの邂逅は知りませんでした。帰国後にそのエッセイを読みたいと思っています。貴重なご説明とご助言ありがとうございます。漱石記念館は足を運ぼうと考えていたのですが、どうもタイミングを逸したようです。残念ですが。

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