- 2012-07-25 (Wed) 06:22
- 総合
この作家は私の今回の旅の予定には入っていなかった。名前ぐらいは耳にしたことはあったが、その作品を読んだことはなかった。新聞社のロンドン支局勤務だった1990年代にエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンスの主演で代表作とも言える “Howards End” (邦訳『ハワーズ・エンド』)が映画化され、話題になっていたことをおぼろげながら記憶している程度だった。
ロンドン到着後に再会したイングランド人の友人と話をしていたら、「フォースターは取り上げないのですか。『ハワーズ・エンド』はいい作品ですよ」と言われた。何となく気になり、書店でその代表作を買い求め、「難儀」しながら読んでみた。
“Howards End” は1910年の刊行。ハートフォードシャーにある「ハワーズ・エンド」と呼ばれる古い屋敷を巡り、シューレーゲル家のリベラルなマーガレット、ヘレン姉妹とウィルコックス家の保守的なヘンリー、ルース夫妻、その子供たちが展開する恋や疑念、愛の物語を織り成していく物語だ。
小説の冒頭近く、ふと手がとまる場面がある。マーガレットが今住んでいる大都会のロンドンについて思うシーンである。正確に言うと、ロンドンの鉄道についての思いだ。
Like many others who have lived long in a great capital, she had strong feelings about the various railway termini. They are our gates to the glorious and the unknown. Through them we pass out into adventure and sunshine, to them, alas! we return…. And he is a chilly Londoner who does not endow his stations with some personality, and extend to them, however shyly, the emotions of fear and love.(大いなる首都に長く住んだ多くの人がそうであるように、彼女はロンドンのさまざまな終着駅について強い思いを抱いていた。終着駅は栄光や未知の世界への門戸である。終着駅を通って我々は冒険と陽光を求めて旅立ち、そして嗚呼、再び戻って来るのである。<中略>そうした終着駅に思い入れや、どんなにささやかであっても、なにがしかの不安や愛着を感じないようなロンドンっ子は心の冷ややかな人である)
さらに次のような文章が続く。To Margaret—I hope that it will not set the reader against her—the station of King’s Cross had always suggested Infinity…. If you think this ridiculous, remember that it is not Margaret who is telling you about it; and …(マーガレットにとって、キングズクロス駅はいつそこに行っても、無限の世界を感じる駅だった。もし読者のあなたがこういう表現を馬鹿げているとお考えになったとしても、彼女に反感を抱かないで欲しい。あなたにこう語りかけているのはマーガレットではないことを忘れないで欲しい・・・)
私が読んだ本の作家紹介の文章では、この小説は “Who shall inherit England?” (イングランドを継承するのは誰か)という大きな問題をはらんだ物語らしいが、それでこの「茶目っ気」だ。まるで落語家が古典を語る合間に「素」の顔を見せているみたいな。
(写真上は、ロンドンのターミナル駅の一つ、リバプールストリート駅の構内。下はキングズクロス駅近く)
- Newer: E.M.フォースター(E. M. Forster)②
- Older: ハートフォードシャーに