- 2012-07-31 (Tue) 04:02
- 総合
ローレンスと言えば、やはり、学生時代に読んだ『チャタレー夫人の恋人』を思い浮かべる。今はどうか知らないが、かつては大学で英語科を専攻すれば、必ず出合った作品だった。新聞社のロンドン支局勤務時代にフリンジの劇場で小劇団が上演した劇を観たことがある。作中人物が全裸になって熱演していた。ギャラリーはさすがに少しざわついたが、猥褻感がなく、すぐに静かになり、劇に見入っていた。
今回の旅では1913年に刊行された代表作の一つ、“Sons and Lovers” (邦訳『息子たちと恋人たち』)を取り上げたい。作家の自伝的要素が色濃い作品だ。
ローレンスは1885年にノッティンガムに近いイーストウッド(Eastwood)で炭鉱夫の一家に五人兄妹の三男として生まれた。高校卒業後、地元で事務員やロンドンの小学校で代用教員などの仕事に従事するが、教職の資格を取得したノッティンガム大学の恩師の元を1912年に訪ね、その妻フリーダと恋に落ちる。ローレンスは3人の子供を捨てたフリーダと彼女の母国ドイツに駆け落ちする。ローレンス最愛の母親は1910年にすでに死去していた。結婚後はアメリカやメキシコ、ヨーロッパなど世界各地を旅して多くの作品を発表。作家の名を不動にした ”Lady Chatterley’s Lover” 刊行2年後の1930年、44歳の若さでフランスで病没。
“Sons and Lovers” は故郷をモデルにした炭鉱町が舞台となっている。炭鉱夫の父親ウォルター・モレルは気はいいものの大酒飲みで稼ぎもそう良くない。美貌のモレル夫人(ガートルード)はピューリタンの家庭で育ち、プライドが高く、宗教的にも厳格。子供は生まれたばかりの男の赤ちゃんを含めて2男1女(その後3男1女に)。
母親と息子たちの愛情は読んでいて圧倒される。母親は長男のウィリアムを溺愛し、彼が巣立つと、二男のポールに愛情をそそぐ。このポールは絵心のある芸術家肌の若者で、作家の「分身」であることが分かる。ウィリアムもポールも母親に深い思慕の念を抱いて育つ。子供たちは酒飲みで母親に対して時に暴力を振るう父親に対しては何ら愛情を覚えず、ポールに至っては敵意すら感じて育つ。父親が炭鉱事故で不帰の人になってくれればいいと祈るような殺伐とした関係にまで悪化する。
長男のウィリアムは母親の愛情一杯に体格も良い好男子に育つが、注目すべきは二男ポールと母親との関係。14歳になったポールは学校教育を修了し、働くことを余儀なくされるが、生来の人見知りの性格ゆえに、世間との「接触」におびえる。母親に「何になりたいと思っているの?」(”What do you want to be?”)と尋ねられて、”Anything.”(何でもいいよ)と答えるしかないほど、これといった望みはなかった。母親は当然、「そんなの答えではないわ」(”That is no answer.”)と一蹴する。ポールは実は自宅近くでそこそこのお給料がもらえる仕事にありつければ、父親が死去した後に母親と一緒にずっと暮らしていきたい、その程度の将来像を描いているような母親思いの少年だったのだ。
(写真は上が、作家の父親が働いていた故郷イーストウッド近くの炭鉱跡。下は、作家ゆかりのノッティンガム大学で運よく開催中のローレンスの生涯を紹介する展示会)
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